前日9月6日に横手駅前プラザホテルに宿泊して、朝9時頃湯沢へ向けホテル出発しました、この日は天気予報通り快晴で、温度が上がるらしい、予報温度32度程になる予定、朝から暑い・・・幸い車のエアコンを直してきたので、車の中は、快適ですが、一歩外へ出ると暑い・・・・途中十文字 道の駅に立ち寄り、めずらしいものを物色して、湯沢に向けてひた走り・・・・知らないうちに、ここが湯沢市内か~と思いながら、目的地の秋田トヨタ湯沢店を探す、昔インペリアルというパチンコ屋の後を改装した現場ですっかりきれいになり、15日OPENなのに、看板もまだついてはいなかった、又、外回りのロードヒーティングの床コンクリート打ちも、盛んに行われていて、外部はてんやわんやでしたが、私たちは、椅子のメーカー(リネア ジャパン)のKさんが、東京から夜間高速バスで来ていただき納品を手伝っていただく予定で、現場で合流しました、ハイエースに積んで持って行ったテーブル6台を先に組み立てて、午後から椅子の入荷待ちです。お昼なので、Kさんと私たちとで、あらかじめ調べておいた近くの本場稲庭うどんで有名な、お店「佐藤養助湯沢店」へ行きました・・・・さすが本場の稲庭はおいしい・・・・うどんを満喫して現場に戻り、運送会社の到着を待つ・・・・・無事納品完了しPM4:00頃現場を後にして今晩の宿泊先秋田のホテルへ・・・・お疲れさまでした。Kさん、お手伝いありがとうございました。
お昼のランチに行った本場稲庭うどん店
湯沢市の歴史
この地域には古くから人が住み、縄文時代の遺跡が多数発掘されています。平安期の謎に包まれた才女「小野小町」は、湯沢市小野が生誕地と言われ、岩屋洞などの多くの史跡や伝承が守り継がれています。米ブランド「あきたこまち」「新幹線こまち」の名称はここから
1193年には、小野寺氏が稲庭城を築き、約400年にわたり統治したと言われ、関ヶ原の戦いの後、1602年には佐竹領となり、市内各所に小野寺氏、佐竹氏の時代から伝わる祭りや文化財などが多く見られます。
1603年、佐竹義種が城主として湯沢城に入城以来、湯沢は佐竹南家の城下町としてその街並みが形成されました。1606年には院内銀山が発見され、藩直営の銀山として繁栄し、最盛期には銀山の人口が15,000人を数え、天保の盛り山と言われました。明治38年には奥羽本線が全線開通し、昭和38年に皆瀬ダムが完成、平成8年に国道108号鬼首道路、平成9年に湯沢横手道路が開通し、生活基盤の整備が進みました。