中高年女子の ひとりあそび

人生の折り返しも過ぎ、待っているだけじゃやりたいことの半分もできずに終わっちゃう(泣)。
だから出掛けようよ、一人で!

家人を探して三千里 その4(ブルージュ編2)

2013-04-07 14:25:39 | おでかけ






馬車が数多く行きかう愛の湖公園脇。
ベルギー料理の店「Maximiliaan van Oostenrijk」にてランチを頂く。





頂いたランチはこちら。ポークの何がし(フフフ




写真にはないが当然ベルギービールも。



物の本によると、ベルギーは隣国オランダと違い美食文化が受け継がれ
舌の肥えたベルギー人によってレストランは淘汰されているとのこと。



初のベルギー料理。
感想は



......何かが足りない味に感じる(why?......



残念。味わうには舌が貧乏過ぎたようだ(クスクス




さてお腹も落ち着いたので観光開始。

先ずは町の中心マルクト広場へ。






四方に魅力的な建物を配した、ヨーロッパでも五指に入る美しい広場
らしいが、あいにくのドンヨリ天気でなんだか今一つ。



右に建つ鐘楼はブルージュのシンボルとのことで、ここは欠かせない。
登るベシ!登るベシ!






中庭から登って二階が受付。
35M、8ユーロ、366段の螺旋階段。己が足で登ります。





途中幾つか踊り場のような箇所があり
足が辛くて登れないというようなことは無い。

が、何しろ狭かったり細かったりで
太ったら登れない。

更にせっかく登ったテッペンはチョー寒くて二分で降参!
その二分も風と雪のダブル攻撃で、寒さで固まった鳥状態(シクシク






タイミング悪く登った時は鳴らなかったが、
この鐘がねが奏でる透き通った音色は異国情緒を高めてくれる。




聖血礼拝堂

運河





それよりも何かのお祭りのようなものがあったらしく、
黄色いレイを付けた若者たちが奇声を上げて楽しんでる。


この何とも怪しいショップとか。
大勢で出入りしてて、好奇心が刺激されて仕方がない。
でも声掛ける術が無い。


こんな時つくづくもっと語学を勉強しておくんだったと
呑んだくれて消費している己の半世紀を激しく後悔してしまう。




.....3分程はね(クスッ







昔の建築物って面白い。
こんな所まで手を抜かないというか、実用一辺倒にはしないんだな。








疲れたので本日の夜はテイクアウト品で済ませます。






















忘れてはいけない

2013-04-03 20:29:16 | おでかけ

ずっと心に引っ掛かっていた。





忘れてはいけない。

けれど何も出来ていない。




そして、本当のところは何も分かっていない。







廃墟なんかじゃない。
重要な生活の拠点の駅なのに、いまだ再興の糸口すら探せない。






あれから二年が経った。




衝撃的な映像もニュースも、スペクタクル映画の映し出すフィクションとの境が曖昧になっていく。





何かができなくても、起きた出来事を今起きている事実として感じたい。










同じ思いの仲間達とあの三陸へと車で飛び出す。









相馬から海沿いを縫うように車を走らすと
何もない。

どこまで行っても、地図上のどの町に行っても
そこにあるのはだだっ広い農地のよう。

日本の田舎によくある光景。
延々続く季節外れの農地。





そう見えるが、でも違う。



全て波に根こそぎ洗われて、残された瓦礫を取り払った更地の眺め。
ここには私たちの周りのような住宅地が広がっていたのだ





そこに今あるのは新しく巨大な墓地のみ。



ニュースで良く聞く地名じゃなくても
小さな入り江に至るまで、海沿いは全て壊滅してる。




家から土台から全て流されて全滅した集落。

土地そのものが地盤沈下して存在しなくなった集落。









前日に大きな地震があったが津波がこなくて油断したこと

当日、子供が心配で幼稚園に向かい亡くなってしまった息子のこと

避難した体育館では一人当たり体育館座りするスペースしか無かったこと
初日は食欲も無かったが、翌日も家族四人でビスケット二枚。
三日目でも豆腐一丁を四人で分け合っただけ。

被災直後の体育館、寒さをしのげる段ボールの奪い合いになったこと





話してくださった方の手に握られた小さなアルバム。




その中には生きがいだという、可愛いお孫さんの写真。
でも、亡くなった息子さんの写真は無い。

「悲しくて見らんねから。」














20M級の津波に、中に居る人々ごと流された三階建てのビルにビルにビル
絶えないお線香にお花。






もうあの土地に家を建ててはいけない規制になった。
国が地価の何割かで買い取るから、その資金で新たな土地を自分で購入するしかない。



けれど未だにお金は振り込まれず、生活再建の目処もたたない。












被害の規模が甚大過ぎて
小さな人間がいかに人海戦術で頑張ろうが重機を駆使しようが
二年でここまでしか出来なかったのも理解できる。




でも、どうする。

何ができるんだろ。

何をすればいいんだろ。
















話を聞いて貰うだけでも心が軽くなる、と話してくれた。





僅かなお金しか落とせないけど、
また行ってこよう。




それ以外何も浮かばない。