ひできの八ヶ岳ブログ

未来に残したいリジェネラティブな社会づくりを考える

そして次の一歩へ

2011年05月26日 09時12分49秒 | 幸福なくらし

先日の「幸せの経済学」上映会&ダイアローグカフェに関して、
司会をしてくださった未来をつくるオーケストラの細田さんから、今後のことについて月曜日の記事にコメントの形で投稿をいただきました。

***細田さんコメントここから***
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細田です。日曜日はお疲れさまでした。

いろいろな反応も含めて、意義のある上映会だったのだと思っています。
ボランティアとして事前の準備や当日サポートしてくださった方々があの場にいらした意味、地元八ヶ岳エリアから参加された方々が期待していたもの、そして遠方より駆けつけて下さった方々の想い、きっと様々だったのだと思います。

さて、次の一歩をどこに踏み出すのか?
考え込んでしまって、立ち止まったままでもいけませんね。学ぶこと、変わり続けること。
そして、その変化のスピードをアップするための仕組みを考え、実践すること。わたしの今年のテーマです。

伊藤さんの「シューマッハカレッジ留学記」に指針となる文章を見つけたので、勝手に引用させていただきます。


ここから引用
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自己組織化がガイアを生んだ

 日本で「エコロジー」というと、「動植物の生態系」であるとか「環境、自然に良いもの」といった意味合いで使われる事が多い。しかし、この言葉の本来の意味は「自然界の仕組み或いは秩序」ということを指しており、その範囲は一般に言う“自然”のみならず、素粒子から宇宙に至る様々な仕組みや、人間の身体やその心や脳の仕組みまでを含んでいる。
 ここ数十年来の生物学などの研究のお陰で、この自然界には、どこを切り取っても普遍的に存在する幾つかの特徴が存在することが解ってきた。それらは、私達が義務教育において習ってきた考え方を根本的に覆すものである。その中の一つに、エコロジカル社会とも関連の深い“自己組織化”という現象がある。
 自然界の中には、私達の身体の細胞の様に、比較的似通った性質の「個」が集まり、集合体のサイズやその他の条件が整うと、その「個」がお互いに協調的に働き合うことで、一つの秩序をもった組織(共同体)が出来あがる。
 身体や脳の働きも、そういった現象で出来あがっていることが解っている。さらに、そのようにして出来あがっている生物は、環境や周囲の状況を常に受け入れながら、環境に合わせて自らを変えて行こうとする性質を持っている。これによって、さらに大きな一つの共同体(コミュニティー)が出来あがる。実際に生物は、世代を経ながら自らを変化させて行く事によって、地域の地形や気候などに柔軟に適応していく。そして、近隣の他の生物達とともに、その土地の風土に適合したコミュニティーを作り上げているのである。
 こうした繰り返しによって最終的に出来たのが地球“ガイア”である。このような、「個」同士が協調的に働き合うことによって、自ら一つの秩序をもった組織を創りあげる事を「自己組織化」と呼んでいる。

「自己組織化がガイアを生んだ」全文はこちらから

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ここまで引用

さて、次の一歩ですが・・・
スタッフの方や希望者を交えて、振り返りと八ヶ岳での今後の取り組みについてダイアローグしませんか。
変わることを楽しみたいです。

細田

***細田さんコメントここまで***
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引用の部分、自分で書いておいてすっかり忘れておりました。
そうですね、自然界が「個」同士が協調的に働きあうことで「自己組織化」を起こすことを、人間界でも起こさなければならない時期に来ています。

細田さんの提案のように、
来月には22日の振り返りと八ヶ岳での今後の取り組みについて、
是非、ダイアローグカフェ#2ができればと私も思います。
どのような会にするかはまだ私もはっきりとは分かりませんが、
この地域の将来のためになる、
実践的な活動につながるものにしたいと思っています。

