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安倍元首相暗殺

2022-08-02 15:31:44 | 日記
安倍元首相の暗殺の理由を知り、それが政治家に対する「政治的テロ」ではない事を知りました。それは、単に統一教会と言う詐欺的な宗教団体(福岡地方裁判所にて霊感商法による不法行為として1994年敗訴)に対する怨嗟の結果であり、安倍首相に対する統一教会の広告塔に対する襲撃である事を知り、複雑な思いを持ちました。
国民が選ぶ政治体制がどのような形態であろうと、民主主義を標榜している国家は王政、専制君主制を除いて多い事も確かである。
民主主義は形態がそれがどんな形であれ主権は国民にあります
共産主義国家における民主主義的中央集権主義でも、主権者は人民です。
その民主主義国家に於いて、政治家へのテロ行為はどんな理由があるにせよ民主主義の根幹を揺るがす物であると、私自身は考えていました。
戦後生まれの私にとって、初めて政治家に対する襲撃、テロ行為を知ったのは、1960年の岸信介殴打事件と浅沼稲次郎刺殺事件でした。私たちはまだ中学生の頃で、当時は60年安保闘争時代でした。当時のデモ活動で国会突入を目指して、デモ隊と機動隊が衝突した時代です。その頃、子供時代ではあったものの、訳も分からず機動隊に押しつぶされ、命を落とした樺美智子さんの『人知れず微笑まん』を中学生程度の学力で理解したつもりでいました。そして、岸信介首相による自衛隊出動要請を当時の赤城防衛庁長官が「自衛隊が国民の敵になりかねない」と拒否したことを後になって知り、国民軍の在り方を知りました。
国民を守るために存在する国民軍が国民に対して銃を向ける、その意味に重大なものを感じました。またそれを現実のものとして感じたのは天安門事件でした。
その事がまた、かりそめにも警察権力だけが治安維持権力だと意識するとともに、一党独裁状態によるアメリカ追従のための強行採決で民主主義を踏みにじった事とは別にわずかに民主主義が残っているのかと感じたものです。
日本は現在、国民自身が資本主義的な民主主義を選択しているのですから、それは、守られなけばいけないと思うのです。
当時の国民の民意を確かめることなく、安保条約の自民党の強行採決が正しいのか、あるいは強硬な国会突入を民主主義として正当化するものなのか・・・・・。アメリカが押しつけた民主主義であっても、戦後15年を過ぎた日本国民にとっては敗戦によって終わった軍国主義に比べて、大切に感じられたものだったのでしょう。
また一方では貧しい日本の貧しい階層にとって貧しさからの脱出は平等と言う共産主義がユートピアだったのです。共産主義の完成のために資本主義的なイデオロギーを排斥するためにはロシア革命後のスターリンの独裁、ボリシェビキ独裁、政敵(トロツキー等)の暗殺は共産党内の権力争いと言う忌まわしい事件があったとしても、マルクス・エンゲルスを信奉し、プロレタリア独裁を目指し暴力革命を肯定し、共産党一党独裁をも支持していた左翼の人々にとって大切な思想体系だったのです。
そんな中1960年10月には安保強行採決を批判し続けた浅沼稲次郎氏が赤尾敏が党首である日本愛国党の山口二矢に刺殺されることになりました。まだ貧しかった日本の、貧しい家庭であった我が家にはカラーテレビはなく、白黒のテレビで見ました。
それは、マルクス・エンゲルスの「空想から化学へ」マルクスの「経済学・哲学草稿」で疎外された労働をかじり始めた人間にとっても大きな出来事で、どんな場合も政治的テロはあってはいけないものと認識しました。
今回の安倍首相の暗殺も、格差社会が生んだ歪みである社会体制批判としての政治的テロだと当初理解しました。正に民主主義を冒涜するテロ行為だと思っていました。
しかし、その後日談がありました。
安倍元首相に対する山上徹也容疑者による暗殺は政治的な背景はないとの事でした。そうではなく統一教会に対する怨嗟・復讐であったあったとの事です。やりきれない貧しさと、先の見えない将来を一身に背負わされた人の復讐であったとの事です。
そして、その広告塔となっていたのが、まさかの日本国の国家元首であった安倍元首相であったことでしょうし、その母が大金をつぎ込むことを信じた一端がその広告塔によるものかもしれないと考えた時、この行動があったのかもしれません。
どんな理由があれ殺人は許されない事は分かっていても、同情を禁じ得ない部分を感じました。と同時に政治的なテロ行為ではなく僅かに民主主義の冒涜ではないと、そう思うようにしています。
また一方で、日本の政治家達が票になればどんな宗教団体でも、その広告塔になることを厭わない姿に愕然としました。そしてそんな人たちを国民の代表として信任し選び続ける日本の国民性にも驚愕しました。
これから、3年間日本に大きな選挙はありません。その間、広告塔となっていた政治家達は、
ある時は開き直り、ある時は白を切り広告塔になり続けるのでしょうか。
そして旧統一教会は霊感商法を続けるのでしょうか。
正に、そんな政治家たちによる一党独裁体制状態が続く日本国を憂うのは、私ただ一人でしょうか。
今回は、エコノミストとしての主張から逸脱しました。
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