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24時間テレビは傲慢である

2006-09-05 18:55:29 | Weblog
【コラム・断】24時間テレビは傲慢である

 夏休みが終わって、子供たちは小さな嘆息をついていることだろう。そうでもないか。私は、いまや恒例となった夏の定番、日本テレビの24時間番組「愛は地球を救う」を垣間見て、いささか不愉快である。なにが「絆(きずな)」だ。
 もはやだれも、その存在意義の是非を問おうとすらしない。それをいいことに、どの角度から見ても文句のあろうはずがないという国民的イベントみたいな顔をして、いつしか29年もの長寿番組となった。あれはいったいなんなのか。
 婚約者を特攻で失った女性の60年、という秀逸なドキュメンタリーを作りながら、扱いはただの埋め草でしかない。障害者が挑むトライアスロンにしても、ダウン症の少年少女たちによるダンスにしても、終われば「はい、次」で、もう関心がないのだ。彼らに司会者が「カッコいい!」と声をかけるが、無論その場かぎりの無意味なお囃子である。
 「人工」と「無理」と「ほったらかし」の感動祭り。偽善は一概に否定されるべきではない。が、これは偽善ですらない。“醜善”である。「だれもがテレビに出たがっている、だったら彼らを使って番組を作ろうじゃないか」という傲慢(ごうまん)と、「なんの文句がある、これは福祉という善に繋(つな)がっているのだ」という傲慢が醜いのだ。
 やるならもっと丁寧に、真面目にやることである。福祉や弱者のために役立っているんだぞ、というのなら、まず日本テレビが1億円くらいを出して基金を積み立てるがいい。あんな司会陣もいらない。動機も内容もチープすぎるのである。海賊キッドの財宝が眠る日本の宝島などという「伝説」をでっちあげておきながら、寛永通宝を見つけてどうするのだ。(評論家・勢古浩爾)