「井の中の蛙、大海を知らず」

ガンボチローズリーダー、アラヤのブログ。知名度はそこそこあるが、ライブに人が来ないのが悩みの種。

どうでもよいギター雑談

2018-04-26 23:41:31 | 日記
いきなりですが、

まあ、そこそこの年月ギターを弾いていると、
まあ、色々なギターにそこそこ巡り会ってきた訳です

しかし!ワタクシの場合、若い頃の「飲む、打つ(博打)、買う」の悪癖が原因で、
右から左へと、まるで川の流れのように(笑)
中には素晴らしいギター達を、手放した過去がありましてね、ええ。



さて、今回のブログ。

そんな、1度は所有してたギター達の中でも、特に印象が強いギターの感想や、思い出話なんかを綴っていこうかなと。

とは言え、「これから同じギターを手に入れたいなぁ」って方々には、まったく参考にならないかもだし、
基本的に若い頃の自分への、後悔と怨念がこもった記事になりそうなんで(苦笑)

「ああ、こうは絶対なりたくないな」との反面教師的な感じで、読み飛ばしてもらえればと(笑)



初めて買った(買ってもらった)ギターといえば、
12歳。
中学校の進学祝いに、雑誌の通販で「激安セット¥19800」で売ってたハリーってブランドのギター。
そして高校生の頃、バイトして手に入れたオービル・バイ・ギブソンのレスポール。




多分、今も実家にある。

フェルナンデスやらトーカイやらのギター(勿論ハードロック仕様)もあったが、
基本的に学生時代は、この2本のギターをイジり倒して使ってた。

誰に影響されたんだか、パーツ変えたり、ネック変えたり、ピックアップ変える為に彫刻刀でギター彫ったり、塗装を塗り変えたり、、、
イジり倒すなんてカッコつけて言ってるけど、ド素人の子供がやってるもんだから、改造というよりは、ほぼ破壊状態(苦笑)

しまいには、ピックアップを自作しようとバカやってね。当時、1個で1万〜2万のピックアップを何個も壊してしまった。

まあ、それでも満足して使ってたし、基本的なエレキギターの仕組みを知れたから、良しとしておくが、
これからギター始めようって方々には、決してオススメできない行為ではある(笑)



そして1989〜1990年くらいかな?新社会人となってから、「えい!」と気合いを入れて買ったギター。


1959年製ギブソン レスポール・スペシャル(ダブルカッタウェイ)

と、もう1本。


1970年製アンペグ/ダン・アームストロング ルーサイト・ギター

この辺りから、後悔と怨念が強くなってくるんで閲覧注意(笑)

この2本。池袋にあった中古楽器屋さんで、一気に2本同時に購入。でも今の相場からすれば、ビックリする金額。まだまだこの時代は、中古品扱いでホントに安かったのです。

当時、本格的にバンドを始めてね。ちゃんと真剣にやろう!と気合い入れて、よく町田の練習スタジオに、このギターを持って通ってた。「真剣に」って言っても、別にバンドを職業にするって訳じゃあないんだけど。

特に、上のレスポール・スペシャル。59年製だけあって、写真みたいなピカピカじゃなく、もう傷だらけでボロボロの状態だったけど、

このギターのおかげで、P90ってピックアップの信者になってしまったくらい、素晴らしい音だったなぁ。まだ音の良し悪しも分からない、若僧だった自分でもね。

たとえバンドが爆音でも、ちゃんと通る音というか、ホントに良い音って低音でも高音でもなく、バランスなんだなぁと思ったギター。いや個人的な話。

一方の透明ギター。俗に「クリスタルギター」って呼ばれてるんだけど、アクリル樹脂で作られているせいか、メチャクチャ重い。

持ち運びで汗だくになるんで、もっぱら自宅用だったけど、
ボディが木材の反響と違い、アクリル樹脂だとサスティンが凄いんで、個人的には使い勝手が悪かったギター。スライド弾く時は、良いんだけどね

因みに、どちらも売ってしまったんだけど、
59年レスポールは、地元岩手に戻るタイミングで先程のバンドのメンバーに「買った金額より凄い上乗せするから!」と乗せられて、譲ったんだけど、、、

現在、このギターの相場を見たら、、、(涙)

早くタイムマシンが開発、実用化するべく、世の中の科学者には早急に頑張ってもらいたいと思う(号泣)



