
昨日、神社まで行っておきながら、富士塚参拝が出来なかったので、今日は、何とかならないかと思案しましたが、結局、会社終わりという正攻法で行くこととなりました。
普段であれば、平日ということもあって、そんなに執着はしないのですが、すでに今年も半年を過ぎたものの、何もしていないまま過ぎた感が漂っている現状を心機一転しておきたいという気持ちもあって、再び訪れることにしたのでした。
通常は、夜の神社など怖くて近づきませんが、一帯は、昨日同様大賑わいのお祭り状態ですし、いつもと違う姿も見られることもあって、ちょっとワクワクしている自分がいました。

神社は(京浜東北線)東十条駅から近い場所にあります
この神社を起点として、(埼京線)十条駅までずらりと露店が並んでいます

今日は何とか間に合ったようです
看板のあちらこちらに「祝 世界文化遺産登録」の文字が躍ります

入口前に少し行列ができていました
自分と同じ会社帰りの方も多く見られます・・・夜間まで行っていただいた皆様に感謝

歩みはかなりゆっくりとしたものですが、珍しい雰囲気のためか、あまり時間が気になりません

いよいよ登山開始です

お線香を買って、いざ!!

今月こそは、山登りの復活を、と祈念して
山開きの登山は終了したのでした
7月1日。新聞やニュースでは、富士山の山開きとご来光を目指して登る人々が紙面や画面を賑わせておりましたが、こちらは、並んでから参拝まで、約10分程度。スケールも労力も全く違いますが、山開きの日に参拝できたことで、ちょっとした充足感を得ることができたように思えます。
こういった、先人の文化が残されていることに感謝です。
東京都北区中十条2-14
十条冨士神社
十条冨士神社
十条冨士塚(北区指定有形民俗文化財)
十条冨士塚は、十条地域の人々が、江戸時代以来、冨士信仰にもとづく祭儀を行って来た場です。
現在も、これを信仰対象として毎年六月三十日・七月一日に十条冨士神社伊藤元講が、大祭を主催し、参詣者は、頂上の石祠を参拝するに先だち線香を焚きますが、これは冨士講の信仰習俗の特徴のひとつです。
塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、三十数基あります。銘文によれば遅くとも、天保十一年(1840)十月には冨士塚として利用されていたと推定されます。
これらのうち、鳥居や頂上の石祠など十六基は明治十四年(1881)に建立されています。この年は、冨士講中興の祖といわれた食行身禄(じきぎょうみろく)、本名伊藤伊兵衛の百五十回忌に当りました。石造物の中に「冨士山遥拝所再建記念碑」もあるので、この年、伊藤元講を中心に、塚の整備が行われ、その記念に建てたのが、これらと思われます。
形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すように溶岩を配し、半円球の塚の頂上を平坦に削って、富士山の神体の分霊を祀る石祠を置き、中腹にも、富士山の五合目近くの小御岳神社の石祠を置いています。また、石段の左右には登山路の跡も残されており、人々が登頂して富士山を遥拝し、講の祭儀を行うために造られたことが知られます。
平成四年三月 北区教育委員会
こういったことが出来る時だけは、都内通勤に感謝です。
確かに文字にすると変な感じですね。
小さな山は、気がつけば登っていたりしますが、そろそろガッツリと山に取り組みたいです。
トラブルやら課題の山は、お腹いっぱいなのです…。