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日々の泡...。。。

池田聡のブログ!

移動の友

2010年01月04日 | 
さて、年末年始の大移動の友の話をしましょう。
道連れはいなかったのですが、音楽と本は強い味方でした。

音楽はiPodで、シャッフルが基本的な聴き方。
流れをオーディオ・プレイヤー任せも好いものです。
僕のiPodには1万曲以上入っているので、忘れていた楽曲をさ発見させてくれたりします。
今回は特定のアルバムを聴くというより、iPodが選び出す偶然の楽曲の繋がりを楽しんだのでした。

さて、今回の旅中読書は、その偶然というもの、思い付きが人生を大きく変えてしまう物語「身の上話」佐藤正午著でした。
今までも「ジャンプ 」、「彼女について知ることのすべて」、「Y」、「リボルバー 」等の傑作や佳作を読んできました。
この方は、とても巧い小説家だというのが、僕の印象。
胸くそ悪い(失礼!)物語だけど、とても面白かった「5」も、この方の巧さが光ります。

とにかく「身の上話」は、彼の代表作に数えられる作品だと思います。

出来るだけゆっくりと読みながら富山へ、そして富山から松山へ。
岡山から松山への間は、移動自体に飽きて、うたた寝したりしましたが、今回の移動中に読了しました。

読み始め、身勝手な女の堕ちてゆく様を描いた作品かと思いきや、思わぬ展開に引き込まれます。
そして驚きの結末。

人間誰もが、ある瞬間に偶然に流されて生きていると思うのですが、それは運命と呼ぶべき流れを引き寄せてしまう、ということなのかもしれません。

例えば、第一志望校を落ちてスベリ止めで受かった大学に入学したことで、居酒屋でたまたま隣の席に座った男と恋に落ちて、街角で偶然聴いた音楽に、いつもの電車を乗り遅れたことで、人生は思いがけぬ方へ向かうのかもしれません。

その流れに身を任せることで人生を大きく変えるのか、それとも流れに逆らうのか、読後にそんなことを考えてしまいました。

ま、そんなことより非常に面白い旅の友でした(^^)b!

夏への扉

2009年10月14日 | 
読書の秋真っ盛りではありますが、伊勢にて本番前に読み終えた本を紹介します。
実は、改めて紹介するまでもない名作「夏への扉/ロバート・A・ハインライン著」、本当は夏に読みたい物語です。

1963年(僕の生まれた年です!)に福島正実訳で刊行された「夏への扉」が、この夏に「アルジャーノンに花束を」の翻訳家の手によって新訳としてリリース。
装丁も新しいものです。

確か、高校生の頃に読んだと思われるのですが、その時も読後感が最高に好い作品でした。
30年近いブランクもあるし、文章を比べたわけではないので、その違いは今ここで言えませんが、今回も読後に爽やかな気持ちになりました。

舞台は1970年~2001年、未来だったはずの物語も、現在の我々からするととっくに過ぎ去った過去です。
物語中の未来の科学は現実とは大きく違ってしまっていますが、描かれている物語は夢に溢れています。

コールドスリープやタイムトラベルを扱うSF小説なので、SFはちょっと…と敬遠してしまう方もいるかもしれません。
しかし、猫好きの方は必読の小説です。
そして、それほど複雑なタイムパラドックスを感じさせることはありません。
既に読んだことがある方は、新訳を楽しんでみてください!
オススメです!

モヤモヤする一日

2009年07月03日 | 
誘われて、知人が制作するミュージカルを観劇。
とてもエンターテインメントしていて面白い作品でしたが、肝心の歌の歌詞が聴き取り難く、イマイチ歌詞の内容を把握することが出来ず残念。
今日は雨の空模様だし、寝起きから頭が重かった僕です。
きっとそのせいもあったのでしょうね。

小雨の中、こんな雨に傘をさすもんか( ̄ー ̄)ノ!…何故かそう思って濡れながら歩きました。

帰宅しても、頭の中に靄がかかったような感じです。
それは、昨夜から読んでいる短編集のお陰で、何とも言いがたい歯痒さが胸の中にあり、優しい気持ちと切ない気持ちが綯い交ぜになったようなモヤモヤがため息のように漏れたりします。

ま、そんな日もあって、昨日のような日もあるってことですね。
その本の帯にはこう書いてあります。
「世の中から、こぼれおちたとしても。生きていくしか、ないじゃないか。」

