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花火Blog 始めま~す!

2005年07月05日 | 2006年までの記事
こんにちは、花火ブログ編集部です。

長いこと梅雨前線が停滞していますね。
関東でも毎日ジメジメ、不快指数が高めの毎日です。本日は「曇り」
しかし、油断はできません、傘待機の状態です。早く傘を持ち歩く毎日から開放されたいものです。

花火の話とは逸れますが、梅雨の語源は何だろうと(歳のせいか)気になりました。
バイウとは黴雨と最初は書いていたのですね。
「この時期に黴(かび)が生じやすいことから黴雨の意」フムフム。【梅雨/▼黴雨】

黴では、あまりにも感じが悪いので、先人にありがちな言葉遊び「梅の実の熟する頃に降る雨の意」から
梅雨としたそうな。
ツユと呼ばれるようになったのは江戸の頃、梅の実が熟して潰えるから「ツイユ」で「ツユ」になったそうです。なるほどね。現代に残る、粋な江戸っ子の流行語ってことですね。
まぁ、何にせよ、梅雨明け(出梅(シュツバイ))してほしいもんです。

で、気になるのが、この時期直近の花火大会。
ありました、7月6日の「舟見七夕まつり」
大会の由来は、ナニナニ?
「この祭は江戸時代初期参勤交代の藩主を慰めることから始まったと伝えられています。」って全国各地の藩主も、参勤交代は嫌だったんですなぁ。。。
まぁ、言ってみれば幕府への人質ですからね、そりゃ嫌でしょうが、参勤しないと幕府への反逆とみなされた時代ですから。江戸幕府が大名統制のために発した基本法「武家諸法度」に書かれてる、約束事ですからしかたなし、と。。

富山県の当日の天気予報は「くもり のち一時 雨」と微妙ですけど、雨降らないといいですね。
ん?7月6日? というかもうすぐ七夕じゃないですか。
やっぱり歳のせいか、そんな行事にも疎くなってる自分が嫌になります。
七月七日は、全国的に星空が見えるといいですね。。(話題が飛んでしまってすみません


最後はちょっと花火の話題に終始してみます。
「そもそも、花火っていつ頃から?」という疑問から、歴史を調べてみました。
どうやら、1581年 織田信長さんが安土城築城祝いに爆竹を使ったそうですね(笑)大陸の文化風習が
入ってきてたのでしょうか、流行物好きだったと言われる信長さんのやりそうな事です
この頃はまだ、花火ではなく、火薬への発火程度です。

種子島への鉄砲伝来は1543年(天文12年)8月25日の出来事だそうで『鉄砲記』という書物に書かれているそうですから、火薬は充分使われていたわけですね。


もともとの発祥の地は、古代中国らしく、火薬の原料の硝石が発見されていたそうです。硝石を緊急連絡用の通信手段「狼煙」として使ったのが、花火の起源のようです。

日本では、1600年に関が原の戦いで石田三成さんが狼煙を使用したようですから、「火薬使い」としては相当
出遅れちゃってますね。
そういえば、「元寇(ゲンコウ)」の時に相手方は爆弾持って攻撃してきた画があったような、
確か日本は、弓と刀と念仏と神風でした
火薬は、中国からシルクロードを通ってヨーロッパへ伝来し、鉄砲伝来と共に日本に渡ってきたというルートなのかな?

日本初の花火鑑賞は、「1613年 イギリス国王の使者ジョンセリスさんが、徳川家康さんを尋ねたとき、駿府城で持参の花火を見せたのが、日本初の花火見物」であるとか、「1589年7月に伊達正宗さんが使用したらしい」とか言われているようです(正宗さんもヨーロッパに、サンファンバウティスタ号とか派遣してましたもんね)が、どちらにせよ当時はまだ、筒から火の粉が吹き出す程度の物でだったようです。

海外では、1572年(信長さんの爆竹より前)にエリザベス1世が似たような、火吹き人形って物を鑑賞していたようなので、もともと花火というのは、海外製品だったのですね。

さて、今回はこの辺にしておいて、本日より花火ブログ編集員達によるブログリレーの開幕です。


今後とも、よろしくお願いします。
コメント (1)
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