八ヶ岳近辺の皆様、いかがでしょうか?
何か、良いアイデア、テーマがあれば是非お寄せいただければと思います。

上映会の報告と御礼&この映画の本当の価値とは

2011年05月23日 23時06分32秒 | 幸福なくらし
昨日の「幸せの経済学」上映会&ダイアローグカフェは、いろいろな方のお蔭で無事に開催することができました。
東京、神奈川、埼玉、長野など遠方からもおいで下さり本当に恐縮です。わざわざ来て下さった甲斐があったかどうか、ちょっと私としては不安なのですが、いろいろと至らなかったところは、どうかお許しください。

今回、会場が料金を徴収できない場所で自腹覚悟での開催だったのですが、カンパを募らせていただいたところ、皆様のご理解とご協力のお蔭で、我が家の出費をかなり抑えられるくらいにカンパをいただき本当に助かりました。また、受付から託児、ドリンクサービスまで、いろいろとボランティアスタッフの方にはご協力いただきました。本当にありがとうございました。

ダイアローグカフェは結構盛り上がり、あっという間に終了時間となってしまいました。会場をお貸しくださったKEEP協会の方々もご参加いただき、やはりダイアローグには慣れていらっしゃるのか、とても上手に、さり気なくリードしてくださっているのが印象的でした。

全体セッションでは、安曇野のシャロムヒュッテの臼井さんが、パーマカルチャーをはじめとした新しい暮らし方への取り組みや考え方を説明くださいました。長年の実践に裏打ちされた説得力がやはり違います。また、地元で自然農や有機農業をされている方々の発言もうかがうことができ、有意義な時間を過ごさせていただきました。皆様、どうもありがとうございました。


一つ気になる事もありました。この八ヶ岳という、大都会からの脱出組が多いいという特殊性なのかもしれませんが、今回の映画の内容は、既に分かり切っていることで、大して目新しい内容はなかったというコメントやアンケートも少なからずありました。

実は私自身も、この映画を見た第一印象はそうでした。しかし、たまたま私が主催者だったゆえに、試写版を観て、スタッフの打ち合わせの時に二回目を観て、本番用DVDのチェックで三回目を観てと、何回か繰り返して観るうちに、私は大きな勘違いをしていることに気づきました。

この映画は、字幕が早く、インタビューの話も次々に展開するために、一回だけ見たのでは、強く印象に残った部分しか頭に残りません。しかし、たまたま私は何度か映画を観る機会があったことから、映画の中でヘレナやその他の方々が語っているメッセージの一つ一つをじっくり追うことができました。それぞれは短い言葉で、時間にしても何秒かで通り過ぎてしまいますが、実に厳選された言葉の集大成であり、今の社会を見直すのに必要な考え方の、かなり多くをカバーしていることに気がついたのです。

例えばヘレナは映画の中でインドのBalaji Shankarに、地域に根差した小規模有機農業の実践に関連して「遺伝子組み換え作物は必要なくなる」と語らせています。実はヘレナは遺伝子組み換え作物に関して、この分野に詳しい生物学者、エコロジスト、遺伝子学者、農家などから相当に学んでいます。その上でヘレナは遺伝子操作作物反対の立場をとり、自らもイギリスの中で国中が一時期騒然としたほどの問題提起のムーブメントを起こしたこともあります。つまり、Balaji Shankarに語らせた「遺伝子組み変え作物は必要なくなる」というその一言の中には、ヘレナの膨大な知識と経験と判断とが込められているわけです。そのような、膨大な背景を持った一言が映画の全編に織り込まれているのです。

幸せな経済・社会への転換には、現在の社会を形作っている基盤となっている考え方が変わることから、経済、社会のあらゆることが根底から変わってくるはずです。それは、ほとんど全ての分野と言っても過言ではありません。その全てとは言いませんが、ヘレナは本当に幅広い分野を勉強し、若い時から世界のオピニオンリーダーと繋がり、壮大な知識と思想を持っています。そういった彼女の知識と考えのエッセンスが、1時間8分という短い時間に、まるでデータベースのように集積されているのです。それらの一言一言は本当によく吟味されています。いい加減な発言は一つもありません。

