田舎のエコノミスト

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

失われた30年について(1)

2024-01-03 18:22:33 | 日記
2024年が始まりました。今年もまた失われた30年が続くのでしょうか?
「失われた30年はいつから始まったのでしょうか」と問われればやはり私は、やはり1989年12月に最高値38、915円を付けた日経平均が1990年12月には、23、848円へと下がって行った年1990年からと定義したいのです。
それ以降の金融危機から始まり30有余年にわたっています、不況は延々と続き、2024年もそんな年になると思えてならないのです。
日本の政治家は、バブル崩壊の後の政策を、間違い続けたのではないでしょうか。
バブル崩壊後、初めて日本を襲ったのは、1991年の証券会社の巨額損失補填に始まり、続く1994年の東京都2信組の経営破綻、1995年のコスモ信組、兵庫銀行等の破綻、それ以降の三洋証券、山一証券の破綻、りそなショック、住専問題、長期信用銀行です。
この不良債権の処理に2001年に発足した小泉内閣は竹中平蔵を匿名大臣に指名し不良債権処理をさせました。多分竹中平蔵の行った、不良債権処理は正しかったのでしょうが、地方銀行以下の体力のない金融機関の中では、そこでは十分再生できる企業すらをもゾンビ企業として烙印を押し支援を打ち切った事は本当に良かったのか?疑問の残る点です。バーゼルのBIS規制にあまりにも頼りすぎ金融検査マニュアルを作成し金融庁は過剰に不良債権に分類しました。その時の金融庁は中小企業を再生させると言う考えは微塵もなく、世相の混乱を最小限にする事と、金融機関の不良債権を処理する事にだけ終始いていたように思えるのです。そして、国民負担を最小限にするためにぎんこうの体力の範囲内で処理していく方法をとった結果、時間を十分にかけることになりました。そのスピードは欧米諸国からは、時間がかかりすぎて入る様に映りました。そのために、巷間で起きたことは、貸し渋りと貸し剥がしと言う言葉が横行跋扈するようになりました。その検査マニュアルによって金融機関の融資タイドの豹変に、どんぶり勘定で経営をしていた、中小企業経営者に、否応もなく、そして迅速に負債を圧縮させられました。それ以降、巷間では、要注意債権、破綻懸念債権などの言葉が飛び交い、中小企業者の設備投資意欲を収斂させました。その風潮は今現在もつづいているのではないでしょうか。不良債権処理は当時喫緊の課題でありそれに異を唱えるつもりはありませんが、行き過ぎたスピードと、中小企業経営者にとっては理不尽な債権分類に思われ、それ以来、利益は設備等の投資に回されることを避け、内部留保の積み上げという形になってしまいました。
当時の不良債権処理の為の国民負担はおおむね12兆円に上り、民間金融機関の不良債権処理額は概ね総額100兆円の不良債権になりました。しかも、バブル崩壊から2002年までに失われた国富は1500兆円に上った世の事です。ですから、中小企業経営者のマインドには30年が過ぎても、その当時の金融政策がトラウマになりゼロ金利の格安の金利状況になっても、補助金を出しても、設備投資は更新が主力となり、新しい設備への投資は増えません。ですから、企業の流動性はここ何年も増え続け、企業の国際的競争力は低下し続けるのではないでしょうか。
そんな結果の下、一人当たりGDPの世界ランクは2000年の2位を最後に2022年には24位まで下がり(ドルベース)PPPベースでは26位まで下がりました。
物質的豊かさだけが最重要課題だという気はありませんが、今の日本の延々と続く閉塞感が永遠に続くのではないかと危惧するのは私一人でしょうか?
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハーベイロードの前提 | トップ | 中小企業の賃上げのウオッチ »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事