1970年代が子供時代でした。

昭和時代の虐待家庭記録など、自分の不幸についての告白です。

人生最悪の誕生日

2022-08-21 21:02:00 | 日記
わたしの家が「反消費社会・おもちゃ買わない主義」だなどとは知らないお友達が、誕生会に「リカちゃんグッズ」の誕プレを続々持参、リカちゃん人形そのものを持ってないわたしは、困惑、呆然…。

でも、わたしはその程度のことで悲しんで泣くようなヤワな子供ではありませんでした。フッ、と皮肉な笑顔を浮かべて、心の中でこう毒づいていました:
「この際かわいそうだからリカちゃん買ってあげよう」なんてことには絶対にならないんだよ! うちの親はハードコアだから、リカちゃんハウスががらんどうの空き家として存在し続けたって、着てもらう機会もない小さなお洋服が不気味な「遺品」みたいになってしまったって、知ったこっちゃない、と無視するんだよ!

(案の定、その後やっぱり、わたしの思ったとおりになりました。)

でも、誕生会の最も悲惨な部分はそこではなかったのです。さらに酷いメインイベントが待っていました…

「竹ぼうき大会」という珍企画でした。

飲食やプレゼント渡しなどがひととおり終わった頃、父が「中庭に行こう!」とみんなに呼びかけました。
マンションの共有部分の庭に、女子たちを引き連れていく父…。その手には、外を掃く長いほうきが握られています。
なんか、厭な予感しかしない…。

「じゃあ、今から竹ぼうき大会をやります!」中庭に着くと、父が高らかに宣言しました。
「てのひらの上にこのほうきを立てて…」父は、さかさまにして立てたほうきの竹の柄を手に乗せ、バランスを取りながらふらふら歩きだすデモンストレーションを開始。「はい、1、2、3、4、5、6…」
カウントしているうちに、ほうきは倒れる。
「誰がいちばん長い時間できるか? はい、やってみよう!」
おいおい!
ちょっとこれは無理! 
とわたしは心の中で絶叫しました。
今は昭和初期とかじゃなくて、1970年代だよ⁈ 高度経済成長時代の申し子、物質まみれのチャラチャラ女子たちに、「竹ぼうき」って、何考えてんの⁈ ありえないでしょ!
わたし、もうこれ以上学校でいじめられたくないんだよ!

「いち抜けたー!」
と叫んで、わたしは走って部屋に帰ってしまいました。

その後お誕生会がどういう終わり方をしたかは全く覚えていません。ただ、覚えているのは、その晩めちゃくちゃに怒られたこと。
もう怒鳴られる怒鳴られる!
何時間も地獄のように怒鳴られ続けました。
こうなることはわかっていたはず…。

「親に逆らう」などという恐ろしいことは滅多にできるものではありませんでしたが、その時のわたしは、自分を守るために(学校でいじめ殺されないために)そうするしかなかったのです。

時間が経過してから考えると、「なんでそもそも誕生会やろうって事になったの?」という疑問がわいてきます。誕生会なんて結局は物質的になるに決まっている。うちのポリシーに合うはずもない。だいたい、我が家は誕生日に親が子にプレゼントくれるという習慣さえ一切なかった。
もしかして、父が、「会を開くことで、ワンチャン、反物質主義というイデオロギーを広められたら!」とか思った?…なんてことは、まさかなかったでしょうけど…。「竹ぼうき大会を盛り上げて、物に頼らずとも楽しく遊べるんだと子供たちに教える、素敵なパパになりたかった」?「8、9歳の子供を喜ばすのなんかちょろいだろう」??
いやいやいやいや。
戦争で価値観転倒させられて愕然とした、政治の季節に「運動」の無効さに気づいてニヒリスティックになった、など、父の事情はわかります。さらに芸術至上主義になって、ロビンソン・クルーソーみたいに、母というフライデーを率いて、ワークフロムホーム引きこもり独立国を作った。
そこまではいいけど、なぜわたし? 子供のわたしまで巻きこまないでほしかったです。

子育てなんてカルト創設してまでするものではなく、「世代が違えば、もう違う生き物なんだ」「教えられることなんか限られている」ぐらいに諦めて、ただ最低限の躾と衣食住保証をしていればよいのでは——と、今のわたしは思っています。
(次回に続く)