築後30年余を数える我が家が、段階的に内装リニューアルに入っている。
それは7月下旬、1階と2階のトイレ部分から始まった。以降、門扉とガレージの開閉扉を交換し、キッチンの壁張替えと食卓テーブルセットの交換、応接セットの交換へと進んでいくのだが、その間には、積もり積もった大型ゴミよろしく、どうやら捨てるに捨てられず、女房が置いていた風な、二人の子供達の使った教科書とか絵本、おもちゃ類、あるいは数回使用したのみの健康器具とか、どこにこんなにあったのかと思うようなグラス・茶器類、ほんの1時期稼動したに過ぎない卓球台等々、家族の30年に及ぶ生活の残滓(軽トラックに3台分)を引き取ってもらったりもしている。
また、夏の終わりには、伸び放題にしていた庭の草木を一斉に散髪。それまで肩くらいまであった髪を五分刈りにした感じですっきりと手入れしてもらい、極めつけは、若干家が傾き加減だったということのようだが、それによって建て付けの悪かった居間のガラス戸の滑りをよくしてもらったりもしている。
特にガラス戸は、ここ数年、それの開け閉めに苦労してきただけに、復旧の喜びは一入。これなら何故もっと早く相談しなかったのか、と後悔の念も混じるほどだったのだが、それ以上に、この家にまだまだ住んでみるのもいいのかもしれない、といった新たなる希望が湧いてきたのも確かであった。家人はいざしらず、少なくとも私はこの一事をもって、最近は、“最早、30年を越えた我が家はこれまでか”の方向に傾く心の振幅が大きくなっていたのだ。事実、宅地開発で同時期に住み始めた周りの住宅では、全面建替え・新築がやたら目立つようになってきているのである。
ところで、このリニューアルで発注した業者に、応接セットと食卓セットの購入以外は、上記の懸案事項を総てお願いすることができた。この間の一連の修理・修繕を主導してきた女房が、「地元の業者に依頼したい」ということで電話帳を調べ上げ、2~3の候補先から選択させてもらった業者さんである。本業が、壁の塗り変えなどの内装分野ということだったが、それ以外でも、例えば庭木の手入れなどは、自分達のネットワークでもっている造園業者を紹介してくれ(従来我が家に年1回入ってもらっていた植木屋さんは高齢のため昨年末をもって引退、新たにやっていただける方を探さなければならないと思っていた矢先だった)、また、門扉の取替えや大型ゴミの回収にしても、そういう形で築いているルートを動かすことで請け負ってくれたのだった。
業者の担当者はコンドウ・イチローさん(40歳前後)と言った。私は直接名刺を見たわけではないので、その辺の事情がよく分からなかったのだが、女房が、“名刺に大きくイチローと印刷してあったわよ”と言うので、女房との間では“イチローさん”と彼のことを呼び合った。かのイチローを意識してのことだったのだろう。
修繕期間中のある時、インターホーン越しに「コンドウです」と言ってきたことがある。その時は女房がいなかったので、私が受話器に出た。けれど、誰か分からず、“また何か販売の勧誘員か”と勘違いし、「どちらのコンドウさん?」とつっけんどんに訊き返した。「キッチンの壁紙の見本をお持ちしたのですが」という返事が返ってきて、“ああ、イチローさんか”と納得し、急ぎ玄関のドアに向かったのだったが、これについては、後日女房が彼にこの顛末を話ししたとかで、それ以降、私が彼のインターホーンに出た時は、「イチローです」と言うようになったのは愛敬か。無骨な風貌に似合わず、可愛らしいのである。
いずれにせよ、仕事振りが丁寧なことと、何でも相談に乗ってくれるということで、女房の彼に対する評価は頗る高い。私にしても、ある種、“ワンストップ・マルチ展開”をしてくれるみたいで、今後、まだまだ修繕箇所が多く待ち受ける家回りについて、よき相談相手が出来たと喜んでいる。
「やっぱり、餅は餅屋、プロは上手にやるね。こちらであれこれ悩むより、全部任せるべきだな」。率直な私とそして女房の今回の感想であった。
そのイチローさんが独立するという。これまでのネットワークは全部従来通り活用できるらしい。快く前の会社からその了解を取り付けたようだった。一種の暖簾分けかとも思う。何はともあれ、現在のイチローさん流に仕事をやっていけば万事OKのはずだ。我々二人にとっての、かかりつけの町医者ならぬ、住まいのよろず治療請け負い職人さんの誕生に、まずは乾杯である。
