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いのまっさんの日記

過去に頑張って更新していました。再開時期はきまぐれ。

心の休む間

2007-11-30 00:54:15 | いのまっさんの日記
休むとは言え、それは無期限な訳であって。。。
とりあえず、僕の休みは明けようとしています。

コンコンとドアを叩く音。
「はい」と応えると、見知らぬ人が立っていた。
授業で無くした携帯電話。
ここに届いていないかと、不安な顔で尋ねられた。
どうやら無いみたいだと応えると、さらに不安な顔になる。
んっ・・・その番号に電話を掛けてみればいいのでは?
番号を聞いて掛けてみたら、友達が拾っていてくれたみたい。
その時、安堵の表情を浮かべ、彼女は泣いた。


とまぁ、今日はこんな出来事がありました。(正確には昨日ですね)
研究室のメンバーが、ある授業でアシスタントに入っているので、
ひょっとしたらうちの研究室に携帯があるのではないかと思い、
彼女は尋ねて来たそうです。(要は授業で忘れ物したってことです)
僕と友達は、その子が泣き出したときにあっけに取られてしまったけど。
とは言え、物をここまで大切にする気持ちは、そうそう持てないわけで。
携帯が何よりも大切な、現代っ子というイメージでしたね。
まぁ、何が印象に残ったかって、僕の携帯が濡れて返ってきたこと
何で濡れたのかは、言うまでもないでしょう(笑)

「別に泣くほどのことでは・・・」と思えば、それまでの出来事ですが。
久しぶりに、美しい心を見た気がしました。
次にその子とどこかで会っても、多分僕は気付かないでしょうけどね
経験だけが、強く記憶に残りそうです。
やっぱり、物には愛着がわくし、人それぞれ価値観を持っている。
お金で解決できるか?と言えば、必ずしもそうではないと思う。
新しいものを買っても、古いものへの愛着は捨てきれない。
そういう考え方が、僕は大好きだったりするのです。
だから、その子の携帯が見つかって、本当に良かったと思います。
僕が過去に失くした物・・・あっても忘れてたりして?
改めて、いかに物を大切にしていくべきか、考えを深めた気がしました。

話は変わりますが、12月に入れば就職活動が本格化しそうです。
具体的に動くのは、年明けからになりそうなのですが。
でも、もう既に、情報がたくさん流れ込んで来ています。
出遅れた感は無いのですが、焦りはしますね
大学で時間が出来ると、就職情報のサイトを見て回ったりして。
そろそろそれっぽくなってきたなぁと、実感しています。
最後には、縁のある企業へと落ち着くと思うのですが。
後悔しないように、早め早めに動いていこうと思います。
こちらも、応援よろしくお願いします

休みます

2007-11-25 23:59:21 | いのまっさんの日記
最近、人にうまく言いたいことが伝えられないことが多いので、
しばらくここもお休みさせてもらおうかなと思います。
モヤモヤすることもあるし、そういうのが一通り片付いたら、
またぼちぼち書いていこうかなと思っています。

寒くなってきたので、皆さんもお体を大切に。

そう言えば

2007-11-08 11:13:10 | いのまっさんの日記
ドタバタしてたので、ブログのことをあまり把握してなかったのですが
先月の終わり頃、このブログも開設2周年を迎えていたみたいです
ていうか、気付けよ

忙しいと、目の前にある課題にひたすら取り組むあまり、
案外日常に変化を見出せないものだなと感じています。
考えてみれば、それはすごくもったいないことであって。
色んなものに手を広げると、処理しきれなくなるけれども。
でも、単調だと思う日々に自分で色づけをすると、
案外色んな色合いを見せることに気付いたりもします。
ブログを開設した日を忘れてたのも、結局自分が気付かずに、
見落としていたから、一つの感動を埋もれさせていた訳で。
自分の生活を違う角度から見ることも、時には必要なのかもしれません。
もっとも、最近の僕には、その余裕が無かったのだと思いますけど。
それでも、このブログは、変わらずここにあったのですよね。

