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悠久の歴史のなかで・・・

いつも読んでいただき、ありがとうございました。
まだ沢山書きたいことはありますが、これで終わります。

最古のガラス製品

2025-04-10 19:58:40 | 日記
 最古のガラス製品は、古代エジプトやメソポタミアの遺跡から発掘されたガラス玉とされています。紀元前4500年頃、青色の焼き物「エジプト・ファイアンス」が製作され、これがトルコ石やラピスラズリの代用品として装飾品に利用されました。この技術にはケイ砂、炭酸ナトリウム、炭酸カルシウムなどの素材が使われ、これが後にガラス製造の基盤となります。
 古代エジプトでは、紀元前24世紀頃の第四王朝時代にガラス吹製の技術が存在していたことが記録されています。さらに、紀元前15世紀にはエジプトと西アジアでガラス製造技術が急速に発展し、色付きガラスの塊や器、ビーズなどが作られました。エジプトでは天然ソーダをアルカリ源として使用し、ナトロンガラスが製造されました。
 紀元前1世紀頃、ローマ帝国では透明なガラス器「ローマングラス」が製造され、ガラスの使用が一般的になりました。その後、ガラス工芸はさらなる進化を遂げました。ササン朝ペルシアでは独自のカット技法を用いた「ササングラス」が作られ、中国では鋳造ガラスや吹きガラスが発展しました。また、12世紀頃にはベネチア共和国で高度なガラス工芸技術が花開き、「ベネチアングラス」として知られる美しい装飾ガラスが製造されました。
 ガラスは時代を超えて進化し、人々の生活や文化に深く根付いてきました。ガラス製品は、化学技術と芸術が融合したものでもあります。



最古の自動販売機の発明「ヘロン」

2025-04-09 18:11:28 | 日記
 今では自動販売機でペットボトルを買うのもスマホでピッですね。本当に便利になったものです。

 最古の自動販売機の発明は、紀元前1世紀のエジプト、アレクサンドリアで活躍した発明家ヘロン(紀元10年頃 - 70年頃)が著作した『気体装置(Pneumatika)』にあります。寺院で使用される聖水を効率的に供給する装置を設計しました。この自動販売機は、完全自動で5ドラクマ硬貨を投入するとレバーが動き、一定量の聖水が流れる仕組みでした。ヘロンの発明は重力と機械的原理を利用したシンプルな構造であり、宗教儀式の効率化を実現した画期的なものだったようです。また、ヘロンは蒸気動力装置「ヘロンの蒸気機関」など、多くの革新的な技術を生み出したそうです。
 その後、自動販売機の技術は19世紀にイギリスで切手を販売する装置が開発され、これが現代の自動販売機の原型となりました。さらに20世紀に入り、アメリカやヨーロッパ、日本でも多様な商品を販売する自動販売機が登場し、広く普及していきました。特に日本では、1950年代に飲料自動販売機が登場し、それが現在の自動販売機文化の基盤となっているとのことです。



世界最古のクレーム「エアナーシルへの苦情」

2025-04-08 18:09:45 | 日記
 歴史に関する記事を検索していたら、古代メソポタミアに関する面白い記事がありました。

 紀元前1750年頃、シュメールの古代都市ウルに住んでいたナンニという男性が、銅の商人エアナーシルに対して苦情を記した粘土板を送りました。この粘土板は「世界最古の書面に記された顧客からの苦情」ということで、ギネス世界記録に認定されています。
 青銅器時代のメソポタミアでは、青銅器が主要な道具として使われ、その材料となる銅は重要な商品でした。銅の取引記録も多く残されていますが、時にはトラブルも発生しました。ナンニもその一人で、エアナーシルから購入した銅の品質が低かったため、粘土板にクレームを記し、メッセンジャーに届けさせということです。
 この粘土板のサイズは11.6cm×5cmほどで、表と裏の両面にびっしりとエアナーシルへの苦情が記されています。1922〜1934年に行われたシュメールの古代都市ウル(現在のイラク南部)の発掘調査で、おそらくエアナーシルの住居と思われる場所から発見されました。アメリカ人の考古学者であるアドルフ・レオ・オッペンハイムによって解読され、1967年の著書「Letters From Mesopotamia(メソポタミアからの手紙)」でその内容が報告されています。
 古代も現代もトラブルはありますね。

ブラックホールの発見

2025-04-07 12:30:18 | 日記
 ブラックホールは、宇宙空間に存在する天体のうち、極めて高密度で、極端に重力が強いために物質だけでなく光さえ脱出することができない天体です。
 ブラックホールの発見と研究の始まりは、18世紀末、イギリスの科学者ジョン・ミッチェル (1724–1793) やフランスの物理学者ピエール=シモン・ラプラス (1749–1827) が、この天体の存在を仮定したのが始まりです。その後、1916年にドイツの天文学者カール・シュヴァルツシルト (1873–1916) がアルバート・アインシュタイン (1879–1955) の一般相対性理論を基にブラックホールの数学的解を見つけました。しかし、この時点ではあくまで理論上の存在でした。
 観測による進展が見られたのはX線天文学が発展した20世紀後半になってからです。1970年、「はくちょう座X-1」という天体が初めてブラックホールとして注目されました。この天体は連星系に属し、周囲の物質を吸い込むことでX線を放射していることが確認されました。また、2019年にはイベントホライズンテレスコープによって、M87銀河の中心にある超大質量ブラックホールの「影」が初めて撮影され、ブラックホールの存在が視覚的に証明されました。  
 ブラックホールの研究は、宇宙の根源を探る壮大な挑戦として続けられています。

古代ローマの軽食店「バール」

2025-04-06 15:36:57 | 日記
 健康のためには1日3食、バランス良くしっかり食べることだと思います。古代ローマの人々も1日3回の食事をとっていたそうです。

 古代ローマでは外食が庶民の食生活を支える重要な一大産業となっていました。その背景には庶民の家々ではかまどや台所がなく、家庭での調理が困難だったことがあります。そのため、多くの人が日常的に外食を行っていたようで、軽食店「バール(Bar)」が重要な役割を果たしました。バールはポンペイだけでも118店舗が存在し、現代のファーストフード店に近い感覚で利用されていたようです。
 バールの店頭には、石やセメント製のL字型カウンターが設置され、その中に陶器製の壺が埋め込まれていました。この壺は断熱材で覆われており、食材の保温や保冷が可能でした。料理が入ったオーブンや鍋を設置した店もありました。提供される料理は「プルス」という小麦の粥をはじめ、果実、肉料理、サラダ、オムレツ、ワイン、熱湯など多岐にわたり、人々の胃袋を満たしていました。立ち食いが一般的でしたが、椅子やテーブルのある店舗もありました。
 バールは単なる飲食店の枠を超えて、大衆文化の発信地でもありました。