2日続いての雨、私の日課、庭の水やりはお休みです。不要になった浄化槽を雨水タンクにやり変えて、できるだけ水道水を使わないようにしているのですが、日照りが続くと雨水タンクも干上がってしまいます。今日の雨でタンクの水も少しは増えたことでしょう。幾分、穏やかな気持ちでブログを更新することにしました。
先の週末は地元自治会の夏祭りや商店街の夏まつりと、子どもたちにとっては残り少ない夏休みの楽しいひとときだったかと思います。
今年は自治会の役員が回ってきたので、光線過敏症の私は、日焼け止めを厚く塗り、日よけの手袋、帽子と、紫外線防御のいでたちで何とか参加しました。地域の方々が子ども達のためにと、暑い中、労を惜しまず奮闘されている姿には頭が下がりました。
26日は、はばたきホールで開催された「在宅緩和ケア特別講演会」に出かけました。
厚労省のがん対策推進協議会の委員をされている、川越厚医師による特別講演「在宅緩和ケアの哲学」に引き続き、シンポジウム「在宅緩和ケアネットワークの構築」を聞かせていただきました。
シンポジストのお一人、近畿大学奈良病院の先生によると、生駒では、診療科や病院による温度差がかなりあって、多くの科で実践されているとは言えないものの、在宅緩和ケアを実践されている診療所の医師と病院の医師が連携し、痛みを和らげる緩和ケアを受けて、自宅で亡くなられる方が多いとのことでした。座長の森井医師によると、生駒市でのがん患者の在宅での看取りの率は約20%、全国でも最も高いとのことでした。
生駒総合病院に勤務していた時に、訪問看護ステーションの看護師さんと一緒に何人かの在宅の方を訪問し、床ずれや皮膚病の処置をしたこともあり、私にとっては在宅医療は身近なものでした。また、特に、緩和ケアは、私には大切な家族につらい思いをさせたという痛恨の思いがあって、田原本にある国保中央病院の緩和ケア病棟「飛鳥」を訪ねたり、何度かホスピス研究会の講演会にも出かけました。
家族というのは、今年の秋に17回忌を営むのですが、末期がんで亡くなった夫の父のことです。
亡くなるま際まで住み慣れた自宅で療養していた義父、誰よりも辛抱強い人でした。
どんなに激しい痛みと息苦しさをこらえておられたことか、今から思うと悲しくてなりません。当時は緩和ケアは一般的ではなかったように思いますが、特別講演によると1987年にはHospice Care Systemsという書籍も出されていたとのこと、息子夫婦は2人とも医者であったのに、思い至りませんでした。
義父を思い出しながら、生駒は、できうる限り多くの方が穏やかな最後を迎えられる街になって欲しいと思いました。
ところで、先のシンポジストの先生から、以下のような言葉を聞くことができました。
○病院勤務医と在宅医療を専門とする医師が協力して患者さんを見ていく「併診」が重要
○医師には「利他」のこころが必要
○地域全体が病院(として機能させることが重要と言う意味と受け止めました)
私は生駒総合病院閉院後、「地域完結型医療」(最後に紹介)という言葉を知り、それ以来、生駒でも実現できたらと考えてきたのですが、このシンポジウムで同じような思いに出会ったと感じました。嬉しくなりました。
最後に、参加されていた商店街の方から「商店街にできることはないか」という質問が出ました。医療について、医療者だけでなく、住民も考えようとしていることに、一層、嬉しくなりました。
私は生駒にこれからできる市立病院、3次医療を提供する近大奈良病院、民間の病院、診療所を中心に、生駒だけでなく周辺自治体の先生方などのご協力も得ながら、そして、住民も一緒に考え、地域全体が病院として機能するような街になってほしいと願っています。
また、終末期の医療は、内容によっては医療費をぐっと押し上げる原因になります。
ご自身が終末期に受けたい医療はどのようなものでしょうか?
住民のみなさんにも、医療について考え、特に、ご自身の終末をどのように迎えたいか、在宅緩和ケアも含め、一緒に考えていただきたいと思います。
医療費が膨らみ国民皆保険が破たんするのではと危惧される時代。
もしかしたら、受けたい医療、終末期の迎え方を考えることで、穏やかな最後と共に、国民皆保険の破たんも防げるかもしれません。
「地域完結型医療」について
総合メディカルマネジメント2005年5月5日放送
「医療の原点から経営を考える」 (九州大学大学院 医療システム学分野 信友 浩一教授 )より抜粋。
・・・医療者は医療の原点から、つまり患者さんがどのように医療に期待しているか、要望しているかと言う発想を知ること、そして我々医療を提供する側は患者さんが恐れていること、期待していること、要望していることがわからないという前提に立って、医療の現場を見ないといけないと感じています。・・・
第一は、自分が生活している、生まれ育ったなじみのある土地を離れて、医療は受けたくないということです。どんなに優れたドクター・病院があったとしても、できる限りそういうことは避けたい、なじみのある地で医療を受け、手術を受け、死にたいという期待・要望をもっています。
第二は、わかりやすい医療です。安全な医療、治る医療といったことではなく、自分にわかる医療を受けたということ。
そして第三に、自宅で介護や医療を受けたいというときに、必要な訪問看護ステーションとの連携などを含めて、シームレスな医療を受けたいと考えています。
・・・
3つの期待あるいは不安に注目して、いろいろな地域の医療現場において対応が行われています。それを、私は地域完結型医療という名前をつけています。従来は、自分の病院で患者さんのために必要なことをすべて提供しよう、医療連携は縁故ネットワークでやろう、といった施設完結型医療でした。それに対して、地域が求めているものを医療人同士ネットワークを組んで、大学あるいは医局の壁を越えて行う、これが医療の原点からでてくる対応策、つまり地域完結型医療だと思います。・・・