それは丁度、聖書を通り一遍に読むと、それはただの物語ですが、理解している人が読むと、その文章のいたるところに重要なメッセージが織り込まれていることが分かるのとよく似ていると思います。そういった意味では、この映画はヘレナが何年もの歳月をかけて制作してきただけあって、これからの社会構築のために必要なメッセージが至る所にセットされている、まさにバイブル的存在と言っても良いと思います。

ただし、映画の展開のスピードが速く、映像は先にどんどん進んでしまうので、一回見ただけではなかなかついていけません。繰り返して観なければついていけないという点がこの映画の欠点かもしれません。2時間映画でも良かったから、メッセージとメッセージの間に少し間をおいて、視聴者が考える余裕ができればベストだったかもしれません。

それは兎も角、暫くしてから私もまた、自分の考えを整理したり確認したりする手立てとして、この映画を再度、繰り返して観たいと思います。

新しい地域の生活共同体

2011年05月16日 23時11分57秒 | 幸福なくらし
産業革命以前の暮らしは、
地域ごとに自律した経済と生活が成り立っていたと考えられます。
それはその地域の土地や気候などの自然環境に対して、
高度に適応し、持続可能な暮らし方を確立していました。

比較的、ここ数十年前まで、アジアや南米などの多くの地域には、
そういった暮らし方が残っていましたが、
急速な近代化によって、あっという間にそれらの多くが消え去っていきました。

一方、欧米においては、
早くにそういった暮らし方は消えたものの、
様々な問題を抱える近代化の流れからやや距離をおいて、
独自の共同体の設立が各地に起こっていきました。

かつてはその多くが宗教に関わるものでしたが、
1900年代半ばごろから、
各種のコミューンやエコビレッジなどの、
環境や平和など理念中心の共同体が出現したようです。

これまでの共同体というのは、
どこかの土地にメンバーが集まって、
いわば新天地の開拓を行う形の共同体でした。
ある意味、やや閉鎖的で、
個人の自由の制約も大きいものでした。

今後、私たちが地域中心の経済社会に移行することは、
それは、地域において新しい形の生活共同体を形成することを意味します。
それは決して閉鎖的ではなく、
個人の自由を束縛するものでもなく、
どこかに特別の共同生活の場所を作るのでもありません。

今住んでいる家、今住んでいる街が、
私たちの生活共同体となるわけです。
今の街で、お互いがもっとつながり、
お互いがお互いのために働き、
厚い信頼関係を築いていきながら、
困っても、誰かが必ず助けてくれる、
お金の心配もしなくて済む、
そういった生活を作り上げていくのです。

今、多くの人は様々な不安を抱えて生活しています。
私たちの行動の中には不安を出発点にしていることも多々あります。
いえ、行動の大半は不安を解消するためと言っても過言ではありません。
不安がなくなることで、私たちの考え方や価値観は大きく変わります。
考え方や価値観が変わると、社会も大きく変わります。
社会が変わっていくと、さらに人々の考え方や価値観も変わっていきます。
それは、自然界における共進化のしくみと同じです。

こういった社会を作るために、
私たちは何から出発したらよいのでしょうか。

いろいろな職業についている皆が、それぞれに立ち上がり、
そして、緩やかに連携し、協力し合いながら、
地域の、地域の人による、地域のための活動を増やしていき、
密なネットワークをつくっていく必要があります。

会員制など、閉鎖的であってはいけません。
できるだけルールなどなく、
個々が自由に活動できることが重要です。
唯一そこには、幸せな社会づくりという大前提があるだけです。

また、人が出合い、暮らしの知恵やより高い精神性を学ぶ拠点もあった方がよいでしょう。そもそも、真の幸せとは何か、本当の豊かさとは何かを知らなければなりません。これまで大量生産大量消費、経済拡大主義に洗脳された人々の考え方、価値観を新しいものにシフトさせなければなりません。
お互いに、そういった大事なことを確認しあえる拠点があった方が、その地域の変化のスピードは格段に違うでしょう。