このブログは、この2年間の自分の記録でもあります。
自分の思いをこれだけ自由に表現できる場というのは、
やはり少ないと思うし、大切にすべきだと思っています。
これからもよろしくお願いします

そこにいたのは・・・

2007-10-17 23:59:59 | いのまっさんの日記
先日の「眠気グラリ」の番外編。

7階からエレベーターに乗り、7階のボタンを押す。
そんな間抜けをしでかしたあの朝、キャンパスには人影が無かった。
この時期特有の、朝のひんやりした空気。
その空気に触れた途端、目が覚めた気がした。
外はすっかり朝となり、太陽の光が綺麗だった。
外に出るのは気持ちいいことだと、しみじみ実感した。

気持ちの良い朝に感動したのも束の間。
バスはあと10分くらいで出発する。
研究室の建物はキャンパスの端にあり、
バス停まではかなりの時間を要する。
その時は、小走りで向かわないと、少し危うい状況だった。
重い鞄とパソコンを持ちながら、眠い体にムチを打って走った。
もうすぐバス停・・・というところで、何かが聞こえた。
こちらに向かって、真っ直ぐと向けられた声。
思わず振り向くと、そこにいたのは

「にゃ~お」

猫だった。
大体どこの大学にも、猫はやってくるものらしい。
うちの大学も例外ではなかった。
首輪が見受けられなかったので、おそらく野良だろう。
その猫は、背筋をピンと伸ばしてこちらを見ており、
餌を欲しがっている様子でもなかった。
ただ、何となくだけど、あの時猫が鳴いた理由は分かった気がした。

「おはよう」

思わず出た言葉が、この言葉だった。
妄想の域かもしれないが、あの時猫に
「おはよう」と言われた気がしたのだ。
誰かが見ていれば、変な人に思われたかもしれない。
だけど、その猫におはようと言ったら、すごく気持ちが和んだ。
その猫は、その後もこちらを向いており、まるで見送ってくれているようだった。
決して断定は出来ないものの、そうしてくれているような気がした。

あの猫から感じた、不思議な感覚。
あの猫はいつも、あのように皆を見守っていてくれるのだろうか?
もしくは、あの時偶然、あの場所にいただけなのだろうか?
真実は分からない。
ただ、打ち合わせ前の緊張を、あの猫が和らげてくれたのは事実。
不思議な偶然というもの。
それにも感謝したい朝だった。

眠気グラリ

2007-10-15 23:59:59 | いのまっさんの日記
今日は企業での打ち合わせ。
そのために、土日はバイトのお休みをもらい、
大学の研究室で作業に明け暮れていた。
日曜から月曜の朝にかけては夜を徹し、
朝まで作業を続け、そのまま企業へと向かう。

研究室を出て、まずエレベーターに乗った。
7階から1階へ降りるはずが、なぜか7階のボタンを押していた。
体は本当に正直である・・・。

打ち合わせは、良い内容だったとは言えない。
あれだけやっても、なかなかうまくいかないもんだなぁと思う。
打ち合わせは、言わば自分のためにセッティングされた時間。
その空気は、常に自分が作り出すことになる。
特に、行き詰っている今は、そのような空気になりがちで。
重くて息の詰まる雰囲気に、圧迫されそうになった。
空気の変化に敏感な自分としては、この上なく重い何かが、
肩から背中にかけて圧し掛かってくるようだった。
ベクトルは全て自分へと向かっていた。

ただ、そんな時でも、救いの手はあるもので。
人の気持ちや考えは、意外なときに見えてくるものだ。
頑張っても空回りしてるとき、その頑張り自体は評価されないのか?
そんなことを思うこともあるが、やはり結果が全てではない。
その経過で見てきたこと、感じたこと、得たこと、失ったもの、
足りなかったもの・・・全てが独特のバランスを保っている。
そこから、成長するためのキーを、見つけられたりもして。
今回は、途中で心を開き、素直に助けを求めようとしたことが、
自分に向かって何かを呼び込んだのかもしれない。
やはり、どんな状況でも、味方はいてくれるものだ。
そのことを見出せるかどうかは、自分次第だと知った気がした。

