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羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その3)

2011年01月28日 | いの町の見どころ・自然・四季

羽迫博己さんの、町屋あれこれ・・・いの町(その3)

 

   

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     吉井源太翁の功績  
  文政9年(1826)、吾川郡伊野村生まれ。    
 家は代々御用紙漉きで、幼少より俳諧、南画を学ぶ  
 裕福な少年時代を送りました。紙漉きには並々ならぬ  
 情熱をもって打ち込み、まず初めに大型の簀や桁を発明。
 紙の生産量を倍増させ、発明の連続で新製品の抄出に
 成功、「紙の伊野」の基礎を築きあげた。    
               
  維新後、製紙に関する藩の束縛統制の撤廃によって、
 水を得た魚のように活躍を始めます。      
 明治初年には、楮、三椏、雁皮混合の大小半紙といった新製品
 を各種開発、さらに、経済性・防虫のため米糊に代え  
 白土の使用を始めました。        
               
 また、精巧な典具帖紙の抄造など、数々の改良や技術の発明を
 世に送り出すとともに、最期まで、全国の製紙技術の指導に  
 全力を尽くしました。          
 その業績は、日本国内はもとより、アメリカをはじめ、  
 諸外国に広く認められています      
               

吉井源太翁の富嶽の絵馬
                    椙本神社所有

   
 明治23年(1890)の作品で、奉納絵馬。
 翁は半仙と号し、日本画、俳諧を嗜み、
 楠瀬大枝のち徳弘薫斎に南画を受けてよく
 山水の密画を残し、特に富嶽に優れていた。
 絵馬には珍しい南画で、一種の風格を備えた
 異色の作品である。
 市の有形保護文化財である。

 

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