さて、地元岩手に帰って、今でもご贔屓にしてる楽器屋さんから買ったギター。

これはしばらく使ったなぁ。


1960年代製?(多分、60年代中〜後期だと)
ギブソン ES-330

詳しい方には周知の事実だけど、このギターと全く同じ仕様がエピフォン、カジノというギター。

当時はギブソン ES-335という機種が人気だったお陰で、まったく人気のなかったギター(苦笑)
そのせいか、これまたビックリするぐらい安い価格で購入。

でも個人的には、人気のES-335とは違ってフルアコ構造で軽いのと、ピックアップがP90だったから、凄く使い勝手が良かった。不思議と59年レスポール・スペシャルと同じ音が出たんだよね。

その後しばらくして、そのレスポール・スペシャルの亡霊に取り憑かれたのか、諦めきれない未練なのか、
地元の、今は無き楽器屋さんで見つけたギター。


新品(90年代)ギブソン レスポール・スペシャル
(シングルカッタウェイ)

これはねぇ〜。当時、標準生産の中でもキズが付いたとか、とある理由があってB級品として売られていたギター。
いや、別にキズなんて全然気にしないが、もうギブソンって会社を疑うくらいのクオリティだった

フレット擦り合わせが酷かったり、内部の配線が断線したりと、まあトラブルだらけのギター(汗)

流石に、現在はそんな事は無いんだろうけどね。

そんな同じ時期に、ローウェル・ジョージとロビー・ロバートソンに憧れて、手に入れたギター。


新品(90年代)フェンダー・USA ストラトキャスター

と、地元岩手では老舗の三○無線という中古品屋さんで見つけたギター。


70年代製グレコ テレキャスター・デラックス


年代不明グヤトーン ラップスチールギター

ラップスチールギターは、別楽器というか、また別物だけど。一応ギターと名前が付いてるんで。

ラップスチールギターは買った時に、中古品屋のおばあちゃんに、
「あら〜、今どき珍しい!あなた、まだ若いのにワイアンやるの!?」と、聞かれ

「ワイアン??、、、、、あ!ハワイアンか!」と、頭の中で理解するのに数秒掛かってしまい、変な沈黙があった事を思い出す(笑)

僕の人生の先輩方は、ハワイアンをワイアンと略すって事を勉強しました(笑)志村けん→しむけんみたいな話。

そしてストラトに関しては、決して!!
クラプトン、ベック、ジミヘン、レイボーンの影響ではない!と、しつこく断言しておきます。

あくまで、ローウェル、ロビーだからね。まあ、でも実際、あまり出番は無かった。ストラトは

しかし、この辺りになってくるといい加減、
「もう、何のギター使っても一緒。要は自分の指、手、腕の弾き方次第なんだよなぁ」

と、思うようになってね。「もうギターなど、何でもいいや」と思うようになっちゃって(苦笑)

って言ってる割には、他に
フェンダーテレキャスやら、エピフォンカジノやらを安く手に入れて使いながら、

結局、40歳手前くらいから落ち着いたのがコレ。


1969年製モーリス ES-175モデル

この写真は綺麗で立派にに見えるけど、当時は初心者向けの日本製ギター。
材質も安いベニヤ合板だから、軽く爪を立てただけで、爪の後が残るギター(笑)

でも自分的には巡り巡って、落ち着いた所は結局

初めて手にしたギター「初心者向け、激安セット」のギターと、ほぼ同じクオリティのギターに落ち着いてしまったというオチです(笑)

音も歯切れの良いチープな感じで(笑)、実は気に入ってたんだけど、ネック折れという修復不可能なトラブルを経て、、、

現在では、



グレッチ 6120というギターに落ち着いてる訳です。

先程、「ギターは何を使っても、自分の技量がないと一緒!先ずは自身のスキルアップから!」的な事を、書くには書いたが、、、

やはり、ギターが好きな人にとっては、個人の好みや趣味は違えど、欲しかった憧れのギターを手にした時って、凄く嬉しいもんなんだよね。

実際、僕自身、欲しかったギターを買った時は、時間を忘れてずっと弾いていたし、今でも楽器屋さんへ行ったら、
まるでトイザらスではしゃいでる、子供のようにワクワクするもんなんです(笑)

どんな楽器も、その人にとっては大切な出会い!