帰りは、マイペースにゆっくりと帰ってきた。
帰る途中、駅のホームで前のめりにグラリとなり、
知らず知らずのうちに眠気が迫ってきていたことを知る。
無理もない・・・寝てないのだから。
気力で起きてるものの、体力はもう尽きててもおかしくない。
足に来たということは、もう相当眠いのだろう。
帰りは一段落して、ホッとすることが多い。
そういうときこそ、気が緩みがちなのだろう。
ここは素直に、ホームのかなり内側で待つことにした。
出来れば、ベンチが欲しかった・・・。

帰ってきてからは、3時間程昼寝をした。
疲れていた分、グッスリと眠れたように思う。
寝つきが良かったのか、目覚めは爽やかだった。
それにしても、今年の総睡眠時間は、今まで
生きてきた中で最も短いような気がする。
それでもギリギリやっていけるのは、若さ故なのだろうか?
もっと体力があればと思うものの、無くはないのかなとも思う。
でも、出来ることなら、毎日まとまった睡眠を取りたい。
不規則な生活は、やはり色々と問題があるものだ。

それにしても、大学院というところは、予想外にしんどい。
意志がないと、何となくではやってられない。
大学の課題ですら訳が分からない時もあったのに、
大学院はそんなことばっかりな気がする。
幸い、自分を支えてくれる、良き仲間に恵まれた。
ここにはいつも、味方がいてくれる。
やはり、感謝の毎日だ。

今日は、自分に語りかけるように、日記風。
忙しくても、自分の感じたことは、記しておく方がいい。
今、この瞬間に思っていること、感じていることを失っては、
もったいないような気がするからだ。
今日得た何かを、次に活かしたい。
頑張れ、自分!!

良い流れを

2007-09-16 23:59:33 | いのまっさんの日記
今出来ることを考えてみる
そして行動する
自分のしたことを信じ
時には反省し
改めて行動し
そして結果を待とう

良い流れを作れば、きっとうまくいく。
今は、この流れを、作る時なのかもしれません。
うまく行かなくたって、それは途中経過だから。
違う流れに流されず、自分の流れ作っていきたい。
もちろん柔軟な姿勢で。
自分を良い方向へ導けるかは、自分次第なところもある。
そんなことを思った1日でした。

成長の過程

2007-08-14 23:59:22 | いのまっさんの日記
最近、子どもの頃の出来事を思い出すことがある。
思い出したいこともあるし、そうでないこともあるかな。
今思えば、それぞれの出来事が、違って見えてくることもある。
こうやって見直す作業も、節目節目で必要なのかな。

turtleさんドッジボールの記事を読んで、思い返したことがあります。
僕は子どもの頃、すごくドッジボールが好きでした。
その頃どちらかというとスポーツがイマイチだった僕にとって、
練習すればする程上達するドッジボールは、最高に面白かったんです。
毎日家の前で練習して、少しずつ上手くなっていきました。
最初は両手投げだったのに、1年も経てば片手で速く投げれるようになり。
あの時の努力って、今も活きているような気がするなぁ。

それで、turtleさんの記事を読んで、思ったことはというと。
僕は、ドッジボールをしてるとき、「ボールを受け止める」のが好きでした。
速いボールを投げて相手に当てるのは、どっちでも良かったかもしれない。
それよりは、むしろ相手が投げて来て、うまく受けれる瞬間が好きでした。
(速く投げすぎて、相手の指にヒビが入った経験も関係あるのですが)
その頃一番速いボールを投げた同級生がいたのですが、
最初は彼のボールが怖くて怖くて・・・ずっと逃げてた記憶があります(笑)
でも、毎日の練習の成果もあり、徐々にボールのコントロールを覚え。
そうすると、相手の投げる姿勢から、受け方も分かってくるんですよね。
そして、いつしか彼のボールを受けれるようになり、
積極的に試合を作るようになっていました。
それが小学2年生の頃の出来事でした。

