羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その3)
吉井源太翁の功績 | |||||||
文政9年(1826)、吾川郡伊野村生まれ。 | |||||||
家は代々御用紙漉きで、幼少より俳諧、南画を学ぶ | |||||||
裕福な少年時代を送りました。紙漉きには並々ならぬ | |||||||
情熱をもって打ち込み、まず初めに大型の簀や桁を発明。 | |||||||
紙の生産量を倍増させ、発明の連続で新製品の抄出に | |||||||
成功、「紙の伊野」の基礎を築きあげた。 | |||||||
維新後、製紙に関する藩の束縛統制の撤廃によって、 | |||||||
水を得た魚のように活躍を始めます。 | |||||||
明治初年には、楮、三椏、雁皮混合の大小半紙といった新製品 | |||||||
を各種開発、さらに、経済性・防虫のため米糊に代え | |||||||
白土の使用を始めました。 | |||||||
また、精巧な典具帖紙の抄造など、数々の改良や技術の発明を | |||||||
世に送り出すとともに、最期まで、全国の製紙技術の指導に | |||||||
全力を尽くしました。 | |||||||
その業績は、日本国内はもとより、アメリカをはじめ、 | |||||||
諸外国に広く認められています | |||||||
吉井源太翁の富嶽の絵馬
椙本神社所有
明治23年(1890)の作品で、奉納絵馬。
翁は半仙と号し、日本画、俳諧を嗜み、
楠瀬大枝のち徳弘薫斎に南画を受けてよく
山水の密画を残し、特に富嶽に優れていた。
絵馬には珍しい南画で、一種の風格を備えた
異色の作品である。
市の有形保護文化財である。