僕のように手放してしまわず、ずっと大事になさってほしいなぁと思う訳です。



なんか説得力の無いオチと写真だけど(笑)

最後までお付き合い、ありがとうございました。




新春雑談、2018

2018-01-17 16:20:36 | 日記
だいぶ遅ればせながら、明けましたね。2018年

今年もワタクシアラヤ、いつも通り(シュガー・ベイブ)つたない音楽をやっていこう!と思ってますんで、
何卒、よろしくお願いしたいなと思う次第です。



2018年、明けて第1回目のブログは映画の話などを。
とはいえ、今回は地元の話や、個人的な話が続きます。どうかご容赦を。



いきなり私事で申し訳ないが、我が家の去年最大の出来事といえば「引っ越し」

ワタクシ家族、岩手県北上市から岩手県盛岡市へ移り住むという、一大イベントがあったのです。

大人はともかく、子供達の環境が変わってしまうのを凄く気にしてたけど、
思いのほか、すぐに近所へ遊びに行ったり、仲良くなった友達が家に遊びに来たりで、ホッとした次第。って、親の勝手な事情で引っ越しさせておいてね(汗)

子供達には、迷惑かけてしまったけど(汗)

実は僕も幼少の頃は、引っ越しばかり。沖縄県那覇市から岩手県盛岡市へ。盛岡市に移ってからも盛岡市の中で7回と、まあ多かった(苦笑)


那覇市安里にて。

もういいオッさんだし、別に隠すような大した事じゃあないんで言ってしまうけど、

両親の離婚で、盛岡市にやってきたウチら母子家族。すぐさま母親は、スナックのホステスさんの仕事を始めて、小学校低学年の頃から学校から帰ると、親は仕事へ向かうという入れ違いの生活。

(こんな事を言うと「大変だったねぇ」みたいな、同情めいた事を言ってくる人が、たまにいるが、、、いやいや、すぐ慣れるから!そんなもん! 笑)←心の声

そんな、夜は1人で留守番という娯楽の少ない生活を、不憫に思ったのか
映画だけは、よく映画館に連れて行ってもらった。

ん?不憫? いや違うな、ウソだな(笑)

あれは母親が深夜に仕事が終わって、その後、翌朝〜午前中まで飲み歩いてのついでだな(笑)

必ず、酔っ払いの状態で僕を呼び出し、アニメや特撮モノの映画のリクエストは「周りのガキがうるさい!」と、却下されたし(要は自分が寝たいだけ)

スイマセン、話を美化してしまいました(笑)

ここで地元、盛岡市の話をちょっと。



今でも盛岡市の繁華街には、「映画館通り」という場所がある。

現在では、映画館が大型施設に吸収されちゃって少なくなったけど
その昔は「東映パラス」「松竹」「東宝」、その他洋画系の「名劇」「中劇」「ピカデリー」
さすがに子供は入れなかったけど、「日活ロマンポルノ」等々、
映画館が1本の通りに、ひしめき合っていたのです。

映画館通り以外にも、県庁裏には「S・Y 内丸」
盛岡駅前には「駅前地下映画館」(←ここも実はポルノ系 笑)等、田舎の地方都市にしては、映画館って充実してた気がする。

そんな街で、小さい頃から映画を観てるんだけど今でも印象深くて、記憶に残ってる映画がある。

当時は寅さんシリーズと同じくらい人気だった
「トラック野郎」シリーズの映画だったり



その「トラック野郎」の同時上映で観た、「ドランクモンキー酔拳」って映画のおかげで、今だにジャッキー・チェンの大ファンだったり。

お恥ずかしい話、たびたびこのブログでも触れてる、戦争、軍事関係に興味をもったのは
「ミッドウェイ」「連合艦隊」「ファイナル・カウントダウン」(あのヒット曲とは無関係)
って映画の影響だったり(苦笑)

あ!今思い出した!もちろんリバイバル上映だったはずだけど、チャップリンの「街の灯」って映画は、子供ながらにボロボロ泣いたなぁ。



まあ、これもお恥ずかしい話です(笑)

全くの余談。

たまに、大好きな音楽アーティストをお迎えしてライブを主催する事があるけど、当日のライブ前準備中の雑談で
「どうなの?アラヤ。今日のお客さんの入りは」とか、「何人くらい来そうな感じ?」とよく聞かれるが、

「もう凄いっすよ!!フィールド・オブ・ドリームスのラストシーンみたいに、今夜このライブに向かう車で盛岡市、大渋滞っすよ!!」

と、映画に例えて言う時がある。



↑ こんな感じ。

まあ大体「ウソつけ!!」ってツッコまれるが(笑)

余談はさておき、自分の観たかった映画ではなく親の趣味(実際は寝てるだけ)で、観た映画とはいえ
結局は、自分もまんまとハマってしまって、色んな事に興味持って調べたり、集めたり、作ったり

そんな事が、子供の頃から今のオッさんの年になっても、結構な影響力があるのは
まんざら悪い事ではなかったのかな?と思うのです。

実は1番歳下のチビが(4歳)、今年の正月の三が日に初映画館デビューしたんだけど、
途中で飽きるかな?寝るかな?と思ってたけど、全然!目をキラキラ輝かせて、夢中で映画を観てましたっけ(笑)

もしかしたら、自分も子供の頃はチビと同じ感じだったのかな?

