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悠久の歴史のなかで・・・

いつも読んでいただき、ありがとうございました。
まだ沢山書きたいことはありますが、これで終わります。

小惑星の衝突「チクシュルーブ衝突」

2025-04-20 15:39:45 | 日記
 2032年に地球に衝突する可能性がある小惑星について、衝突確率が0.0013%に減少したとのニュースがありました。衝突確率は一時2.86%まで上がったようですが、衝突する心配はほぼなくなったとのことです。一方、月に衝突する確率は1.7%にあがったそうです。

 地球の歴史を振り返ると、小惑星の衝突は決して稀な出来事ではなく、生命の進化や地球環境に大きな影響を与えてきました。約6600万年前の「チクシュルーブ衝突」は、恐竜の絶滅の原因となったのではないかと多くの人に知られています。
 現在のメキシコ・ユカタン半島に直径10〜15キロメートルもの巨大な小惑星が衝突したこの出来事は、想像を絶するもので、大量の塵や硫黄化合物が成層圏に放出され、地球規模の寒冷化や暗闇、酸性雨といった過酷な環境変化をもたらしたといわれています。巨大な津波や地震も発生し、当時の生態系に壊滅的な打撃を与えたことは疑いありません。しかし、この大絶滅を生き延びた一部の生物が新たな進化を遂げ、現在の多様な生命へと繋がっていることも事実です。
 地球環境の歴史は、宇宙からの影響と密接に関わっているのですね。

白色矮星

2025-04-19 17:30:53 | 日記
「白色矮星」ってご存知でしょうか。とても不思議な星です。

 太陽のように比較的軽い恒星が、中心部で核融合反応によってエネルギーを生み出していた燃料が尽きると、星は収縮を始めます。収縮が進むと、星の外層は宇宙空間へと放出され、惑星状星雲と呼ばれる美しい天体を作り出します。中心に残った核は、非常に高密度な状態になります。これが「白色矮星(White Dwarf)」です。
 白色矮星の大きさは、地球程度と非常に小さいにもかかわらず、質量は太陽に近いものもあります。そのため、その密度は非常に高く、スプーン一杯の白色矮星の物質は、地球上で数トンもの重さになるとのことです。
 白色矮星の発見は、1844年にドイツの天文学者フリードリヒ・ベッセル( 1784-1846)によってもたらされました。彼は、夜空で最も明るい恒星であるシリウスの固有運動を精密に観測する中で、その運動がわずかにふらついていることに気づきました。ベッセルは、このふらつきは目に見えない伴星の重力によるものだと推測しましたが、その時点では直接観測することはできませんでした。
 そして1862年、アメリカの望遠鏡製作者であるアルヴァン・クラーク(1804-1887)が、自身が製作した新しい18.5インチの屈折望遠鏡の試験中に、シリウスの近くに微かな光点を発見しました。これが、ベッセルが予言したシリウスの伴星、後にシリウスBと呼ばれる白色矮星の最初の直接観測となりました。シリウスBは、明るいシリウスAのすぐそばに位置するため、その発見は非常に困難でした。
 
 現在では、数多くの白色矮星が発見されており、それらは恒星の進化や銀河系の構造を理解する上で重要な役割を果たしています。


エジソンの発明「電気式投票記録機」

2025-04-18 17:05:01 | 日記
 4月18日は「発明の日」です。1885年(明治18年)4月18日に、初代特許庁長官を務めた高橋是清らが「専売特許条例」を公布したことが由来です。

