16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その3)
都市の要素として、余剰農産物と交易が挙げられる。交易の仲介媒体として、価値の質の高いもの、普遍性の高い物として、金、銀、宝石、貝、毛皮、布などであり、単位容積当たりの価値の高いものは、交換の手段として使用された。
エントロピーは、エネルギーの質を表し、貨幣的なものは、価値の質を表す。この貨幣的なものは、よりエントロピーに逆走して、それらは価値あるものとして存在している。
例えば、金は、川底に砂金として1g未満の形で、砂に紛れて分散して存在するので、川底の砂を砂金板に乗せ、注意深く砂をゆすりながら、砂を水に流しながら、残った砂の中にあるかなしやの砂金粒を、多くの人工を動員して、十数gにまとめ、権威の象徴する芸術的なデザインを刻印して金貨は造られる。
従って、金貨は価値を高めるために、エントロピーに逆走した結果でもある。紀元前24世紀のハンムラビ法典には、銀によって支払うことが明記されており、メソポタミア文明は古代銀本位体制によって、余剰農産物を始めとして、交易を支えていた。交易に於いて銀を仲介媒体とすることによって、交易の巾と交易ルートの長さを拡大し、交易の回転率の向上に寄与し、メソポタミア文明が発展し、多くのものを歴史に残した。
紀元前7世紀のエジプトに於いて、金と銀の自然合金であるエレクトロンに、ライオンのデザインを刻印した金貨が造られている。しかしながら、エレクトロンは非常に貴重でありすぎるために、貨幣としての利便性は持ち合わせていなかった。
紀元前6世紀末にギリシャの都市アテナイ、エギナ島のように強い「交易バランス」に恵まれた都市国家によって、銀貨が製造され、この2つの都市の銀貨は国際通貨となり、地中海の多くの地域でこれらの銀貨が発見せれている。
銀貨は、以前の金貨に比べるとその価値は低いが、その品質及び重さが一定であり、都市国家が、国家の象徴をデザインして刻印することによって、4ドラクマ銀貨は造られた。(これによって、重量を計ることも、斧で削って品質を確かめる必要もなくなった)
その銀貨は、その地金の価値よりも、高い価値を生み出し、銀貨を製造することによって、アテナイは財政的利益を得て、発展に寄与し哲学や概念を生み出した。そして周辺諸国は、その銀貨によって、都市国家で交易されるあらゆるものに、いつでも、交換可能であることによって、銀貨を蓄積し、未来に対する可能性を計画することが可能になった。
それによって、この銀貨の単位によって、資財帳、会計簿、税金を記述するが可能となった。(お金の歴史全書 ジョナサン・ウィリアムズ)(第34回)
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