男女で競技に出る部員が45名、1人でそれをいっぺんに指導するのはもう限界ですので6月からは男女の練習を週一回を除いて別々にします。少し今までと練習日パターンは変わるかもしれませんが、明日までには6月予定を掲載します。
今回の写真は3年前の県民スポーツ祭です。バスケット部顧問だったにもかかわらず、バドミントン同好会の副顧問にもつかせてもらい、当時の同好会で声をかけてやる気になった2年生2人と1年生2人を出場させました。写真の彼らは(正面を向いている)もう大学2年生です。いずれも大学のバドミントン部に入り、今も続けています。このときの結果は初戦敗退、1人だけ2回戦進出だったのでしたが、競った試合をして他の学校の顧問の先生からエールをもらいました。たった3年前のことですが50人以上を相手にしている現在、感慨深いものがあります。今思えば初の公式戦でした。
現役の部員に一言。確かに同好会である事実には変わりなく、練習環境も良いとは言えませんが、少なくとも写真の彼らの時よりは部の体制は恵まれています。3年前の彼らは学校からの理解を得られず、インターハイには出場できませんでしたが、ハングリー精神で頑張ったのです。そして彼らがいたからこそ今があるのです。詳しく話せばきりがないのですが、こういう厳しい時代がすぐ前にあったことを理解して練習に励んでください。
今回の写真は3年前の県民スポーツ祭です。バスケット部顧問だったにもかかわらず、バドミントン同好会の副顧問にもつかせてもらい、当時の同好会で声をかけてやる気になった2年生2人と1年生2人を出場させました。写真の彼らは(正面を向いている)もう大学2年生です。いずれも大学のバドミントン部に入り、今も続けています。このときの結果は初戦敗退、1人だけ2回戦進出だったのでしたが、競った試合をして他の学校の顧問の先生からエールをもらいました。たった3年前のことですが50人以上を相手にしている現在、感慨深いものがあります。今思えば初の公式戦でした。
現役の部員に一言。確かに同好会である事実には変わりなく、練習環境も良いとは言えませんが、少なくとも写真の彼らの時よりは部の体制は恵まれています。3年前の彼らは学校からの理解を得られず、インターハイには出場できませんでしたが、ハングリー精神で頑張ったのです。そして彼らがいたからこそ今があるのです。詳しく話せばきりがないのですが、こういう厳しい時代がすぐ前にあったことを理解して練習に励んでください。