 トーマス・アルバ・エジソン(1847-1931)は、アメリカ合衆国の発明家であり、実業家としても知られています。彼は「発明王」として生涯にわたって1,300以上の発明を行いました。
 エジソンの最初の大きな発明は、1869年の「電気式投票記録機」でしたが、これは商業的には成功しませんでした。この装置は、彼が最初に特許を取得した発明品です。議会での投票を迅速かつ正確に記録できるものでした。手動での投票集計の手間を省き、迅速な結果の取得が可能になると考えられていました。しかし、この装置を国会に売り込もうとしたところ、議員たちからは「われわれの最も必要としない装置」と拒絶されました。議会の投票には駆け引きがあり、時には投票に時間をかけて議事を引き延ばすことも重要と考えられていたためです。この失敗はエジソンにとって大きな教訓となり、「発明は必要性が優先であり、大勢の人に本当に役立つものでなければならない」という考えを持つようになりました。
 エジソンはその後も発明を続け、1877年には蓄音機を発明しました。この発明は大きな成功を収め、エジソンの名は広く知れわたりました。さらに、1879年には白熱電球を改良し、実用化に成功しました。
 エジソンの発明は、現代の産業の発展に大きく貢献しています。

火星の石

2025-04-17 19:08:08 | 日記
 大阪万博が開催され、火星に存在していたとされる「火星の石」が一般初公開されています。その隕石が見つかったのは、なんと南極。日本の南極観測隊が2000年に南極のやまと山脈付近で発見したそうです。

 火星は、地球のすぐ外側を公転する、太陽系で4番目の惑星です。その赤い外観から「赤い惑星」とも呼ばれています。大きさは地球の約半分、質量は約1/10と小ぶりで、大気は二酸化炭素が主成分でありながら非常に薄く、平均気温は-60℃程度と極寒の世界です。1日の長さは約24.6時間、1年の長さは約687日と、地球と似たような時間の流れを持っています。衛星としては、フォボスとダイモスの二つが確認されています。
 火星の表面は、酸化鉄、つまり赤さびによって覆われており、太陽系最大の火山であるオリンポス山や、巨大なマリネリス峡谷など、地球とは比較にならないほどの規模の地形が存在します。
 火星探査は、1965年にアメリカのマリナー4号が初めて火星の表面の近接画像を地球に送信したことから本格的に始まりました。その後も、マーズ・グローバル・サーベイヤーやマーズ・エクスプレスなど、数々の探査機が火星の地形や大気、地下構造などを詳細に観測し、火星にかつて水が存在した可能性や、地下に氷が存在する可能性など、重要な発見をもたらしました。現在も、マーズ・リコネッサンス・オービターなどの観測衛星や、キュリオシティやパーサヴィアランスなどの探査車が火星の探査を続けています。


レオナルド・ダ・ヴィンチの日

2025-04-16 20:30:14 | 日記
 4月15日は、その功績から「レオナルド・ダ・ビンチの日」とされているそうです。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年4月15日 - 1519年5月2日)は、ルネサンス期において、芸術家としてのみならず、発明家としても傑出した才能を発揮しました。彼が残した発明の数々は、当時の技術水準を遥かに超えるものであり、現代においてもその独創性は色褪せることがありません。
 特に飛行への強い憧憬を抱き、鳥の飛翔原理を詳細に観察し、それを応用した数々の飛行機械を考案しました。現代のヘリコプターの原型とされる「航空スクリュー」や、鳥の翼の構造を模倣したグライダーの設計図は、彼の先見の明を示すものです。
 さらに、ダ・ヴィンチは、潜水服や機械式計算機、走行距離計、織機、印刷機、旋盤など、日常生活や産業に貢献する様々な機械の発明にも取り組みました。これらの発明は、彼の探求心が多岐にわたる分野に向けられていたことを物語っています。
 そして、芸術家としてのダ・ヴィンチは、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」などの傑作を生み出しました。「モナ・リザ」は、その神秘的な微笑みと、スフマート技法による滑らかな陰影が特徴であり、見る者を魅了し続けています。「最後の晩餐」は、イエス・キリストと十二使徒の最後の晩餐の場面を描いた壁画であり、人物の心理描写と、遠近法を駆使した構図が圧巻です。これらの作品は、ダ・ヴィンチの卓越した技術と深い洞察力を示しています。