ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

「甘えるな!」精神論はいつ頃どこから来たのか?

2018年05月08日 | 文学・歴史・美術および書評
高須クリニックの院長が「若者よ甘えるな」で炎上してましたね。
批判する若者、その通りだと言うバブルより上

待て待て。
気になりませんか?
いつの世も若者は「甘えてる」と言われたのか?
ある程度年取ったら必ずそういう風に言うものなのか?
それは多少、あるんでしょうかね。
何しろ記憶の積み重ねの上に存在しがちな年長者が、未熟で経験の浅いの見るとそうなるのは差し引くとして

江戸時代も平安時代も、現代のような(かなり厳しい)精神論にあるとは思えません。

まず、この件を語るのに1つだけ抑えておいてほしいことがあります。
一瞬は無関係に思えるかもしれませんが大事なことです。
それは、日本は未だ、本当の意味で「民主主義」をやったことは一度もなく
明治維新と言うクーデターはあったけど、結局は「お上」が動かし
何度、民主主義をやろうとしても、労働運動のようなものをやろうとしても
全て、消されてきたと言うことです。
「民主主義革命」は「悪」になってしまいがちなのです。

ちょっと江戸時代を見てみますと、
1770年から1800年代前半 文化の観点で捉えますと
この時代の精神は、少しルネサンスに似ています。
割と自由な気風で、天才が何人も出る。
「西洋に追いつけ、追い越せ」はまだ無かったにも関わらず、
日本の方が西洋より先んじていた、というものも多々あるのです。

例えば、山片蟠桃(やまがたばんとう)という科学者は
もうこの時代に、他にも恒星があって、その太陽系に恒星があり、地球外生命体がいる可能性を示唆してます。
世界初の宇宙人論です。
三浦梅園という思想家はヘーゲルより先に弁証法のような思想を出してます。

そうすると、「日本は全て西洋より遅れていたので」とは言い難い。
それが何故、「日本は遅れてる」になったか?
それはもう、幕末に西洋人が知りもしないでdisりまくったことが一因だと思います。
彼らは自分らよりも先に、正確な地図を作っていた伊能忠敬はスルーしたし
「日本のほうが先を行ってないか?」印象派の芸術家らは直観で気づいていましたが
「列強」が「途上国」を指導してやる構図でないと、支配の口実にはならなかったのです。

支配させてなるか、遅れてるなら追いつけ!
これが明治になって、「富国強兵」になっていきました。



本題。
「甘えるな」の道徳、頑張れ欲しがるな休むなの精神論、

ナショナリズムと相まった「実践道徳」、これが非常に高まるのは
明治20〜明治30年あたりではないかと思われます。
そして、だいたいその時代に「独占資本」と「貧困層」の問題が出てくる。

「甘えるな!」を美談、道徳、手本にして行かないなら、誰が従うのかというところです。
身勝手は敵、甘えはダメ。しかしその裏にあるのは実は
「支配層は何をしても許される」構図です。逆に、支配される側は何をしても許されない。
「清く正しい者」という倫理道徳を徹底することで、人々は互いを監視しあいますから処罰されなくても、世間体で処断される。
逆に、「お上」に逆らうことが罪になる。
「ならず者だからこそ勤勉な上に逆らうのだろう」となり、思考停止する。

文学方面では、この頃ちょうど北村透谷が精神を病んで首吊り自殺をし
夏目漱石も神経症(五高に赴任した頃)の頃
ロマン派傾向のある詩人は自由を愛します。甘えてなんぼの花を咲かすわけなので
もとよりこの手のサディズム、ストイシズムとは相性が悪い。
これは、日本でなく西洋のゴシックリバイバルや、反近代思想に当たる芸術家らを見てもそうだと思います。


そこで、ここで改めて、年表を出しますと
ドンピシャで

明治23(1890年) 教育勅語
明治27年(1894年) 日清戦争


つまり

この精神論、「甘えるな」は国が教育勅語で出したものであり、戦争の際はとても大事であったろうということです。
明治維新は、民衆による刷新ではなく
「国民全員を武士化する」が目的だった、というと言い過ぎかもしれませんが
実質、その土台を築いたのが薩摩藩、長州藩ですから、言えなくもない。
「しんどい」を「えらい」というのは山口弁ですし、薩摩藩は1/3が武士ですし。



教育勅語は戦後に廃止されますが
実際のところ、それで教育された世代は、次世代をその考えで教育します。
それは理論でなく、「精神論」として刻まれたわけで
今でなら「虐待」「暴力」と訴えられることも、教育勅語脳では正しかったりした。

この戦前教育を受けた者らの指導は、確かに殖産興業から昭和の高度経済成長という
経済の土台を作りました。


「甘えるな」というからには
歯を食いしばり、耐えて耐えて嫌なことをして、お国の為に過労死の一つでもした方が「偉い」んですかね?
そうしない選択は無く、自由に生きることは許さず、また、できない者はみんなで排除したりイジメたり叩きのめしたりする
そもそも、その「追いつきたい」西洋人てのは全員そんな風なスタイルなの?
笑われますよ…
これは「日本」の名を借りた病理に過ぎません。日本のフリをする化け物です。
本来の日本人は、もっと豊かで、もっと自由で、勤勉ですがサディストではないと思います。


時代はどの程度でその空気、パラダイムを変えるか。
3世代下あたりからが怪しい。とすると、もうそろそろではないかと思います。
明治以降が明るい近代になったという見方もありますが
精神的には「逆に暗い牢獄に入れられた」という見方もできるはず。

私たちは気がついたらもう「近代国家」に生まれてて、選択する余地はなく
大人になるということは、近代にログインすることでした。
できない者は病気であるとして、近代そのものの病理には立ち向かえなかった。
長いものに巻かれざるを得ないと知って、仕方なくお利口に振る舞うようになること
「上」には逆らわない姿勢を、単に「大人になる」と言ってきた。
そのおかげで平和であったのも、これも事実なのですが。

そろそろ、緩めてもいいんじゃないかな。
緩めて甘えてもやっていける方法を探す時期に来てるのでしょうね。
何か別の、良い方法があるのなら
それを見つけた時こそ、新しい時代が始まるのかもしれません。




ーーーー
参考文献

「日本近代二百年の構造」謝世輝  432講談社現代新書



「明治維新とは何だったのか」 一坂太郎 創元社



「明治大正昭和の名著総解説」自由国民社


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