また一緒に映画を観に来ようねぇ、と思った2018年のスタートでした。



追伸。

観た映画のチラシや、チケットなんかをクリアファイルに貯めていけば、大人になった時の思い出になるかな?と思ってたけど、、、

さっそく次の日、遊んでビリビリにしちゃった(汗)

そこはまだ、4歳児だな。うーむ(汗)

今年もよろしくお願い致します!



Mr.サマータイム(夏の元気なご挨拶)

2017-09-06 21:51:59 | 日記
いやー、夏のイベントシーズンもひと段落という感じ。

まだまだ秋に向けて、色々とあるんだけどね。


とあるSNSなんか、毎朝タイムラインを開く度に「○年前の出来事を振り返ってみましょう!」と

過去を振り返りたくない(返れない。怖くて)
ワタクシにとっては、それは親切なのか拷問なのか?よく分からない機能が、一般化してる昨今。

スケジュールが一旦空いたのを利用して、あちこち参加したイベント、ライブで個人的に感じた事を、出演させてくれた御礼を含め、綴っておこうかなってのが今回のテーマ。

まあ、オッさんの夏休み感想文的な感じで、サラッと流してもらえればと(笑)

※添付写真は、色々な方々の写真を使わせてもらってます。何卒お許しを!!



イベント日時がちょっと前後してしまうけど、

僕等の夏の風物詩イベントといえば、やはり!

さんさ踊りという8/1~4の4日間、盛岡市の一大夏祭りと並行して行う、佐々木龍大&仲間達によるニートレコード前ストリートライブ。通称「裏さんさ」


今年は11年目とあってか、すっかりそれぞれの役割というか、チームとして出来上がって来た感じがする。

機材、設備は皆んなで持ち寄り、場所セッティングはもちろん皆んなで、チーム監督のニートレコード店主、コンタさんはドリンクを売るだけじゃなく歩道の通行整理、
その他近隣や警察との、ジャックバウアーか真下正義も裸足で逃げ出すくらいの、的確な交渉などなど。

そして僕等は少しでも多くビール、おつまみを買ってもらえるよう、音楽でお客さんを引き止めておく、徹底した売り子としての役割(笑)


そんな感じだからか、もちろん今年も大盛況だったし、

中心の佐々木龍大の言う通り、盛岡市の夏の一つの風景となってきたこのライブに、毎年参加できるのはホントにありがたい事なんです。


最終日。なんだか凄い事になってる(笑)

このストリートライブ、今年はライブの模様を映像、音に記録してくれて、実際僕も音源を聴かせてもらったが、、、

いや~テンションが凄い!これぞライブ!!
ホントに素晴らしい瞬間が録れてると思うんで、

もし何らかの形で世に出る機会があれば、是非、皆様も手に取って聴いてもらえればなぁと思う。まあ、その場合は各日をピックアップして、まとめた感じになるかもだけど。

因みに4日間全部録ったんで、録音物としては12時間以上(もっとか?)あるそうな。

以外、佐々木龍大バンドでの会話。

「いやーこれ、全部出す時ってくるのかなぁ?」

「でも出さないのも、なんか勿体無いよね~」

「あ!バンドの中で誰か死んだ時に、完全盤として出せばいいんじゃね!?」

「アハハハ」

「アハハハ、、」

「、、、、」

「俺か!?それは俺なのか!?(涙)」

うーむ、もし完全盤が世に出る事になっても、僕は手にする事が出来なそうなんで
「メンバー未発表写真(アラヤ多め)100ページ、豪華!ブックレット付き!」
を一緒に出してほしいと思う次第である(号泣)



そしてまた今年も、沿岸部のイベント出演で色々とお世話になりました。

7/23山田町「ウミネコJAM」、8/6大槌町「ありがとうロックフェスティバル」(佐々木龍大バンド)

8/12大槌町末広町「よ市夏祭り」(ガンボチローズ)