そこは、学ぶだけでなく、食や暮らしにかかわるモノやサービスの交流があったり、介護や福祉、子育て、教育、お互いの情報交流の機能があれば尚良いと思います。最終的には、そこに行けば暮らしにかかわるニーズが何らかの形で解決する、そういった場となれば、それは地域の新しい生活共同体の核の一つとなるのではと思います。

丁度、日本においてその先駆的な拠点として以前より活動をされている二か所から、ご案内をいただいたので転載させていただきます。
奇しくも両方とも、健康に関するご案内です。

一つは阿蘇の小国町で活動されている波多野さんのTAO塾。
現在、リトリートビレッジを建築中で、
間もなくそのメインハウスが完成するそうです。楽しみです。
下記のリトリートセミナーは毎月開催です。

「半断食リトリートセミナー」 5月28-29日
http://www.taocomm.net/pdf/tao_retreatstay.pdf


もう一つは、あのサティシュ・クマールさんに、
日本を救う箱舟と言わしめ、
今や新たな暮らし方のメッカ的な存在となっている、
安曇野の臼井さんのシャロムヒュッテ。

「大切な人を守る知恵 ~ セルフケアを学ぶ」 5月28-30日
http://www.ultraman.gr.jp/shantikuthi/self528.htm

各町に、各村に、数十万人規模の地方都市であれば市に数か所くらい、こういった拠点が必要だと思います。

今年から数年間は、世界的にも特に激動の期間になりそうな気がしますが、それと同時に、きっと、来年再来年には、様々な拠点が全国に出現してくることでしょう。
新しい社会の新芽が確実に芽生えつつあると思います。

丁度、朝日が昇る前の薄暗いころ、
まだ、多くが静まり返っているなかで、
早く目覚めた一羽の鳥が鳴きだしたかと思うと、
しばらくすると、あちらこちらから次々にほかの鳥が鳴きだし、
次第に、朝の鳥のさえずりは賑やかになっていきます。
そして、ふと気づくと周囲はすでに明るくなっていっているといった、
そういった時期を私たちはこれから経験していくはずです。

幸せな社会を目指すにあたって

2011年05月07日 12時00分54秒 | 幸福なくらし
八ヶ岳での「幸せの経済学」の上映会のお申込みですが、各方面に拡散してくださったシャロムヒュッテの臼井さんのお蔭で(あらためて、ありがとうございます)順調です。地元はもちろん、東京、埼玉、長野方面からわざわざいらして下さる方もあり、心より感謝申し上げます。

上映に先だって、配給会社から送られてきた試写版を見ました。全体としてよくできているとは思いますが、少し心にひっかかるところもありました。
このブログを通してお申し込みをされた方もおられますので、私の責任上、その点について、前もってお伝えしておこうと思います。

監督のヘレナ・ノーバーグ・ホッジは研究者というよりは活動家です。従って、彼女は世間にインパクトを与えて社会を「変えて」いくことが仕事です。

「変えて」行くためには、今あるものを否定し対抗していかなければなりません。今回の映画もその路線上にあります。こういったところは、ヘレナとともにシューマッハカレッジの設立に関与した非暴力を主義とするサティシュ・クマールとは違うところです。

この映画の中でヘレナは、現代社会に蔓延する多くの問題を、「グローバリゼーション」という言葉に包み込み、その対抗概念として「ローカリゼーション」を謳っています。つまり、「グローバリゼーション」と「ローカリゼーション」という、二項対立の構図で世間に訴えようとしているのです。

この手法は、態度をはっきりさせる欧米人にはあっていますが、欧米人に比べて全体を考えながら判断する日本人には向かないかもしれません。かえって、折角、幸せな経済に関して関心の高かった人も、グローバリゼーションを切り捨て、ローカリゼーションへ向かう一辺倒な考え方に違和感を感じる人もあるかもしれません。(むしろ、その方が正常な感覚であろうと思います。) また、全体図をあまり理解せずに盲目的にローカリゼーションに走ってしまう人たちを生んでしまう可能性もあるでしょう。