立ち向かう者たち/東直己

人生は苦く厳しい。
抱きしめてあげたいような気持ちになるのに、どうしていいか分からない。
そんな短編集です。

本格的な冬が

2008年01月12日 | 
しとしとと降る雨の東京。
今日から本格的な冬がやってきたようです。
寒い…。
ライヴも近いし、風邪に気をつけないといけないですね。

さて、久々に本の紹介をしましょう。
年末年始、思ったよりも忙しい最中、移動の電車の中や就寝前のベッドで、数ページずつ読んで、読み終えるのに2週間ほどかかりました。
角田光代著「八日目の蝉」。
角田光代さんは初めて読みました。
ミステリー仕立てではありますが、読後には、切なく、そしてやさしい気持ちで満たされる素敵な内容でした。
ストーリーは、悲しく、哀れで、残酷です。
まるでドキュメンタリーのようで、こんな事件を以前TVのニュースで知っているような気がしてしまうほどです。
行ったこともない場所なのに、いくつもの場面を映像として思い出すことが出来るような、読後感です。

男である僕には、当然のことながら、出産は経験できません。
その感覚も、喜びも、実感は出来るものではないのかもしれません。
しかし、この登場人物たちの心を想像し、感情移入し、何だかいくつかのページで泣けてきました。
最後の章も、知らない内に涙が流れてしまいました。
これは母親の物語なのですね。
静かな感動のある本でした。

5

2007年07月15日 | 
佐藤正午著「5」には、何だか悪い印象を付けてしまったような気がして、上手く気持ちを書けなかったことを反省。
ということで、もう少しこの小説について書いてみようと思います。

読後に残っている言葉は、一言で言えば、「冷めないスープはない」ということ。
つまり、「愛は冷める」とか「永遠の愛なんてない」ということに作者なりの、ある意味冷めた目線で、挑戦している内容な気がします。

確かに「冷めないスープはない」のでしょう。
しかし、「愛は変質する」というのが僕の持論でもあります。
変質と書くと変な誤解を招きそうですが、「質が変わる」のであってなくなるわけではない。
例えば、恋人から家族へ。
例えば、恋人からパートナーへ。
なくてはならない人であるというのは変わらないような気がするのです。
というか、そうあって欲しい、と思うのです。

そういった分かりやすいメッセージを、もっと深く、単なる「泣けて感動的な物語」というオブラートに包むことなく、厳しい現実や選択をもって結末を作る、作者の筆力は凄いですね。

こんな小説があってもいいのではないでしょうか。
主人公の小説家は嫌いです。
なのに、やはり、とても面白い小説なのです。

ところで、「ノルウェイの森」に登場する新宿のDUGは、昔時々行きました。
散々酔って、酔いを醒ましに立ち寄ったこともありました。
古き良き時代のJazz Cafe BARという感じでした。
今もあるのでしょうか?
懐かしい…。

鼠は恋をしない?

2007年07月14日 | 
カズオ・イシグロ著「わたしを離さないで」を読んで以来、その素晴らしさに、その後は何だか充たされない読書の日々を送っていました。
面白いと思うものも多いのですが、何かが少し足りない…そんな感じです。

最近読んだもので、印象的な作品といえば、佐藤正午著「5」があります。
非常に面白い小説だったのですが、登場するキャラクターのほとんどに嫌悪感を感じるという珍しい小説でした。
帯に「反・世界の中心で愛を叫ぶ」とあるように、不治の病や純愛とか、まぁ僕もそういうのは大嫌いなのですが、感動の予定調和へと導く設定は皆無で、結末は色々と思うところもありつつ、主人公は最悪の男です。
読む者の心を寒くする男。
それにつけても作者の筆力を感じる凄い話です。
佐藤正午さんには「ジャンプ」や「Y」や「彼女について知ることのすべて」等の傑作がありますが、これまでと質感の違う、しかし佐藤正午さんらしい作品。
面白いのに好きじゃない…何ともいえないですね。

そのお陰で、またまた充たされない気持ちになり、何故か今まで意味もなく避けていた村上春樹作品を読むことに。
ということで読んだのは、代表作(?)とも言われることの多い大ベストセラーの村上春樹著「ノルウェイの森 上」そして「ノルウェイの森 下」。

カズオ・イシグロと共振するような感覚、ひどく寂しく哀しい小説でした。
もう20年も前の小説。
ベスト・セラーは手に取らない傾向にある僕が読まなかったのは今更仕方ないとして、今この年齢で読んでよかったのかもしれないですね。