「ウミネコJAM」より。

どれも、イベントを立ち上げて携わった方々の、熱い思いが伝わる素晴らしいイベント。

しかしどれもちょっと、天候が良くなかったのもあったんだけど、、、

待ち望んでる、楽しみにしてる方々には、少しぐらいの悪天候なんて関係ない!こちらとしても、凄く気合いが入りましたよ、ええ。

そんな思いが伝わったのか、「ウミネコJAM」では僕等の演奏中、タイミング良く青空が見えたり
「ありがとうロックフェス」は、元FM岩手パーソナリティの高橋チエさんが、イベント準備から当日の様子を熱く!ブログに綴ってるんで、興味のある方は是非こちらを↓

「♪日々、これ、ちえぞう♪」を検索。

そして大槌町末広町「よ市夏祭り」は、なんと7年振りの復活!


って事は震災以後、やっと復活した祭りなんだけど、これもけっこうな雨でねぇ、、、

でもそんな中でも、ホント老若男女、祭りへ繰り出して大盛況!若い子達なんて雨の中だけど、ちゃんとオシャレしてね。

本当に、皆さんこの「よ市」を待ち望んでたんだなぁと、もし来年も参加できるなら是非!参加したいと思った素晴らしい祭りだった。

個人的には、大好きな宮古の本州最東端ブルースバンド「ディンプルス」の、久しぶりのサポートとして、張り切ってギター弾いたり(張り切りすぎて弾きすぎたかも、、、汗。タっちゃん、ゴメン!)


僕も、せっかくならお祭り気分を味わいたく、

これでも小学生の頃「金魚すくい&型抜きのトリックスター」と、地元の子供達の羨望の的だった腕前を披露しようと、金魚すくいに臨んだら1匹もとれず(汗)

屋台の兄ちゃんに失笑されたのは、どうかここだけの秘密にしておいて欲しい(涙)



もう1つ、この夏の思い出として、、、

八幡平市ルーデンス農場にての、「Noujyo-Camp
2017」というキャンプイベントへの参加。

これはガンボチローズ、今年初めて参加させてもらったけど、これもホントに素晴らしいイベントだった。


これも小雨降る中、というか今年の岩手の夏は雨が多くてね。イベント泣かせの夏。

広大な農場の中、皆さんキャンプしながら思い思い、焼いたり飲んだり(笑)ゆったりと楽しんでた

チビッ子達も雨なんてなんのその。知らない子供達ともすぐ仲良くなって、小さな小川で遊んだり、走り回って遊んだりしてね。


実際、音楽だけじゃなく動物達と遊べたり、パン食い競争や腕相撲大会などの参加イベント。

もちろん夜になれば、キャンプファイアーを中心に色々なイベントがあったりと、
「もはや、キャンプ界のディズニーランドか!?ここは!」と彦摩呂も思うくらい、盛りだくさんな内容。

かといって決して商業主義ではなく、「子供も大人も短い夏休み、思い切り目一杯遊んでもらおう!」との、主催者さん達の優しい思いが伝わってくる。


当日、配られてたフライヤー。かわいい。

そんな場の雰囲気だからか、子供達だけじゃなく大人もすぐ打ち解けて(実際、知らないバンドにバンジョーで飛び入りさせてもらったり)

豪華お肉が景品でもらえる腕相撲大会などでも、実に和気あいあいと皆さん楽しんでた。

僕の地元盆踊りのジャンケン大会なんか、景品が洗剤でも、
まるで、ワニ園の池に鶏肉投げ込んだような、殺伐とした修羅場と化してるのを、子供の頃に何度も見てきたが(しつこいようだか、景品は洗剤)

そんなのと比べたら、人間的に恥ずかしくなるくらい、和気あいあいとした光景だった。


キャンプといえば、、、

以前、海沿いのキャンプ場でキャンプしてた時。
夜中、突然のものすごい強風で、テントの骨?(柱?)が全部折れた中でも爆睡してて(一緒にいた連中は車に避難)

朝方、「あのテント、なんか人の形になってるぞ!?」と、テントのシートが、身体ピッタリに巻きついてて(それでも爆睡してた 汗)

まるで王家の谷のファラオのミイラ状態で、皆に発見、救出されて以来、何となくバツが悪くて行ってなかったが、、、

そんな僕でも、またキャンプ用品を一式揃えて!来年も是非参加したいと思ったイベントだった。



まだまだ、紹介しきれてないイベントもありますが、、、

ホントに今年の夏も、色々なイベントでお世話になりました!!

ありがとうございました!




