一会一題

地域経済・地方分権の動向を中心に ── 伊藤敏安

日本人の矜持と靖国参拝

2013-12-26 22:47:11 | 媒体

● キャンパス間を往来する車中で、ヘンリー・S.ストークス『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』を読みました。同氏は、1964年に Financial Times の東京支局長として赴任以来、半世紀にわたって日本に滞在。この間、The Times The New York Times の東京支局長も務めています。『三島由紀夫 生と死』の著者としても知られます。

● 南京大虐殺や従軍慰安婦問題について、「事実ではない」と日本人が抗弁しようとすると、世界から相手にされなくなるおそれがあります。かといって、中国・韓国の主張は史実と異なることを日本人自身が訴え続けていかないと、「歴史的事実」として確定してしまいかねません。「日本は、これまでこうした努力が異常に少なかった」という卑屈な態度が日中・日韓関係をさらに歪めてきたとみています。しかも、これらの問題は、日本からけしかけたことで、中国・韓国が取り上げるようになったことにも注意を喚起しています。では、どうすればよいかというと、「東京裁判史観」からの脱却を果たし、日本国憲法を改正して、日本人としての矜持を取り戻すべき ── というのが著者の歯がゆいまでの思いのようです。

● そういえば、難儀な従軍慰安婦問題にしても、アメリカ人にホワイトハウスへの請願をしてもらわなくても、日本人だけで取るべき手段はあるだろうに ── とぼんやり考えていたところへ、現職総理大臣としては7年ぶりに安倍晋三首相が靖国神社参拝。これは矜持というべきでしょうか、意固地とみるべきでしょうか。


社会保障問題と地球環境問題

2013-12-23 22:06:57 | 媒体

● 八代尚宏『社会保障を立て直す』を読みました。副題は「借金依存からの脱却」。公的年金、医療保険、介護保険、生活保護制度に関する問題点が簡潔に整理され、改革の方向が提言されています。公的年金をはじめとする社会保障制度の問題は、世代間にまたがる最も悩ましい問題です。読めば読むほど暗鬱な気持ちにさせられます。本欄でも取り上げたことのある鈴木亘教授が主張しているように、よほど思い切った改革をしない限り、展望の開きようがありません。

● 八代教授の前掲書の趣旨は、「資産の裏付けなき赤字国債の累増に全面的に依存している社会保障制度」を改革するためには、少なくとも「同一世代内での“給付と負担の均衡”」を基本原則としなくてはならないということ。問題を先送りして、後代世代に負担を押しつけてしまう点で、「社会保障の問題は地球環境問題と共通した面がある」としています。


東京都知事選

2013-12-20 22:38:31 | トピック

● 衆議院議員小選挙区選挙や道府県知事・市町村長選挙では、候補者 2 人の争いに絞られがちです。これは「デュヴェルジェの法則」として知られています。小選挙区や首長選挙は多数決制です。1 票でも多く獲得した候補者が当選します。落選した候補者への投票は、いわゆる「死に票」になります。有権者にしてみれば「死に票」にしたくないので、「当選しそうな候補者」に投票するかもしれません。このような有権者の思いに対応して、立候補者も限定されてきます。

● ところが、東京都知事選挙はどうも事情が違うようです。立候補者は2007年に 14 人、2011年に 11 人、2012年には 9 人でした。1,000万人を超える大量の票の獲得をめぐって、候補者が乱立気味です。さて、今度の選挙では、どのような候補者がどのような政策を掲げて立候補し、有権者はどのような基準から選択するのでしょうか。


市町村合併と国家統合

2013-12-16 23:05:40 | 媒体

● 明治の大合併は小学校の統合、昭和の大合併は中学校の統合を主眼としていた ── という説をよく聞きます。先ごろ刊行されたテキストを瞥見していると、やはりそのような趣旨の解説を見かけました。

● ところが、松沢裕作『町村合併から生まれた日本近代』によると、これは俗説にすぎず、むしろ市町村誕生を機会に小中学校の再編・統合が進められたとのこと。近世以降の村は、生活や生産に密着した身分共同体であり、ある意味で不定形な集団でした。それが明治維新を経て近代社会になると、境界を明確にすることが求められます。近代社会は市場という無境界性によって特徴づけられますが、無境界の市場に対抗しようとすれば、国家として統合しなくてはならないからです。こうして旧来の村は町村として制度化され、市町村-府県-国家というそれぞれの境界を有した同心円の中に組み込まれていきます。

● となると、「合併によってつくられた町村という単位が、恣意的な境界線によってつくられた恣意的で空虚な単位であればこそ、その境界の両側でおこなわれる行政は均質なものでなければならない」という論理が見え隠れしてきます。結局、「町村制の看板である“自治”とは、それぞれの町村に個性を発揮させるようなことを意味していたのではまったくない」ことになります。

● もうひとつ、このような秩序形成過程の中から「中央-地方関係」が生まれてきたが、「中央集権」も「地方分権」も「中央-地方関係」というひとつの歴史的所産のうえに立脚していることを看過すべきでない ── という趣旨の指摘も印象に残りました。


文化を育てる

2013-12-07 22:44:09 | 媒体

● タイラー・コーエンといえば、『インセンティブ』『フレーミング』『大停滞』などの翻訳で知られています。このほど『アメリカはアートをどのように支援してきたか』という翻訳が出ました(原著の出版は2006年)。著者の名前に惹かれて、ある学会大会に参加した道中で読みました。

● コーエンによれば、ヨーロッパの芸術政策は集権的で、直接的支援が主であるのに対し、アメリカのそれは分権的であり、間接的支援を基本としているとのこと。間接的支援とは、政府部門が芸術家や作品を選んで直接的に助成するのではなく、芸術家や作品を支援するNPOや美術館に助成したり、寄付者に税制優遇をしたりすることを意味します。アメリカのNPOや美術館にとっては、競争的環境に置かれることになります。

● このような記述を読んで、橋下徹大阪市長の文化行政についての論評を思い出しました。中島隆信『こうして組織は腐敗する』によると、大阪フィルハーモニー交響楽団などへの補助金の大幅削減は、「行政ガバナンス」から「市場ガバナンス」への移行とみなす必要があるとしています。つまり、行政が補助金を出せば監視の義務を負うことになるが、それが十分にできないのであれば、楽団の運営は主として寄付金や事業収入でまかなうようにすべき、つまり市場あるいは市民の判断に委ねるべき ── と解釈する必要があるという指摘です。

● そういえば、日展の「書」の審査において、有力会派による賞の割り振りなどが問題になったばかり。調査結果を発表した第三委員会の浜田邦夫委員長によると、「日展のやり方は社会常識と異なり、組織改革の余地がある」(2013年12月6日の読売新聞)とのこと。コーエン教授と中島教授の見解に照らしていえば、日展の審査は市民の評価と完全に乖離していたということです。