何といっても冒頭の飛行機内のシーンだけでやられてしまいます。
この章は、物語中で最も今の僕と主人公の年齢が近いせいもあるかもしれないのですが、ぐいぐい引き込まれてしまいました。
この作品の評価が世間で分かれるのは、それだけたくさんの人に読まれたせいもあり、作品中の性描写のせいもあり、登場するキャラクターのせいもあり、精神を病む登場人物や自殺が大きな要素として扱われているせいもあると思います。

しかし、作品、つまり音楽や映画もそうであるように、この小説も当然そうですが、読者が作品に自分をどこかで投影しながら追体験していくという性質上、深い共感や嫌悪を呼び覚ますということは、それだけ強い作品だということだともいえるのかもしれません。
説明し過ぎないところが僕は好きですが、そこが気に入らない人もいるのでしょう。

恋愛小説、青春小説、喪失の物語、そんな言い方が出来ると思いますが、僕には孤独な、そして失う悲しみに満ちた小説という色合いが強く感じられたのでした。
僕と同じように感じた方は、主人公のように、十数年という時が過ぎ去っても、「ノルウェイの森」を聴いた途端にフラッシュバックしてしまうほどの寂しさと哀しさを、胸の中にそっと隠しながら生きているのかもしれませんね。

物語の「1970年前後」という時代背景は、僕の憧れの時代でもあります。
たくさんの素晴らしい言葉が、美しい風景が、胸を衝く孤独が、切ない愛が、そしてやるせない哀しみが、随所に散りばめられた作品でした。

喪失と再生

2007年06月19日 | 
昨夜のアポロのレコーディングは、思ったほど時間がかからず、早めの帰宅。
ふーっ、と少し小休止。
今週末の宇都宮ライヴはあるけれど、少しだけ溜まっていた仕事をしなければいけないとはいえ、ちょっとだけカラダを休めることが出来そうです。

さて、この忙しい最中、移動中などに読み進めた本に「太陽の塔」森見登美彦著があります。
日本ファンタジーノベル大賞受賞作とのことで、僕の好きな岡本太郎の「太陽の塔」がシンボルとなるお話。

簡単に言えば、失恋した男が絶望と妄想の中で京都の街を徘徊する…というようなストーリー(笑)。
京都にお住まいの方には、きっと可笑しくてたまらない話だと思います。
京都にもっと詳しかったらなぁ…と思ったりしました。

この小説は、コメディーであり、ファンタジーであり、青春群像というものなのかもしれませんが、お互いにすれ違っていく儚さ、人の気持ちを思いやる気持ちの欠如の悲しさ、笑いの奥にあるのは呆然とする時の流れ。

主人公の気持ちは空回りし続けます。
都合よく、相手が自分の思ったように気持ちを理解はしてくれません。
当然、自分も相手の思うように相手を理解できません。
結局、都合よく解釈して、自分が自分を癒すしかないのです。
絶望し、救われ、誤解し、慰める。
生きる上で、誰もが必ず通る通過儀礼のような再生の物語。

空回りして一人歩きする主人公の気持ちが、喜劇的に、ファンタジックに、悲劇的に、そして何よりも間抜けに語られていきます。
独特な語り口なので面食らう方もいるかもしれません。

叡山電車に乗って、ファンタジーの世界へ行ってしまっていると思われる彼女を、追いかけても手が届かず、待ち続け、そして独白のように語られる結末。
悟りと絶望は紙一重だけど、決して悟りの境地には到達することはないのだなぁ…と切なくなるお話でした。

心には、カラダの傷と同じように、傷跡が残るものなのでしょう。
結末は、おそらく「再生」と捉えたいのだけど、喪失してしまった心の中の一部は、「再生」していっても二度と癒えることはないのだと思うのでした。
その傷跡は青春の証なのかもしれませんが、それは失ったものを待ち続ける男の浅はかさの証でもあるのかもしれません。

笑い、苦笑い、失笑、心痛、そんな感じかな、このお話は。

Never Let Me Go

2007年05月17日 | 
買いたい本があって、仕事の途中で足を運んだ書店。
しかし、発売日より少しだけ早かったらしく、書店内検索のパソコンにも表示されず…。
その空振り具合の埋め合わせるように、買う予定のなかった本を数冊購入。
ダメですね、相変わらず。

そんなに僕を書店へ向かわせる気分にさせた本があります。
先日の広島~岡山~神戸のぶらりツアー移動中に読んでいたカズオ・イシグロ著「わたしを離さないで」は、衝撃的な内容でした。