古いヒット曲から想う些事(告知あり)

2017-06-08 14:09:00 | 日記
さて、今回のテーマ。

以前、自分のブログ「キングビスケット・タイム」にも書いたが、
サニー・ボーイの小麦粉のような、ささやかな話題なんかを古いヒット曲から、色々と広げてみようかな?と。

あくまで、どうでも良い雑談(笑)

まあ、仲間と飲んでる時の雑談みたいな感じで、ヒマな時にでも気軽に読み飛ばしてもらえれば、何よりです(笑)

最後にオススメのライブ告知もあります。

お付き合い、よろしくお願い致します。



マーティ・ロビンス「エル・パソ」
(1959年、カントリー、ポップチャートNo.1)

Marty Robbins-El Paso

「エル・パソ」とは、メキシコ国境沿いのテキサスの街の名前。軽快なマリアッチの曲調とは裏腹に、銃弾に倒れ死んでいく流れ者のアウトローを描いた歌。

このマーティ・ロビンスって人。こんな西部劇チックなカウボーイ・ソングがお気に入りだったらしく、似たようなテーマの曲を次々と出してはヒットするんだけど、

西部劇映画が黄金期を迎えるのが、ちょうど1950〜60年代。時代の流行もあってヒットしたんだろうなぁと思う(因みに、僕の大好きな「シェーン」って西部劇映画もこの時代)

しかし、西部劇。特に実在したアウトローを題材にした映画は、史実とは全く違って主人公が正義の義賊、ヒーローみたいな扱いの映画が多いのは何故だろうね?

世界的に有名なビリー・ザ・キッド、ジェシー・ジェイムス、ワイアット・アープ等々、実在のアウトローの実際の史実は、映画のヒーロー像とは程遠く、ロクでも無い一生を終えるのが殆ど。

「流れ者」って聞こえはいいかもしれないが、要は殺人や強盗の罪から逃れるため、州を越えて逃亡生活してるって話だしね(苦笑)

ビリー・ザ・キッド

この写真が約2億円(!)で落札されるくらい、今でも人気が高い。

まあでも、アメリカ南北戦争前後の1800年代当時から人気のあった、大衆向けの安物読み物(10セントで買えるから、ダイムノベルズって呼ばれる)が、
史実の資料としては、全く価値の無いウソっぱちの物語として広まった事実があるし、

我が国でも、例えば太平洋戦争の戦記物や新撰組なんかの話が、今だに美化されて伝わってるのを見ると、、、都合の良い捉え方をしてしまうのは、何処の国も一緒か(汗)



グレン・キャンベル「ウイチタ・ラインマン」
(1969年カントリーチャートNo.1)

glen campbell - wichita lineman

これにも「ウイチタ」って地名が入ってるね。

なんかこの曲、ジャケットのグレン・キャンベルの泥臭さも影響してるのか(笑)、カントリーってカテゴリされる事が多いけど、

色々な人達が「いいねぇ〜」って思えるような、落ち着いた良質なポップスだと思うんだけどなぁ。ホントに大好きな曲。

しかも、この曲の紹介の殆どが「田舎街の労働者の歌」とあるが、ウイチタは決して田舎街ではなく、カンザス州最大の都市(笑)

位置的に、アメリカ大陸のほぼど真ん中にある街なんだけど、
古くから、まだ未開拓だった西部を目指す人々やゴールドラッシュの一攫千金を夢見る人々、西部←→東部を行き来する、流通を支える業者などの中継地点として栄えた街。

そんな地方都市で、電線の架線作業員として働く労働者の日々の生活を、しっとりと歌ってるんだけど、

よく台所で飲みながら、この曲に合わせて
「早く君に会いたいが、俺はまだ電線の上〜〜」
と、勝手に日本語歌詞にして(ほぼ直訳)、気持ち良く歌ってた所、

ワタクシの連れ合いに「せっかくの良い曲なのに、アンタのくっだらない歌詞のせいで台無しだ!!」と、たしなめられたので(笑)

日本語歌詞でカヴァーするのは、やめておこうと思う(笑)



ウィルバート・ハリスン「カンザス・シティ」
(1959年ビルボードチャートNo.1)

Kansas City-Wilbert Harrison

なんか今回は地名特集になっちゃった(汗)

この曲も、その通り「カンザス・シティ」に行ってしまった彼女を連れて帰ろうって歌。ビートルズファンにはポールの熱唱が聴ける、この曲のカヴァーの方が有名なのかな?

