パーキンソン病患者のお祭り

「これまでのこと」、「今のこと」や「これからのこと」

動きが止まったとき

2008-04-27 07:37:31 | パーキンソン病について
20年薬を飲み続けてきました。
はじめは、8時間の間隔で薬を飲んでいました。
少しずつ種類・量ともに増え、4時間の間隔で、薬を飲むようになりました。
薬を調整することで仕事をすることができました。

しかし5年ほど前から、薬の効いている時間が短くなりはじめています。
特に気温に影響を受けていました。
冬から春、秋から冬へと季節が変わるとき、寒いなと感じる日があります。
そんな日は、薬が効いている時間が短く、飲んでもなかなか効いてきません。
体の動きが止まることがときどきありました。

動きが止まったとき「たいへんだ。どうしよう。」とパニックを起こさないように、対処方法を考え、
家や仕事場にいる時なら、こんなことをしてきました。
・薬を少し飲む。
・立って、体を伸ばす運動をくりかえす。
・椅子に座って、膝や足首を曲げたり伸ばす運動をする。
・横になり、薬が効いてくるのを待つ。
・一緒に仕事をしている人に、「今は動けないが、薬が効いてきたら、体は動くこと」を話しておきました。

また、外にいる時なら、こんなことをしてきました。
・薬を少し飲む。
・座れるところをさがし、座る。
・薬の効いてくるのを待つ。
・携帯電話でタクシーを呼び、家か仕事場に向かう。
・横になり、薬が効いてくるのを待つ。

体の動きが止まることがないように、寒い日の対処も次のように決めておきました。
・薬を飲む時間を早める。
・薬を少し多めに飲む。
・薬の量を減らして、飲む回数を増やす。
・部屋を暖めたり、かさばらない軽い上着を一枚多く着る。

診断前

2008-04-26 07:29:53 | パーキンソン病について
20才代後半から体がおかしいと思い始めました。
足の指が曲がり、歩きにくい。
体中がかたくなり、ロボットのような歩き方になる。
小さい字が書きにくい。
膝がふるえる。
こんな症状が出てきたとき、「病院にいって診てもらったほうがいいのかな。」
と思いました。
でも、一日のほとんどは普通に過ごせました。
何より、どこの病院に行けばいいのか分かりませんでした。

そして29才。
仕事場の環境が大きく変わりました。
一日中、体がおかしいと思い始めました。
バランスがとれない。
人やものをよけにくい。
椅子から立ち上がりにくい。
立っても椅子に座っていても膝がふるえる。
階段をのぼるとき、走るときに倒れそうになる。
坂道をのぼるときにも倒れそうになる。
平らな道を歩いていても倒れそうになる。

足がわるいのか?膝がわるいのか?
「体のどこがわるいのか?」本で調べましたが、わかりません。

環境が変わって、力が入りすぎているのか?
緊張のしすぎからか?
リラックス、リラックス。
きっと明日はよくなっているよ。
一人のときは、こんな風に思うようになりました。
みんなと仕事をしているときは、「なんでもない。たいしたことではない。」というように振舞っていました。
自分の体のおかしさを心配して話しかけてくる人がいました。
自分にもわかりませんでしたから、「たいしたことありませんよ。」と強がっていました。

病院に行くまでの間、自分の体のおかしさに「なぜ?」という問いを嫌というほどしてきました。
それでも「なぜ?」の問いには、答えがだせませんでした。
だから、パーキンソン病と診断を受けたとき、「ふうん、そうなんだ。」と自分は安心できたんだと思います。
パーキンソン病の診断を受けてからも、自分は「なぜ?」という問いをしないんだと思います。

診断を受けて

2008-04-25 08:31:31 | パーキンソン病について
あまり「なぜ?」という問いかけは、してきませんでした。
そんな風に考えるのが得意でないのかもしれません。

診断を受けてから一年ほどの間、家族に自分の病気については話しませんでした。
病院に行ったことも、行くことも話しませんでした。
話す機会がなかったからかもしれません。
診断を受けた当時は、単身赴任で家族と離れて生活していましたから。
月一回の病院の診察には、赴任先から家に帰ってきていましたが、「出張」ということにしていました。
診察を受けて薬をもらい、赴任先に戻っていました。

一年程の間は、赴任先から家に帰る―病院にいって薬をもらう―赴任先にもどり仕事をするという生活がつづきました。

家族に話したのは、赴任先から家に帰ることができなくなったときです。
そのとき、家族に病気について話しました。
詳しくは話さなかったように思います。
ただ薬をもらってきてほしいこと、その薬を赴任先に郵送してほしいことを話しました。

それ以来、家族は自分以上に、この病気に関心を示しました。
「どうして?」「なぜ?」と自分以上に調べてくれていたようです。

パーキンソン病の診断を受けた時は、不思議に落ち着いていました。
それまで動けなかった理由がわかったので、ほっとしたんです。
薬で体が動くようになって、うれしかったんです。
病院の先生が自分の問いに答えてくれるから安心できたんです。
この病気でよかったと思っていたんです。

「特定疾患医療受給者証」の交付

2008-04-24 19:50:50 | パーキンソン病について
特定疾患:
難しいことばです。
難病といわれる病気はいくつもあります。
その中で、治療が困難で、病状が慢性的に経過し、社会復帰が困難であり、医療費がかかり、全国的規模で研究が必要な病気を言います。
現在は123の病気があるそうです。
 
この特定疾患のうち45の病気には医療費助成の制度があります。
特定疾患治療研究事業で、難病患者の医療費の助成をおこなっています。
具体的には「特定疾患医療受給者証」の交付を受けると医療費の一部が助成されます。

難病情報センター http://www.nanbyou.or.jp/what/index.html に詳しく記されています。

平成14年3月に「特定疾患医療受給者証」の交付を受けました。
この制度があることは、病院の先生から聞いていました。
当初は、自分の給料で医療費が払えることを理由に交付は受けませんでした。
まだ月に一回の診察を受け、一か月分の薬をもらっていたときです。
一か月で2万円くらい支払っていたと思います。
交付を受けたきっかけは、診察が三か月に一回になったことだったと思います。
薬も三か月分もらうことになります。
一回病院にいって、2万円×3か月=6万円支払うとなると負担が大きいと思えました。
一月にかかる医療費は変わらないのですが、病院に行く月に6万円支払うのは、ちょっと・・・。
と思いました。
これが「特定疾患医療受給者証」の交付を受けた理由でした。

ネオドパストン

2008-04-23 19:51:55 | パーキンソン病について
ネオドパストン:
一番初めに飲んだ薬です。
2週間分の薬をもらったと思います。
一日に半錠でした。
この薬を飲むまで、動かなかった体がうそのように改善しました。
歩くこと、走ること、階段を上ること、坂道を上り下りすること、椅子から立ち上がること、寝返りをうつことができるようになりました。
どれも出来て当たり前のことですが、1年間できませんでしたから、うれしかったですね。
自分にとって魔法の薬でした。
診察時に先生が
「この薬が効くようであれば、パーキンソン病ですね。難病と言われています。薬と一生付き合うことになります。それから私とあなたも長い付き合いになると思います。」と話されました。
なあーんだ。
パーキンソン病なんだ。
病名があったんだ。
変に思われるかもしれませんが、落ち着いて聞いていました。
今、振り返れば、先生が最後に言われた「私とあなたも長い付き合いになる」という言葉がうれしかったんですね。
何か分からないものと向かい合うとき、いっしょに向かい合ってくれる人がいることがうれしかったんです。
問題を投げかける自分に、冷静に、そして知的に応対してくださる先生がいてくれたから安心できたんだと思います。