これって、僕のコミュニケーションの取り方にも似てるような?
思いを伝えることも出来るけど、どちらかというと受ける(聞く)方が好き。
自分の意見を聞いてもらって、それを理解してもらえると、
何だか嬉しい気分になりますよね?
僕は、相手のそういう顔を見るのが、すごく好きだったんです。
それは、今も変わってないように思います。
ブログを初めてからは、こうやって思いを前に出すことが増えましたけど。
でも、これはこれで、良い訓練になっているように思います。

それから、3年生に上がり。
それまで勉強が大嫌いだった僕が、
急に漢字の勉強に目覚め始めたんですよね。
ドッジボールで付けた自信からか、努力すれば出来ることもあるって、
何となく子ども心に印象付けられたのでしょう。
あの頃から、徐々に勉強も楽しく感じるようになってました。

話は変わりますが、僕は小学生の頃、そろばんを習ってました。
お陰様で計算力が付き、理系に進むきっかけにもなったかも?
姉も母もやたら計算が速かったので、僕もそうなりたくって。
結局、小学1年生から、小学校を卒業するまで続けました。
その頃鍛えた忍耐力も、結構なものでしたね。
というのも、教室へ通うときには、いつも歩いて行ってたんです。
友達は、みんなほとんど自転車を使ってたんですけどね。
小学校から自宅までの距離も結構あったし、帰ってから
そろばん教室へ行くのは、当時すごく疲れることでした。
でも、ここをあえて、歩いて通うことにしたんです。
理由は・・・・・・何でだっけな?
さすがに高学年になると、自転車に乗りたい願望が強くなりました。
でも、ずっと続けてきたことだから、そのまま歩き続けたんです。
その頃のこだわりみたいなものは、今となれば輝いて見えますね。

あの頃の努力とか忍耐力は、今思い出せばすごく驚かされます。
子どもの純粋なこころだからこそ、出来ることのようにも思えるし。
経験が増えると、出来ないって決め付けることが増えてくる。
そんな時、あの頃の童心を思い出せれば、ちょっとは違うのかも?

ドッジボールの話を出しましたが。
最近、人の思いを受ける(受け止める)のが、難しい時があります。
能力不足だったり、容量不足だったり、勘違いしてしまったり。
こころの余裕が無いから、そうなるのかもしれない。
だけど、違う理由もあるのかも?

今は大人になったから、相手の言うことを聞いてから、
色々と考えすぎているのかもしれない。
それで、自分の中で解決できないことが増えてしまうから、
自然と容量オーバーになり、受け止める能力も低下してしまう。
悪い場合だと、相手の言いたいことを勘違いしてしまったり。。。
そういう流れなのかもしれない?

ここで、最後にまとめるならば。
もっと子どものときの気持ちを、思い出してもいいのかも?
相手の言ってることを、聞くだけでもいいときがあるかもしれない。
それを、全て自分のこころの中で考え続けるのは、
どんな人でも難しいし、僕とてそれは同じこと。
無理して考えすぎず、とりあえず受け止めてみてもかなって。
それから、無理なら受け流してみてもいいし。
ドッジボールで言えば、ボールをどこかに投げる感じかな?
外野でもいいし、同じコートの味方でもいい。
もしくは、相手のコートに投げ返してみてもいいわけで。
そうすれば、必要なタイミングで、また自分にボールが回ってくるはず。
だから、とりあえずは、受けることに集中してみようと思う。
(義務的ではなく、奉仕の精神でもなく、相手を大事にする目的で)
そうすれば、ボールが当たって、しんどくなることもない。
人の気持ちを大事にするには、まず自分が柔軟にならないと。
そんなことを、今感じています。

塾の思い出

2007-08-10 23:59:23 | いのまっさんの日記
中学入学から高校卒業まで、僕はある塾へ行っていました。
そこは家から数分の個人塾で、少人数制の塾でした。
この塾の塾長さんが面白い方で、いつも楽しく勉強してました。

この塾長さんは、とにかく楽しく勉強させてくれました。
それは、長年培われた、塾長さんならではの教え方で。
その中で、かなり有名と思われるものを一つご紹介。

突然ですが、皆さんは中学受験の時、
火山岩の名前をどのように覚えていましたか?
おそらく、関西エリアの多くの人は、このように覚えたのでは?