でもビートルズがお手本にしたのは、リトル・リチャードのバージョン。個人的にはリトル・リチャードやビートルズより、このノッタリとしたR&Bの感じが好みなんだけどね。まあいっか。

ちょっとややこしい話になるけど、このカンザスシティ。カンザス州ではなく、ミズーリ州にある都市。

カンザス州とミズーリ州は隣同士なんだけど、カンザス州の最大の都市は、先程のウイチタ。ミズーリ州の最大の都市がカンザスシティとなる。

もう地元に帰ってしまったが、以前よく一緒に飲んでたカンザス州出身の娘が、事ある毎に「カンザスシティはカンザス州じゃないよ!ミズーリだよ!」と、
口酸っぱく言ってたのを思い出す(笑)

いつも言うから、なんでだろ?と色々調べてみたら、アメリカ南北戦争時代、
カンザス州は北軍(奴隷解放派)、隣のミズーリ州は南軍(奴隷制存続派)に別れてて、戦争以前から紛争の絶えない物騒な場所だったみたい。

もしかしたら、そんな影響もあるのかな?ってのは考え過ぎだね(汗)
ただ単に、地名がややこしいからなんだろうけど(笑)でも、南北戦争の傷や影響は今だに残ってると思うし、結構深いと思う。

そしてカンザスシティといえば、やはりジャズ!!

ウイチタ同様、古くから栄えた街で、1930年代になると旅廻りの楽団が立ち寄る中継地点、そして禁酒法を逃れた違法営業の店が(素晴らしい)、数多くあった街。そういった場所だから、ジャズ等の音楽が凄く盛んになる。

カウント・ベイシー、チャーリー・パーカー、ジャンゴ・ラインハルト(!)等、今では伝説のミュージシャン達がたむろって演奏してた街、そんな古き良きカンザスシティの音楽を連想させる大好きなバンドがあります!!

バンド名もそのまま、街の名前を名付けた
下田卓さん率いる「カンザスシティ・バンド」

今年も我が地元、岩手は盛岡市にやって来ます!


2017年7/4(火曜日)
カンザスシティバンド ライブツアー
ザ・行商2017 ~夏の東北篇~

Music+BAR crates(クレイツ)
〒020-0024 岩手県 盛岡市菜園2丁目5-13玉川ビル地下

前売り予約 ¥3000 (ドリンク別)
当日 ¥3500 (ドリンク別)

☆ライブ
カンザスシティバンド
ガンボチローズ

☆ディージェイ
シートマン

チケット予約
music+bar crates
08028318029
http://music-bar.net

我々ガンボチローズもこのライブに参加させて頂きます!

前半の長〜い雑談から、この告知の流れが若干強引な気がしないでもないが(汗)

いやいや、なんかジャズと言うと喫茶店でコーヒー飲みながら、難しい顔して腕組んで(笑)冥想にふける音楽と思われがちかもだけど。

それもいいけど、やはり元々ジャズはダンスミュージック。バーやダンスホールで、ノリノリで体感するべき最高の音楽なのであります。

カンザスシティ・バンド-千鳥足のジェニー

カンザスシティ・バンド。メンバー皆さんが素晴らしいミュージシャンなのは勿論ですが、

やはり、バンバンバザールやT字路sでも活躍されてる、リーダー&トランペット下田卓さんの歌心溢れるトランペット、
そして、どこか昭和の匂いというか、懐かしさを感じさせてくれる小粋な唄を、是非とも生で体感して頂きたいなと。

平日ですが、お誘い合わせの上是非とも!

というか、長々とお付き合いありがとうございました。


ステラギター復活大作戦 その2

2017-05-22 06:49:16 | 日記
ステラギターの修復の続きでございます。

前回はボディーを剥がし、内側にナラ材で作った単板をもう1枚貼って補強。その上に反り防止の補強材を接着って所まででした。

単板を剥がしたから、中が丸見えの状態。なかなかアコースティックギターの内部を見る機会もないんで、シゲシゲと眺めていると、、、

いやー、ネックとボディーエンドの所がなんか弱そうだな。よく70年近くももったもんだ。

せっかくなんで、ここも角材でしっかり補強しましょう。


ボディーの縁に沿って木工ボンドを流したのは、裏側の単板の剥がれを防止するため。効果があるかどうかは謎ですが(笑)

あ、因みに木工ボンドは乾くと透明になります。多分この当時の木材の接着は、ニカワという接着剤をつかってるはず。それよりは木工ボンドの方が強力なんだけど、、、音の影響はありそうな気がしますね。なんとなく。



