秋葉山本宮秋葉神社・上社。祀られているのは火伏せの神であるが、数十年前大火に見舞われた。麓付近に家が在った祖父は、火の粉が降ってこないか寝ずの番をしたそうだ(本当か?)。神から見たら人間などペットの様な物だろう。時折、厳しい躾が必要なのだ。
※秋葉神社・上社・・・標高866mの秋葉山・山頂付近に在る
秋葉山本宮秋葉神社・上社。祀られているのは火伏せの神であるが、数十年前大火に見舞われた。麓付近に家が在った祖父は、火の粉が降ってこないか寝ずの番をしたそうだ(本当か?)。神から見たら人間などペットの様な物だろう。時折、厳しい躾が必要なのだ。
※秋葉神社・上社・・・標高866mの秋葉山・山頂付近に在る
浜松城公園の池。空と木が映り込んでいる水面に、色取り取りの落葉が浮かんでいる。「木→葉→水→木」と、ちょっとした輪廻の様だ。廻るという現象。これは真っ直ぐ進む時に抗って、“形”を残したいという“意志”の様に思える。
小國神社の紅葉。色鮮やかに映るが、近づくと枯れ際である事が分かってしまう。だから美しいとは感じられない。恐らくは山全体のコントラストを楽しむものなんだろう。近くから…、遠くから…。さて、何か見えない物が見えてくると面白い。
森の祭り『舞児還し』。神社で舞を奉納した舞児を屋台(山車)に乗せて家まで送る。この際、足を地面に付けさせない。霊験を落とさない為だろうか。身も心も軽い子供ならではの風習である。大人が出戻るのでは縁起も担げないに違いない。
天竜浜名湖鉄道の遠州森駅。乗降人数は、全駅中でもトップクラスである。掛川に近いので、そちらへの通勤・通学が多いのだろう。『森の祭り』と『森の石松』で有名な町ではあるが、駅は日常生活に密着している様だ。
天竜浜名湖鉄道の気賀駅。全路線の真ん中辺りに位置する。数年前、民間出身の社長に変わってから無人駅となった。最近は観光に力を入れている様だが、この付近では浜名湖ぐらいか。景色が良いので、ウォーキングには合っている。
天竜浜名湖鉄道は、東海道本線に被せたお椀の縁をなぞる様に走る。現状は、この扇形車庫に引かれた線路とそっくりだ。中心部へ向かう人の流れは多いのだが、環状に廻る人は少ない。だからこの路線、半円形の上半分が課題らしい。
天竜浜名湖鉄道の転車台。ローカル線の走る道のりは変わらない。バスと違って線路も自前である。だからこそ、繋がっている感覚が生まれ、足下も見えて来るのではないか。地元の「夢」は皆で創る。大変だろう…。転車台は以前、人力で回したそうである。
【天竜浜名湖鉄道】
・路線名は『天竜浜名湖線』(旧国鉄・二俣線)
・周辺自治体から、年間2億円程の助成金を受けている
・天竜川下り事故により、経営に影響が出る可能性がある
トータルで8時間、自転車に乗っていた。途中、本格的なロードバイク乗りが休んでいたので、尋ね事をしたら女性であった。尊敬してしまう。旧跡巡り者にとって「見学時間<走行時間」はつらい。折り畳み式自転車を買おう。近くまで鉄道で行くのだ。でも舟は漕がない。負けている様で悔しいではないか。
掛川祭りの屋台(山車)。曳く前に舞を舞う。優雅である。でも、曳き廻しには活気が無い。曳いている子供、乗っている子供が楽しそうに見えないのだ。気のせいだろうか。掛川市は二宮尊徳の思想が盛んだそうだが、たまには「童心」の方も大切にして欲しい。
晩秋の時期、十和田湖に行った事がある。紅葉のパノラマは絶景であった。途中で利用したローカル線にもワクワクして乗った。その十和田観光電鉄が廃線になるそうだ。「また会える…」それだけで繋がっている感じがしていた。新幹線が素通りとなった影響らしいが、「思い出」まで取り残さないで欲しい。
二俣城の天守台。この山城、当時は三方を川と崖に囲まれていた。尾根続きの北側さえ堅く守れば、決して落ちるものではない。車ではなく、自分の足で登ってみないと分からない。まさに天然の要害。川に守られた城なのである。
二俣城の復元井戸櫓。天竜川に突き出して作られ、水を汲み上げた櫓である。城を攻め倦ねた信玄、何と上流から材木を流して、これを壊したらしい。城兵は驚いたのではないか。水の手を断たれてしまえば、降伏するしかない。
旧二俣川跡の堤防。二俣川はもともと二俣城の東側から南側を流れていて、ここで天竜川と合流していた。でも、大雨の度に逆流、氾濫した為に、流れを変えられたのだ。また、天竜川の流れもダム等の治水事業により、随分と緩やかになった様だ。
二俣城西側の崖。天竜川下りの転覆事故があった所である。一直線に岸壁にぶつかる(静岡新聞より)など尋常ではない。人は安心していると、危険を「見なく」なるものらしい。「助け船」は転覆する前に出さないと、取り返しがつかない。
井伊谷宮の例大祭にて、地元二宮神社による奉納舞。他の神社からの奉納なんて初めて聞く。創建が明治期なので、地元との関係が薄いのだろう。歌謡ショー・手踊り・和太鼓等、他のプログラムも出張がほとんどの様だ。
井伊谷宮に奉納された絵馬。御利益は「学問・開運」。祭神である宗良親王(後醍醐天皇の皇子)の人徳らしい。陵墓が本殿の裏にある。数百年も経ってから北朝系の天皇に神と祀られ、戸惑っている事だろう。
龍潭寺の仏像。あちこちにある傷は、廃仏毀釈の折、近所の悪ガキにイタズラされたものらしい。“中”に在った物が、権力なのか信仰なのかは分からない。再び祀られた時、何を入れ直したのだろうか。仏様も苦労が絶えない。
龍潭寺の庭園。何と小堀遠州作。壁に張り付いている様な上り坂の庭園である。実は、このすぐ裏が井伊谷宮なのだ。創建の際、敷地の半分を取られた(失礼)らしい。神と仏に分けられた魂、今ではどちらも影が薄い様に見える。