先の週末は地元自治会の夏祭りや商店街の夏まつりと、子どもたちにとっては残り少ない夏休みの楽しいひとときだったかと思います。
今年は自治会の役員が回ってきたので、光線過敏症の私は、日焼け止めを厚く塗り、日よけの手袋、帽子と、紫外線防御のいでたちで何とか参加しました。地域の方々が子ども達のためにと、暑い中、労を惜しまず奮闘されている姿には頭が下がりました。
26日は、はばたきホールで開催された「在宅緩和ケア特別講演会」に出かけました。
厚労省のがん対策推進協議会の委員をされている、川越厚医師による特別講演「在宅緩和ケアの哲学」に引き続き、シンポジウム「在宅緩和ケアネットワークの構築」を聞かせていただきました。
シンポジストのお一人、近畿大学奈良病院の先生によると、生駒では、診療科や病院による温度差がかなりあって、多くの科で実践されているとは言えないものの、在宅緩和ケアを実践されている診療所の医師と病院の医師が連携し、痛みを和らげる緩和ケアを受けて、自宅で亡くなられる方が多いとのことでした。座長の森井医師によると、生駒市でのがん患者の在宅での看取りの率は約20%、全国でも最も高いとのことでした。
生駒総合病院に勤務していた時に、訪問看護ステーションの看護師さんと一緒に何人かの在宅の方を訪問し、床ずれや皮膚病の処置をしたこともあり、私にとっては在宅医療は身近なものでした。また、特に、緩和ケアは、私には大切な家族につらい思いをさせたという痛恨の思いがあって、田原本にある国保中央病院の緩和ケア病棟「飛鳥」を訪ねたり、何度かホスピス研究会の講演会にも出かけました。
家族というのは、今年の秋に17回忌を営むのですが、末期がんで亡くなった夫の父のことです。
亡くなるま際まで住み慣れた自宅で療養していた義父、誰よりも辛抱強い人でした。
どんなに激しい痛みと息苦しさをこらえておられたことか、今から思うと悲しくてなりません。当時は緩和ケアは一般的ではなかったように思いますが、特別講演によると1987年にはHospice Care Systemsという書籍も出されていたとのこと、息子夫婦は2人とも医者であったのに、思い至りませんでした。
義父を思い出しながら、生駒は、できうる限り多くの方が穏やかな最後を迎えられる街になって欲しいと思いました。
ところで、先のシンポジストの先生から、以下のような言葉を聞くことができました。
○病院勤務医と在宅医療を専門とする医師が協力して患者さんを見ていく「併診」が重要
○医師には「利他」のこころが必要
○地域全体が病院(として機能させることが重要と言う意味と受け止めました)
私は生駒総合病院閉院後、「地域完結型医療」(最後に紹介)という言葉を知り、それ以来、生駒でも実現できたらと考えてきたのですが、このシンポジウムで同じような思いに出会ったと感じました。嬉しくなりました。
最後に、参加されていた商店街の方から「商店街にできることはないか」という質問が出ました。医療について、医療者だけでなく、住民も考えようとしていることに、一層、嬉しくなりました。
私は生駒にこれからできる市立病院、3次医療を提供する近大奈良病院、民間の病院、診療所を中心に、生駒だけでなく周辺自治体の先生方などのご協力も得ながら、そして、住民も一緒に考え、地域全体が病院として機能するような街になってほしいと願っています。
また、終末期の医療は、内容によっては医療費をぐっと押し上げる原因になります。
ご自身が終末期に受けたい医療はどのようなものでしょうか?
住民のみなさんにも、医療について考え、特に、ご自身の終末をどのように迎えたいか、在宅緩和ケアも含め、一緒に考えていただきたいと思います。
医療費が膨らみ国民皆保険が破たんするのではと危惧される時代。
もしかしたら、受けたい医療、終末期の迎え方を考えることで、穏やかな最後と共に、国民皆保険の破たんも防げるかもしれません。
「地域完結型医療」について
総合メディカルマネジメント2005年5月5日放送
「医療の原点から経営を考える」 (九州大学大学院 医療システム学分野 信友 浩一教授 )より抜粋。
・・・医療者は医療の原点から、つまり患者さんがどのように医療に期待しているか、要望しているかと言う発想を知ること、そして我々医療を提供する側は患者さんが恐れていること、期待していること、要望していることがわからないという前提に立って、医療の現場を見ないといけないと感じています。・・・
第一は、自分が生活している、生まれ育ったなじみのある土地を離れて、医療は受けたくないということです。どんなに優れたドクター・病院があったとしても、できる限りそういうことは避けたい、なじみのある地で医療を受け、手術を受け、死にたいという期待・要望をもっています。
第二は、わかりやすい医療です。安全な医療、治る医療といったことではなく、自分にわかる医療を受けたということ。
そして第三に、自宅で介護や医療を受けたいというときに、必要な訪問看護ステーションとの連携などを含めて、シームレスな医療を受けたいと考えています。
・・・
3つの期待あるいは不安に注目して、いろいろな地域の医療現場において対応が行われています。それを、私は地域完結型医療という名前をつけています。従来は、自分の病院で患者さんのために必要なことをすべて提供しよう、医療連携は縁故ネットワークでやろう、といった施設完結型医療でした。それに対して、地域が求めているものを医療人同士ネットワークを組んで、大学あるいは医局の壁を越えて行う、これが医療の原点からでてくる対応策、つまり地域完結型医療だと思います。・・・