ここでちょっと、どうでもよい雑談。

1940〜1950年代の廉価版ギターを見てて思ったけども。

しかしアメリカの工業力というか、大量生産する時の徹底的な効率化とコスト削減は、古くからよく考えられてるなぁと思う。良い悪いは別にしてね。

自動車のオートマチック車って、実は戦前には実用化され生産、販売されてるし、もっといえば

第2時世界大戦中、重要な戦力とされた航空母艦(いわゆる空母)という軍艦の生産力は、大戦中のわずか5〜6年間の間だけで比較しても、日本は20隻程度しか作れなかったのに対し、アメリカは140隻近く生産してる。

こんなのが140隻。そりゃ負けるわ。

うーん、話が変な方向になってきた(汗)

今でこそ我が日本だって先進国だけども、部品1つとっても古くから職人文化というか、その道の達人じゃないと作れないって事を、重んじてきた日本の文化の差なのかな?と思ったりする。大量生産には向かないけど。

でも自分達の仕事もそうなんだけど、職人文化ってのは未来にも残って欲しいなぁと思うよ。



訳の分からん事を思いながら、接着乾燥を待ってる間、ギターのツヤの無さがフト気になる。

もしかして?と、試しに塗装のツヤを出すコンパウンドをボロ布に付けて拭いてみると、、、

ボロ布にまっ茶色のヤニ、汚れが!!

って事で、僕の大好きな地味で単純な作業(笑)乾燥を待ってる間、ネックの所をボロ布でコシコシと磨く作業を。


分かるかな?ツヤが出てきたの。

いいですねぇ〜。古い時代のラッカー塗装が見えてきました。

この時代のラッカー塗装に使われていた塗料は、今アメリカでは、労働基準だか環境だかの法律で使用禁止なんだよね。確か(違ってたらゴメンなさい)

そして、いよいよ!!今回のメインイベント!!

ボディー単板の貼り直し作業。

少しづつ合わせながら、

接着していきます。

って、あっさり書いているけど、実はこの作業がメチャクチャ大変だった!!

一度、単板を剥がしたもんだからギターが歪んちゃってね。まあ、古いギターってのもあるけど、合わせるのが一番苦労しました(汗)モタモタしてると、木工ボンドが乾いてきちゃうし(汗)

これでまた一晩放置して、、、


出来ました!!

その後、ブリッジの位置がズレていたんで、ナットから12フレットの長さと、同じ長さになるように位置を調整して、

なんとか完了。でも写真を見れば分かるけど、ボディーにも汚れやら、接着の時にはみ出たボンドの跡とかがあって、かなり汚い。

なので、今度は全体をコンパウンドで磨く作業。

「キレイや、キレイやでぇ〜」と呟きながら(ほぼ変態)、コシコシと磨いてると、、、

いいですねぇ〜。分かるかな?以前は汚れで見えなかったけど、ラッカー塗装された古いギター特有のクラック(塗装のヒビ割れ)が見えてきました

以前所有してた、1960年製のギブソンES-330にも、このクラックがびっしり入っててね。これを見ながら、酒が飲めるくらい大好きなんです。クラックが(まあ変態)



また話は脱線。

個人的に楽器(特にギター)は、ラッカー塗装の方が絶対に良いと思う。

自分の仕事の家具製作も同じなんだけど、製品としての見た目の品質を重視すれば、数年経てばヒビ割れがはいるラッカー塗装はダメなんで、トラブルの少ないウレタン塗装が今では一般的。

けど楽器としての音を考えたら、硬くパリッとしたラッカー塗装の方が共鳴は確実に良い。硬い塗膜だから、ヒビ割れは起こるんだけどね。

1度、その音の違いを自分のグレッチギターで試したいなぁ。でも、パーツを全部外すのが面倒臭くて(汗)



そんなこんなで、外したパーツを元に戻したり、フレットの高さの擦り合わせなんかの細かい作業を経て、完成です。


肝心の音はというと、、、

あれ?音質は変わらないんだけど、若干音量が少なくなった気がする(汗)

まだ馴染んでないから、何とも言えないけど、、
もしかしたら、ボディー単板を厚く補強した事によって、音の共鳴が少なくなったのかな(汗)

ま、まあ、ネックの反りも無くなってかなり弾きやすくなったし、チューニングの狂いもなくなったし、補強もしたんで(実はかなり動揺してる 汗)

あと、最低でも50年は弾き続けられる楽器になったって事で、良しとしましょう!!ピックアップを付けて、エレキギター的に使うのもアリな気がしますね。

ステラギター復活大作戦、ひとまず終了。

長々とお付き合い、ありがとうございました。