非常に抑制の効いた文章に読み進む内に、深く引き込まれていきます。
そこにあるのは悲しみの地平、そして美しい景色。

生まれてきた理由を知りたいのは人の常です。
答えを何かの達成に求める者、愛に求める者、夢を追う者、それは様々。
生とは何か、人とは何か、生命とは何か。

この物語を読み進めながら、これほど悲しい物語なのに、涙もろい僕なのに、涙は一滴も流れませんでした。
淡々と紡がれていく主人公達の青春と、残酷な運命。
ホンの僅かな希望、そして絶望。
いや、希望など初めからなかったのかもしれません。
生きるとは、そんなことなのかもしれません。
全てを受け入れて、全てをそのまま受け入れて…。
ヘールシャムの真実、失われた物たちが集まるところノーフォーク。
これはファンタジーなのか、SFなのか、それとも…、う~ん、そんなことはどうでもいいのでしょう。
胸の奥にずっしりと重く積もる苦しいものが、涙さえも堰き止めてしまうような、そんな儚さを感じてしまいました。

読後、数日が経ちます。
ふとした街角に、見上げた遠い空に、すれ違う人に、TVの映像に、聴いている音楽に、そこはかとなく漂う悲しみ。
何だか凄い小説を読みました。

うさぎ

2007年05月08日 | 
『人は誰かに必要とされて初めて生きていける』
そう誰かが言っていたのを聴いたことがあります。

家族に、恋人に、親友に、そんな人たちに必要とされている時、生きているという実感を得るのかもしれませんね。
それが、例えば、ペットの犬や猫でも、「自分がいないとこの子たちが生きていけない」という感情は「この子たちに必要とされている」というような感覚なのかもしれません。
孤独や寂しさには弱いのが人なのでしょうね。

そういえば、かの高倉健さん著作のエッセイ「あなたに褒められたくて」の最終章だったと思いますが、健さんが母親に向けて「あなたに褒められたくて生きてきました…云々…」という件があります。
あの男の中の男・高倉健さんを益々大好きになるエッセイです。
GWだから実家に帰省してみたものの、何も親孝行出来なかったし、普段からそういうことを口に出すことが苦手な僕としては反省しきりですが…。

ある時、うさぎ年生まれの僕は、ある女性に「うさぎは寂しいと死んじゃうんだよ…」と口説き文句を述べてみたのですが、「うさぎはぴょんぴょん跳ねてどこか違う人のところに行っちゃううんだよ…」と切り替えされたことがあります(笑)。
あら、まぁ、上手なこと…( ̄▽ ̄)。
瞬時に自分の敗北を悟ったのでした(´Д`)。

『ぴょんぴょん跳ねてどこか違う人のところに行っちゃうし、寂しさで死んじゃううさぎ』…情けなくて、そして物悲しいですねぇ(´・ω・`)。

みなさん、誰かに必要とされていますか?
ぴょん!!

言葉は

2007年05月05日 | 
夜中に犬に起こった奇妙な事件 / マーク・ハッドン(著)」という小説を読み終えました。
自閉症(そうとは小説内に書かれてはいないですが)の少年が主人公のミステリー。
少年は、数学や物理学の天才で、触られるのが嫌いで、知らない人は怖くて、人と目を合わせて会話が出来なくて、人の表情を読み取ることが出来なくて、言葉の意味を言葉通りにしか理解できなくて、感情をコントロール出来ず、いくつかの感情は理解できない。
そんな少年が探偵役を務めるミステリーは、興味深い物語でした。

言葉は不完全。
言葉は不器用。
そう言われることが多い「言葉」。
しかし、言葉を操る人が不完全なのだと思う。

僕は、あまり喋らないと思われがちだけど、実は雄弁でたくさん喋ります。
何故なら、ちゃんと伝えたいから、といつもは言っています。
しかし、本当は少し違うのです。
いくら言葉を選んでも、いくら言葉を尽くしても、本当のところは伝えきれていないから不安なのです。
自分の心の内をありのままに伝えられないもどかしさ。
それを少しでも払拭するために、言葉を駆使しようとします。
でも、話せば話すほど本来言いたかったことをちゃんと表現できていないようで、終いには言葉をなくしてしまう。

言葉って本当に難しい。
歌が好きなのは言葉にメロディーという表現手段が加わり、少しは情報量が増すように思えるからなのかも。

言葉をナイフに変えるのも、言葉を青い鳥に変えるのも、全ては人の為すこと。
結局は心の問題ですね。

人は一所懸命に生きるとき、自分を正当化して都合良く解釈しがちです。
そして短絡的です。
それは、実は自分だけを愛している人にありがちです。
「正直に生きる」とか、「頑張る」という言葉を言い訳にします。
一見、綺麗な言葉たち。
自分の「正直」のために人を傷つけることも厭わない。

