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チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「悲喜劇のEU」

2015-10-10 14:36:53 | 独学

  91. 悲喜劇のEU (民主主義とは何か) 塩野七生著 文芸春秋 2015年8月号

 塩野七生(ナナミ)、1937年7月、東京に生まれる。歴史小説家、イタリアを拠点に、主に、ローマ帝国及び地中海世界の歴史小説を執筆。 

 学習院大学哲学科卒業後、1963~68年にかけてイタリアに遊びつつ学んだ。1968年に執筆活動を開始し、「ルネッサンスの女たち」、「チューザレ・ボルジィアあるいは優雅なる冷酷」を出版。

 1970年よりイタリアに住み、1982年「海の都の物語」、1992年よりローマ帝国興亡の歴史を描いた「ローマ人物語」全15巻を刊行、2008年より、「ローマ亡き後の地中海世界」上下を刊行。 私は、読んでませんが、ニコニコ百科に書かれていた、ローマ人物語より、二つのことばを紹介します。

 「歴史には、進化する時代もあれば、退歩する時代もある。そのすべてに付き合う覚悟がなければ、歴史を味わうことにはならないのではないか。そして、「味わう」ことなしに、ほんとうの意味での「教訓を得る」こともできないと信じている。」 ローマ物語 ローマ世界の終焉より

 「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性、説得力、肉体上の耐久力、自己制御能力、持続する意志。カエサルだけが、このすべてを持っていた。」 ローマ物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前より   

 

  『 民主主義は結構な考え方だが、その結構な思想から人々の心が離れてしまうのは、実際に問題の解決となるといっこうに機能しないからである。ギリシャ問題、難民問題、と難題が山積みの現在のEUを見ていると、民主主義者の私でも絶望してしまう。

 EUとは、ヨーロッパ諸国の連合体である。第一次と第二次の大戦によってすざまじい打撃をこうむったヨーロッパが、二度とヨーロッパの国々の間では戦争をしない、という一点で始まった共同体だから、今に至るまでの七十年間戦争はしていない以上、当初の目的は成し遂げられたと言ってよい。

 だが、これ以外の課題となると、ガタピシばかり起している。そのヨーロッパに半世紀も住んでいる私の眼から見ると、要因は次のいくつかに要約できると思う。

 第一は、当初の六ヵ国から今では二十何ヵ国かに増えてしまったEUだが、二十数ヵ国がまとまれば相当な影響力を発揮できるはずなのに、一国でも反対すれば、いかなる政策も成立は不可、となっていること。

 多数決でさえもないのだ。全員一致なんて、マンションの管理委員会でさえも不可能なのに。また、人口五千万の国でも人口五百万の国でも、EUの決定に投ずる票数は、一票で同じ。

 マンションでも票数は、各住戸の占める面積によって差がつけられているのである。国内総生産に対する財政赤字の割合も、国別の人口では差をつけてはいけないという理由で、どの国でも同じに三パーセント以下が要求されている。

 人口五百万の国でホームレスをなくすことは、さしてむずかしい話ではない。だが、五千万の国では、ホームレス全廃は不可能だ。

 すべてがこのような具合で、一国だけでは影響力がないから一緒になったのに、その中の一国が反対しているので一緒の行動もとれない、という笑うに笑えない状態でニッチもサッチもいかなくなっているのが、EUの現状なのである。

 民主主義、その根元である権利の平等、を堅持したいのはわかる。だが、民主主義を機能させるには誰かが指導力を発揮しなければダメなのだが、それを率先して引き受ける胆力の持ち主が、人口五千万クラスの国の政治家にさえもいない。

 民主主義をとなえていれば民主主義は守れると信じている善男善女は、羊の群れを柵の中に入れるには羊一匹ずつの自由意思を尊重していてはいつになっても実現せず、羊飼いが追い込んでこそ現実化するのだという事実を、考える必要もないし考えたくもない、と思っているのであろうか。

 ギリシャは、救済する必要はあるのか。歴史的・文明的・文化的に見れば、答えは「イエス」である。ギリシャが入ってないと、ヨーロッパ連合とは言えなくなるからだ。

 なにしろ「ヨーロッパ」と言う言葉からして、二千五百年昔のギリシャ人が発明したのである。言葉を創造したということは、理念も想像したということだ。

 古代のギリシャ語を受け継いだ古代のローマ人がラテン語に直し、そのラテン語を語源にして生まれたのが、英語・仏語・独語の六十パーセントの言葉である。

 理工科系の言語はギリシャ語を直接に語源としたものが多いので、これまで加えれば、現代の欧米人の言語とそれに拠って立つ理念の八割までが、古代ギリシャ人に負っているとしてもまちがいではない。

 とはいえ、二千五百年昔のギリシャ人と現代のギリシャ人が似て非なる民族であるのはもちろんだ。

 われわれの知っている、ゆえに深い敬愛の想いなしには口にすることもできないギリシャは、その文明の象徴であったオリンピックが、キリスト教化したローマ皇帝によって四世紀末に廃止されたときに死んだのである。

 あの国では、歴史は中断されたままつづいている。産業も、観光以外は事実上存在しない。この国を助けることは、永久に援助しつづけることを意味する。産業がまったくない、京都とでも思って。

 だからこそ、このギリシャを追い出したのでは、ヨーロッパとは言えなくなってしまうのだ。ゆえに、ギリシャ救済とは、経済的な問題ではなく、政治的に処理する問題だと考えるべきなのだが、それを引き受けることに、EUの首脳たちは踏み出せないでいる。

 世論の反対が、具体的には次の選挙が、恐いからである。それで、時間だけが無駄に過ぎ、つまりすべての対策が「トゥーレイト」になり、ギリシャの状態は悪化しつづけるというわけだ。

 メルケルとオルランドが会って、ギリシャはEUに残るべきと公表する。しかし、どうしたら残れるかの具体策は、ブリュッセルに駐在している、いわゆる専門家たちに丸投げする。

 ところがその専門家たちが上げてきた数字を見るや、あまりのひどさに動揺したメルケルは、政治的判断を下す勇気を失い、ギリシャ側に言うのは、ダメよ、これではとてもダメよ、でしかなくなる。

 こうしてギリシャ問題は延期につづく延期で、ギリシャに住む人の唯一の自衛策が銀行からユーロを引き出すことだけ、になってしまったのである。

 政治リーダーに求められる最大の資質は、これこそ古今東西の別なく、胆力ではないかと思うこの頃だ。辞書は、この胆力を、何事にも動揺しない気力であり、度胸であると説明している。 』 (第90回)