ゴールデンウィークの北アルプス、遭難事故が相次いだ。
まずもって、お亡くなりになられた方々へご冥福をお祈り申し上げます。
小生、残雪登山はある程度の経験をしているが、これほど天候が急変する山行は経験がない。
わずか、10分足らずで雹や雷が激しく打ちつける。
今回単独で北穂高を目指したが、山頂を300M直下で雷の連発に合い遭えなく撃沈、早々に撤退を決めた。
ピッケルをほり出すようにして尻制動、いやいや半分滑落してきたような撤退であった。
5日、涸沢に着いて間もない“涸沢岳と涸沢槍”
涸沢のテン場と“前穂高岳”
白出コルへ登る登山者と涸沢岳
5日早朝、上高地バス停を7:30出発
本谷橋を過ぎて、涸沢まで間近のところ。ここまで約4時間半。
団体様のお帰りです。
今日は子供の日ですからね。イイ感じですね。
涸沢カール。GWも終わりとあってテントの数も少ない。
着いたら、いきなり救助へりが降り立った。
どうやら低体温症らしい。
後で知ったが、ニュースになった方のようであった。
北穂高へアタックを決めた直後のM氏と遠くには頂も見える。これが大きな間違い。
この時、時間は午後2時、明日は朝から荒れるとの情報が入り、ピーク踏みたさにこれから行くがどうか迷った。
本来なら、明朝、北穂高岳へアタックしピストンで上高地へ降りる予定であったが、
天候も比較的安定している今日のうちに登って、北穂高山荘に泊まって、
明方崩れる前に涸沢まで下りてくればいいだろうと欲を出してしまった。
同じような時間に登ってきたこれまた単独行のMさんと意見が合い、この時間から北穂を目指すことになった。
そもそも、午後からは雪崩の心配もあるし、天候も崩れやすいので行ってはいけないとあれ程言い聞かせていたのに・・・。
ようは、間が差したのだ。疑わしくは行ってはいけないのが鉄則である。
この後、いやと言うほど思い知ることとなる。
涸沢は標高2500M~2600M、北穂まで約600M程登る。
時間にして約3時間。
ただし、一度天候が悪化したならどれだけかかるか解らない。
これを頭に入れて臨むべきだった。
200〜300M程高度を上げたところで、突如、雹が降り始めた。
頂は見えている。あと1時間ちょっとか?
下を見れば、涸沢が小さく見える。
悩むところだ。
迷いながらも10M程登ったところで、 ついに1発目の雷が、北穂の稜線で鳴り響く!
マズイ!
何もない雪上の斜面では、ピッケルは格好の標的である。
M氏に合図、ピッケルを捨てて、尻制動で300M滑りま〜す!
言っているうちに涸沢槍あたりで2発目が鳴り響く。
また光った!
やばい!
3発目はかなり近い。おそらく半径1キロ以内だろう。
この頃、我々は、斜面にぴったり張り付きながらかなりのスピードで尻制動、寝制動?で落ちていた。
はたから見れば、もう滑落状態に見えるだろう。
こんな経験は初めてであるが、雷の前ではそうも言ってられない。
命からがら、涸沢小屋まで降りてくることができた頃は、雷も止んでいた。
山の神様は、やっぱり存在するな。
初めの雹で「降りろ」の合図だった。そこから無理に行ったので雷での警告だったと考える。
山では決して欲を出してはならない。怖い思いをしたが良い勉強をさせていただいた。
北穂高岳敗退。無事でいれば、何時かリベンジできると納得した。
帰りの常念岳と大天井岳
屏風岩
6日の明け方
6日の朝、奥穂高へ向かうパーティー。
これから天候は荒れるが大丈夫か? 我々は10時までが勝負と速攻下山を決める。
夜中は、時折雷が鳴り、雹が降った。
前穂高岳ズーム
本谷橋も夏場とは全く様相が違う。川はありません!
横尾に向かって、足早に下山。
やれやれ、横尾まで戻って、同じく単独行者と乾杯。
徳沢園〜明神までの間に咲く二輪草。
6月には満開のようである。
下山してきた上高地は雨の中。
6日 AM10:00着
観光客もまばらだった。
なんとか無事に帰れました。山に感謝感謝!
皮肉にも、7日から3日程、天候は安定するとのことだった。
登山者が多く入るGW中、天候さえ良ければ亡くならずにすんだ方もみえたと思えば、これもまた自然の厳しさゆえか悲しい限りである。
この後、毎度の“ひらゆの森”で温泉に浸かり、カルビ丼食べて、15時には帰宅できた。
過去の登山記録 登山道への一歩
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