三内丸山遺跡です。青森。
小学生くらいで覚えたであろう「縄文時代」「弥生時代」ですが、「縄文時代」を見下していた
と思いますね。「弥生時代」から文化的な人類時代が始まったのであって、それ以前は原始の
時代領域なんだと。
そんな、この1ヶ月ほど前に欧米の学者さんが「縄文時代」「縄文人」はスゴイとおっしゃって
いるのを聞きました。なんで、今、縄文なんだとも思いますが、その再放送を二度も見ること
となり、魅入られてしまいました。オーバーか。
『 縄文人は農耕を受け入れないで「狩猟採集民」として、1万年以上もの長期間、自然と共存し、
豊かな食生活と文化的な生活を持続していた 』、というのです。ジャレド・ダイアモンド教授
(カリフォルニア大学)がおっしゃっています。
そのうえ、イギリスの大学の研究チームが、縄文土器を調べて「おこげ」の跡を見つける。これは
「煮炊き」していたということで、調理革命といえるのだそうです。食材が増え、食の幅が拡がり、
安定するのであろうとなります。
ジャレド教授は、世界四大文明よりもはるかに長期間・1万年ですよ、豊かであったといいます。
世界が注目しているそう。日本の研究者はお休みのよう。
スゴイでしょ。そうして、なんか嬉しくなってくる。そう、大祖先かも知れませんからね。
それで、愛着をもって調べてみました。
縄文時代の人口は、なんと26万人(紀元前2300年のころ)だった。
縄文時代も晩期に一気に減少する。26万人が、8万人にまで落ちてしまう。
これは、鬼頭宏(きとう ひろし)上智大学経済学部教授の研究です。
専攻は日本経済史、歴史人口学。「宗門人別改帳」などの史料をもとに、
縄文時代から江戸時代までの人口推移をあらためて明らかにした。のだそうです。
正直、なあーんだ。とはなりますが、わたくしの“縄文愛”はそれほど変化しませんでした。
1万5千年前、針葉樹から広葉樹へと変わる。この温暖化は、木の実の森、魚の豊かさを
もたらします。
農耕は自然をこわす、というコメントを番組では使っていました。
栗・クリを計画的に植えていたようで、栗の森があったとか。クリはすぐに食べられるからです。
火焔土器などの芸術性の高さ。岡本太郎さんが絶賛していました。「自然の精霊」という言い方が
あるとか。三内丸山では土偶がヒトを集め、大集落になったとか。
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