悲しみや怒りは、思ってもいない言葉を生み、言わなくても良いことまで吐き出し、優しさは残酷さと同一であり、心を閉ざしてしまえば何も見えないし聞こえない。

この小説を読んでいると、正常に(何が正常なのかは判断が難しいですが…)コミュニケーションの取れない少年の目線で描かれているので、大人たちの方が不器用に見えたりもします。
優しさや心遣いが、余計に悲しくて切ないです。
しかも、それが伝わらないことが、より悲しいのです。
誰も傷つけたくはないのに、お互いに傷つけあう人たち。
少しずつ真実に近付きながら、苦悩し冒険する少年の目に映る世界は不安に満ちています。
独りぼっちの世界。
身勝手さ、迷いや苦しみ、全て許しあうのは困難なのかもしれませんが、全て許せる日が来ることを願わずにはいられないのです。
そして、少年には見えず感じることの出来ない「愛情」というものが少年の周りの世界に満ちていることに気付いて欲しいと。

とても切ない話でした。
でも、少し優しい気持ちにはなれる気がしました。

GWの、真面目な読書感想文でした。

もやしもん

2007年02月17日 | 
マンガを読むことは珍しくないのですが、これは面白い!!って作品です。
もやしもん 1―TALES OF AGRICULTURE (1)」。
バカバカしくもあり、その割りに意外と勉強にもなるなぁ。
普段はイッキ読みする方ですが、今現在出版されている4巻までをかなりスローペースで読んでいます。
寝る前に5ページとか(^^)。こういう大学ライフって今時なさそうなのになぁ…。

寒くなりました

2006年12月20日 | 
打ち合わせをした後に、書店に寄りました。
しかし、今日は何もピンとくるものがなく、書店中を一周して帰りました。
なんだかそんな日ってありませんか?
本も出逢いだからなぁ…。

移動が多い時には、電車や飛行機の中、コーヒーで休憩中に、ホテルでの就寝前に本を読みます。
活字がないとダメなのです。

ここのところ読んだのは、SFの傑作「アイの物語/山本弘」、ホラー的な要素もある「雷の季節の終わりに/恒川光太郎」、柔術も登場する「後ろ傷/東直己」、とても感動した「デッドエンドの思い出/よしもとばなな」等など、他にもたくさんありますが…。

最近は寒くて、カラダが疲れやすくなっていますが、夢中になりすぎて余計に疲れてしまうほど面白い本に出逢うと、ダメージに反して、それはそれで嬉しくなってしまいます。
しかし、風邪などひかないように程々にしないといけませんね(笑)。
みなさんも気をつけてくださいね(^^)。

秋の夜長には

2006年09月14日 | 
最近ゆっくりと本を読んでいなかったので、就寝前にちょっとずつ読んで1冊読了。

まほろ駅前多田便利軒 / 三浦しをん」

三浦しをんさんには、以前読んで感心したものに「むかしのはなし」、「私が語りはじめた彼は」があった。

今回は、どちらとも違うタッチでじんわりと切ない話。
帯にあったのだけど、どうやら第135回直木賞を受賞したらしい。
なるほどねぇ。

秋の夜長は読書ですね。
リハーサル、稽古、本番に追われることになるので、気分転換は読書に決まりですね。

…まぁ、たまにゲームもするかもしれないけど。
するなら数独かな。

読書の真冬

2006年01月18日 | 
こんなに寒いと外に出かけるよりも、室内でゆっくりと読書するのが一番です。
今はこんな本を読んでいます。

月への梯子 / 樋口有介」。

この作家は何故か読んでしまう。
飛びぬけて凄いわけでもない(失礼!)と思いつつ、ワンパターンだし、凄いトリックが有るミステリーでも泣ける文芸小説でも格調高い文学でもないのに、新刊が出ると必ず買って読んでしまう(笑)。
仕事の合間に、移動中に、というのが僕の読書スタイルなのだけど、軽さが丁度よいというのかなぁ。
今回の作品は、今のところ久々の秀作の予感。
今後の展開が楽しみ。

最近読んだ中で傑作といえるのが、「容疑者Xの献身 / 東野圭吾」かな。
「このミス」等のミステリー評論本3冊で2005年の1位を獲得らしい。
その評価通りに面白い!
切ない話ですよ。

東野圭吾さんには傑作が多い。
そういえば直木賞を取ったみたいですね。
おめでとうございます。
ドラマ化されている「白夜行」も凄く面白い。
ドラマは、見ていないので分からないけどね(^o^;)。