(シャープ)ブンゴウ
それは7月下旬、1階と2階のトイレ部分から始まった。以降、門扉とガレージの開閉扉を交換し、キッチンの壁張替えと食卓テーブルセットの交換、応接セットの交換へと進んでいくのだが、その間には、積もり積もった大型ゴミよろしく、どうやら捨てるに捨てられず、女房が置いていた風な、二人の子供達の使った教科書とか絵本、おもちゃ類、あるいは数回使用したのみの健康器具とか、どこにこんなにあったのかと思うようなグラス・茶器類、ほんの1時期稼動したに過ぎない卓球台等々、家族の30年に及ぶ生活の残滓(軽トラックに3台分)を引き取ってもらったりもしている。
また、夏の終わりには、伸び放題にしていた庭の草木を一斉に散髪。それまで肩くらいまであった髪を五分刈りにした感じですっきりと手入れしてもらい、極めつけは、若干家が傾き加減だったということのようだが、それによって建て付けの悪かった居間のガラス戸の滑りをよくしてもらったりもしている。
特にガラス戸は、ここ数年、それの開け閉めに苦労してきただけに、復旧の喜びは一入。これなら何故もっと早く相談しなかったのか、と後悔の念も混じるほどだったのだが、それ以上に、この家にまだまだ住んでみるのもいいのかもしれない、といった新たなる希望が湧いてきたのも確かであった。家人はいざしらず、少なくとも私はこの一事をもって、最近は、“最早、30年を越えた我が家はこれまでか”の方向に傾く心の振幅が大きくなっていたのだ。事実、宅地開発で同時期に住み始めた周りの住宅では、全面建替え・新築がやたら目立つようになってきているのである。
ところで、このリニューアルで発注した業者に、応接セットと食卓セットの購入以外は、上記の懸案事項を総てお願いすることができた。この間の一連の修理・修繕を主導してきた女房が、「地元の業者に依頼したい」ということで電話帳を調べ上げ、2~3の候補先から選択させてもらった業者さんである。本業が、壁の塗り変えなどの内装分野ということだったが、それ以外でも、例えば庭木の手入れなどは、自分達のネットワークでもっている造園業者を紹介してくれ(従来我が家に年1回入ってもらっていた植木屋さんは高齢のため昨年末をもって引退、新たにやっていただける方を探さなければならないと思っていた矢先だった)、また、門扉の取替えや大型ゴミの回収にしても、そういう形で築いているルートを動かすことで請け負ってくれたのだった。
業者の担当者はコンドウ・イチローさん(40歳前後)と言った。私は直接名刺を見たわけではないので、その辺の事情がよく分からなかったのだが、女房が、“名刺に大きくイチローと印刷してあったわよ”と言うので、女房との間では“イチローさん”と彼のことを呼び合った。かのイチローを意識してのことだったのだろう。
修繕期間中のある時、インターホーン越しに「コンドウです」と言ってきたことがある。その時は女房がいなかったので、私が受話器に出た。けれど、誰か分からず、“また何か販売の勧誘員か”と勘違いし、「どちらのコンドウさん?」とつっけんどんに訊き返した。「キッチンの壁紙の見本をお持ちしたのですが」という返事が返ってきて、“ああ、イチローさんか”と納得し、急ぎ玄関のドアに向かったのだったが、これについては、後日女房が彼にこの顛末を話ししたとかで、それ以降、私が彼のインターホーンに出た時は、「イチローです」と言うようになったのは愛敬か。無骨な風貌に似合わず、可愛らしいのである。
いずれにせよ、仕事振りが丁寧なことと、何でも相談に乗ってくれるということで、女房の彼に対する評価は頗る高い。私にしても、ある種、“ワンストップ・マルチ展開”をしてくれるみたいで、今後、まだまだ修繕箇所が多く待ち受ける家回りについて、よき相談相手が出来たと喜んでいる。
「やっぱり、餅は餅屋、プロは上手にやるね。こちらであれこれ悩むより、全部任せるべきだな」。率直な私とそして女房の今回の感想であった。
そのイチローさんが独立するという。これまでのネットワークは全部従来通り活用できるらしい。快く前の会社からその了解を取り付けたようだった。一種の暖簾分けかとも思う。何はともあれ、現在のイチローさん流に仕事をやっていけば万事OKのはずだ。我々二人にとっての、かかりつけの町医者ならぬ、住まいのよろず治療請け負い職人さんの誕生に、まずは乾杯である。
(シャープ)ブンゴウ