重粒子線治療患者の生きた証し 第二章 by imas

前立腺ガン患者の平凡な日々を綴ります

高気圧酸素治療による放射線性膀胱炎

2024-02-25 17:55:31 | 重粒子線治療


2月18日(日)の我が家からの朝焼け、やはり我が家が一番です。



翌19日(月)に群馬大学病院の重粒子外来に太田記念病院の紹介状を持って治療相談です。

やはり重粒子外来でも重粒子線の照射による膀胱炎で、治療は高気圧酸素治療が有効であるとの事。

30回の通院治療は自身での車の運転が制限されているので、

桐生厚生総合病院での治療を望む事を伝え紹介状を書いて貰いました。

(太田記念病院の循環器内科の主治医が退院時に発作を起こしての狭心症である為に、

治療してもいつ発作が起こるか判らないので、3カ月は運転をしない事を義務付けました。

近くのコンビニに行くにも車ですから、運転できない事は生活できません。この機会に少し歩く事を見直します。)




凡そ3年ぶりの群大病院内のレストランでの昼食です。



翌20日(火)に桐生厚生総合病院の麻酔科を受診し、午前11時より一回目の高気圧酸素治療が始まりました。




圧力の高い部屋(高気圧治療装置)で100%酸素を吸入し、

全身に酸素を供給する治療を「高気圧酸素治療」といいます。

世界的にも確立した治療法で、日本高気圧環境・潜水医学会や厚生労働省の基準では、

2絶対気圧(大気圧の2倍、水深約10mの圧力)で1時間以上の100%酸素を呼吸することを

「高気圧酸素治療」としています。

カプセルに入って15分与圧して2気圧になった状態で60分呼吸して15分かけて減圧して終了です。

明日は4回目の治療が14時から始まります。



桐生厚生総合病院そばの桐生市役所の河津桜が咲き始めました。



この桜が満開の時に治療が終わるでしょうか?







重粒子線治療13年目の副作用(放射線性膀胱炎)

2024-02-22 22:26:18 | 重粒子線治療

入院2回目の朝、朝焼けが綺麗です。


病院食の為、体重が5㎏落ちました。

2月10日(土) 昨日に続いて膀胱内の洗浄を行い、尿取りの管を少し太めの管に変更した。    

        生理食塩水と消炎剤の点滴を始める。その後痛み止めの点滴を追加した。

2月11日(日) 排尿の色は赤みが取れてきた。昨夜から1時間程しか睡眠が取れず、
        AM3:30頃起きて5:30に起床した。

        AM9:10 女医先生の回診で「痛みは尿道に挿管した管先が当たり痛みになるのではないか」
    
        午後に少し寝られて楽になり、尿も血尿から通常の色になり、血液の塊も無くなった。

2月12日(月) 昨夜はPM11:30に就寝してAM3時頃痛みで目覚め、痛み止めの点滴をしてもらい4時頃に眠った。

        AM5:30頃看護師さんによる点滴交換で目覚める。

        痛み止めの点滴を6時間毎にしてもらって長い一日を過ごした。

2月13日(火) AM8:35担当医と女医先生の回診 尿を見て綺麗になったので管を抜いて膀胱内を見るとの事。

        PM1時頃 膀胱鏡実施 担当医見解は重粒子線が当たらない膀胱内壁は白く、
        当たった所は赤くただれ血管が浮き出ていて、
        排尿の時に力むからその脆くなった血管が切れて血尿になる。

        膀胱炎の治療は①血液サラサラにする薬を止める
               ②膀胱内の止血手術
               ③高気圧酸素治療  
               
        小生の治療は①は狭心症治療が最優先であるためNG 
              ②は全身麻酔の施術は心停止リカバー後あまり時間経過していないので躊躇される。
              従って高気圧酸素治療がベストの選択となりました。     

2月14日(水) 尿取りの管を外され7日ぶりに脂汗が出るほどの痛みから解放されました。 
        肉体的にも厳しかった。あれやこれや悪い方に思い巡らし精神的に最悪の状態でした。

        AM8:35 担当医回診 
        脆くなった血管が切れて、時間が経過してもその血管は修復する事はない。
        その治療は太田記念病院ではあまり症例がないので群馬大学病院の方が症例が多いだろうから、
        紹介状を書くのでそちら対応して下さいとの事