「新幹線はカリアゲ」

これはつまり・・・

深成岩(しん) 橄欖岩(かん) 閃緑岩)(せん) 斑レイ岩(は)
火成岩(か) 流紋岩(り) 安山岩(あ) 玄武岩(げ)


という、各火山岩の、頭文字に対応するということです。
ネットで調べてみたところ、他にもご存知の方はおられるようです。

実はこの覚え方、そもそもこの塾長さんが考えたものなんです。
それを、その当時の生徒さんが、みんなに言いまくって。。。
その結果、「自分が考えた」と言いたがる人が増えたみたいですけど。
これは、当時の生徒さんと塾長が、何とかして覚えようと、
授業中に考え付いたものだと聞きました。
中学の時に、このことを友達に話すと、どうしてもそのことを
認めたくないらしく、たくさんケチをつけられましたけど・・・
(仕舞いには、自分の塾の先生が考えたと嘘まで)

それで、何でこんなことを書いたかと言うとですね。
上に書いたように、誰が考えたか分からないから、
自分の手柄にしたがる人がいて、僕は悔しく感じてたんですよ。
でも、この件に関しては、僕は今も塾長さんを信じてます。
何せ、かなり詳しく、当時のことを話して下さったので。

それともう一つ、これは皆さんに質問したいのですが。
この語呂合わせを知ってる方って、このブログを見て
下さっている人たちの中で、どのくらいいらっしゃいますか?
僕が習っていた中学の先生は、現在30代後半ですが知ってました。
だから、おそらく、知ってるよという方がいるのではないかと
どこまで広まったのか知りたいので、良かったらコメント下さいませ。

ふと思い出した割には、長く書いてしまいました

バリアフリー

2007-08-09 23:30:10 | いのまっさんの日記
今日は久しぶりに企業へ。
あんまり行かなくても良かったかもと思いつつ
「来てよ」という雰囲気だったのに、いざ行ってみると
「何で来たの?」みたいな雰囲気だったので

・・・

電車に乗る前に、駅の近くの某スーパーへ。
そこで最近良く買うりんごジュースを買ってから、
店を出ようとしたときのこと。
前にいるおばあちゃんが、ゆっくりゆっくりと
カートを押しているのが目に入りました。
前を見ると、店の出口にはちょっとした段差が・・・。
でも、カートで体を支えている様子だったので、
無事に出られるか側で見守ることにしました。
下手に声を掛けると、転んじゃったら大変だし
そのまま見てると、おばあちゃんは無事段差をクリア。
ホッと胸を撫で下ろしたものの、少し気になることがありました。
その段差には、傾斜のついた部分があったのですが、
それを利用しておばあちゃんは段差を降りてました。
僕たち若者の感覚からすると、それくらいの傾斜があれば、
お年寄りでも安全に降りられるだろうと想像します。
でも、実際は違うのかもしれないなぁって・・・。
そのおばあちゃんは、降りてから一言こう言いました。

「あー怖かった」

その段差を降りた後、少しよろけそうな雰囲気があったのです。
それで、そのおばあちゃんは、無意識にこう言ったのでしょう。
ここで初めて、僕は声を掛けて見ました。

いのまっさん「大丈夫ですか?」

おばあちゃん「(笑顔で)うん、大丈夫

何だか、笑顔がキュートなおばあちゃんでした

多分、僕たちが心配して見守っているだけでも、
こういうおばあちゃんは、安心して外出できるんだろうなって。
人の心も、街の設備も、どちらも・・・バリアフリーですよね。

そのおばあちゃんの笑顔を見たら、急に気分が良くなったんです。
気持ちの良い笑顔をもらったように思います。
だから、お年寄りと接することって、やはり素晴らしいなって。
良い体験をさせてもらいました