幸せな経済・社会を目指すにあたって、その着地点はグローバリゼーションとローカリゼーションの中間にあります。バランス的には大きくローカルに寄ったところではありますが、グローバルな関係は決して消えませんし、グローバルな流通は、現在のものと様相は大きく変わるものの、そこにはそこの役割を果たしてくれなければなりません。

実は「スモール・イズ・ビューティフル」の著書で世界的に知られるE.F.シューマッハも同じような誤解を受けています。この著書の題名は実はシューマッハがつけたものではなく出版社の担当者がつけたものです。この題名は広報的には大成功でした。しかし、シューマッハ自身は小さいことは良いことだなどとは決して述べていません。彼が主張していたのは、「全てのモノ、コトには、適正な規模がある」ということです。

それは、グローバルな規模を必要とするモノやコトもありますし、逆に、日常の暮らしに密接なものは、ごくごく身近なローカルが最適規模になるということです。つまり、グローバルとローカルは必要に応じて共存するわけです。

ヘレナも一応、映画の中で一瞬ではありますが、そのあたりをコメントしていますが、実際に映画を一回見ただけでは、グローバリゼーションとローカリゼーションの二項対立の印象の方が強すぎて、誤解を招く可能性が高いと思います。従って、この映画を見て、ローカリゼーションだけが良いことだといった偏った考え方に陥らないように、気づいている人が指摘してあげる必要があろうと思います。

もう一つ気になったことは、幸せの経済・社会を構築していくうえで基盤となる考え方である、自然界が成り立つうえで基礎となっている原理について一切触れていない事です。地球生命系では、私たちの細胞から大自然の営みまで、あらゆるところで協調的な相互関係が樹立され、その創発によって、新たな命を生み、生命を維持継続しているのです。私たちが地球生命系と共生する本当にエコロジカルな社会を作るためには、人類もその原理に沿いながら暮らしていくことが必須です。へレナのいうローカルな暮らしも、最終的にはその基盤がないと成り立たないのです。

サティシュ・クマールやジェームズ・ラブロックとともにシューマッハカレッジを作ったヘレナも、このことは十分に知っているはずです。映画にインタビューされて登場する経済学者デビッド・コーテンは、こういった生命システムの研究の第一人者でシューマッハカレッジの教授でもあったブライアン・グッドウィンの妹弟子で、遺伝子組み換え作物の反対論者で世界的に知られるメイワンホー博士とたまたま飛行機で隣の席に座りあわせ、彼女から協調を基盤にした地球生命システムの原理の話を聞き、エコロジカルな新たな社会観に開眼した人です。

ですから、そういった考え方の基盤の説明も是非、映画の中に入れて欲しかったと思います。そうでないと、ローカリゼーションの話も、単に頭で考えた理屈でしかなく、根無し草のように流されてしまうからです。しっかりとした社会づくりには、心の底から、直感的にも納得のいく考え方の基盤が必要なのです。

私自身も、いまものすごく反省しています。
シューマッハカレッジから帰って12年を迎えようとしています。この文章「共生社会への扉」は、留学から帰ってから半年後に書いた古いものですが、映画の内容は、この文章の中から「ダイアローグ」と先の地球生命系の話を引いた内容の範囲を超えません。つまり、この10年余りの間、社会は何も変化しておらず、相変わらず同じ話が繰り返されているだけなのです。その間、私ときたら何も貢献していないし、むしろ諦めて、引き籠っていたと言ったほうが良いかもしれません。

でも、今回の震災で多少考え方が変わりました。いつ突然、自分も死に直面するかもしれませんし、このままでは、いつまでたっても今の社会のままです。やはり、自分がやらなければならない役割を、生きているうちに、しっかり果たさなければならないと考え直しているところです。

22日に上映会&ダイアローグに来られる方、どうぞ宜しくお願いいたします。