2月15日(木) AM6:10 採血 
        
        AM9:10 心電図         
   
        AM11:20 循環器内科 担当医診察 残る冠動脈1本はカテーテル手術をしなくてもよいかも
             当面は様子見をしましょう。 次回は4月11日の診察です。

        PM1時過ぎ 退院手続き完了して、娘と合流して遅い昼食を済ませて帰宅となりました。


こうしてひと月で2回の入院が終了となりました。

翌週の2月19日(月)に太田記念病院の紹介状を持って重粒子外来で放射線性膀胱炎の治療相談を行います。

その内容は後日投稿致します。

重粒子線治療13年目の副作用

2024-02-20 22:14:58 | 重粒子線治療
1月31日に太田記念病院を退院しました。

2月1日便秘に悩み、尿が漏れるにようになりました。

2月3日便秘は解消しましたが、尿漏れは頻繁になり就寝時はおむつをして眠ります。

4日から6日は尿漏れだけが気がかりです。

そして運命の7日、血尿が出始めました。

最初は薄いピンクでしたが少しずつ小さい赤い塊が出てその後は血尿となりました。

狭心症治療の投薬説明書には5種類処方されていて、その3種類で「尿が赤い」が表記されているので

血尿は仕方ない事と自分に納得させました。

8日朝のトイレで赤い塊がでてその後は血尿となりました。

太田記念病院へ連絡し、担当主治医は「血液サラサラの薬を処方したので血尿は想定内、水分を多めに採って下さい。

それでもダメな場合は連絡して下さい」との事でした。

日中は血尿が続く、尿意があっても出ない、夜になるとその頻度は高くトイレから離れない状態となりました。

翌9日の明け方4時頃にトイレで排尿、血の塊の後にしっかりと排尿ができました。

そして6時頃、尿意は2~3分間隔で催すが排尿はほとんどなく、その痛みは悶絶でした。

7時15分頃、やっとおむつの中に排尿ができました。



9時太田記念病院に連絡し、11時までに受診出来るように手配してもらいました。

まず循環器内科で診察し泌尿器科で受診出来るようにしてもらいます。

膀胱に溜まった血だまりを100CC吸引し、尿とりを取り付けました。

造影剤CTを撮って、安静の為に入院となりました。



今回は6F東病棟

夕方のDr回診で「重粒子線治療の後遺症の膀胱炎ではないだろか」、

「尿とりは13日まで入れてそのあと膀胱鏡を入れて観察しましょう」

夜の看護師回診で2回膀胱の残尿測定し、1回目は「0」、2回目は「15cc」で問題なしでした。

こうして入院2回目の1日目が終わります。


2日目から退院までは後日の投稿となります。

重粒子線治療10年経過、卒業となりました。

2021-06-11 21:43:06 | 重粒子線治療
今日は重粒子線治療10年の検診、いつも通り採尿・採血を済ませ重粒子外来で待つこと1時間半。

前回2020年12月11日の0.36に対して今回PSA値は0.33。

治療後1年2カ月で0.76となって約9年は1以下で推移しました。

今回で経過観察も卒業となりました。

今日の看護師長は10年前にお世話になったKさん、子供も小学2年生になったとの事。

過ぎてしまえば10年はあっという間ですが、その間に様々な人生が織り成されているのですね。







2010年6月18日の人間ドックのPSA検査から始まって数えて39回の採血





今日も粛々と治療が行われています。

治療数は約5,000



10年前は植えられた木も低かったです。



不安を感じた待合室も今は懐かしいです。

これから先の不安は感じますが、今日生きられている喜びを感じて明日に繋げます。

重粒子線治療9年6カ月検診

2020-12-12 20:20:45 | 重粒子線治療
昨日は重粒子線治療9年6カ月検診。

早いものでがん告知から10年が経過しました。

予約が10時30分ですので9時30分過ぎに到着。

採尿・採血、採血の待ち時間は40分弱。

重粒子外来は94人の予約、蜜にならないように待合室だけではなく廊下まで受診者。



コーヒショップで時間つぶし

戻って30分程で担当Drと問診、PSAは0.36で安定

「排便の時に力むと時折血尿がでる」のではないかと自己判断を伝えると

血尿も連続ではないので問題ないだろうとの事。

次回の検診日6月11日(金)を予約して終了。

あと半年で放免となります。

過ぎてしまえば10年も早いものです。







重粒子線医学センターのロゴも化粧直し、月日の流れを感じます。