1970年代が子供時代でした。

昭和時代の虐待家庭記録など、自分の不幸についての告白です。

キャプテン・ファンタスティック、そしてピアノぜめ

2022-08-26 16:23:00 | 日記
「父親が暴君だった家庭のムチャクチャな話」というのは、今までに雑誌やネットなどで見聞きしたことがないわけではなく、うちだけじゃないんだな、と若干共感することもありました。特に、石原慎太郎の息子たちが語っていた「家での父親のムチャクチャな厳しさ」は、うちにやや近い気もしました。慎太郎とうちの父とでは、同年代とはいえ有名度が全然違うし、また向こうは右で、うちの父は左寄りと、思想も全然違うのですが、専制君主としての父親が、子供の人格無視で暴言を浴びせる、という現象じたいは同じに思えました。
しかし、「いや、でも甘いよ、慎太郎は家にずっといるわけじゃないでしょう? うちの父は24時間家にいるんだよ! その大変さはわたしにしかわからないんだよ!」とも思うのでした。

2017年の映画”Captain Fantastic”(邦題『はじまりの旅』)というのを観たとき、わっ、これは思想的にもうちに近い!と思いました。この映画の主人公である極端偏向父さんは、森の中の家で、6人の子供に独自の教育をしています。子供たちを学校には行かせず、チョムスキーを読ませ、外国語を多言語教え、ギターを弾いて歌を歌わせ、身体を鍛えさせる。アンチ消費主義だから子供はホットドッグもコーラも知らない。
タイトルの「キャプテン・ファンタスティック」というのは、「素晴らしいキャプテン」というよりは「現実離れしたキャプテン」という皮肉をこめた表現なのではないかと思います。
子供がたった一人の我が家と違って、この映画では六人もの子供たちと父親が(お母さんは入院していて不在。)コミューンのような雰囲気で楽しそうに暮らしています。虐待はありません。だからまた「この程度じゃ甘いよ!」ともわたしは感じたのですが。でも、たいへん面白く観ました。カンヌ映画祭「ある視点」監督賞を受賞したとてもいい映画なので、観ていない方は是非ご覧ください。

うちの父も、語学は英語含め四か国語にわたって訳書を出していたし、音楽ではピアノが割とうまい他、フルート、チェロなどにも手を出していた。というあたりが、キャプテン・ファンタスティックと似た雰囲気ですが、でも父は「子供に教える」ことは出来ませんでした。「すぐ怒っちゃう」からです。教え下手なのです。

父は文学の道に行きましたが、実は音楽をやりたかったらしいのです。だからって娘に夢を託したりしないでほしかった…が、とにかく、本人の意志とは関係なく、気づいたらわたしはピアノを習わされていました。「すぐ怒っちゃう」父にではなく、女性の先生に師事。
町のピアノ教室みたいなところではなく(なんだか専門的にやらせたかったらしく)、わたし以外には弟子を取っていないピアニストの所に通わされたのです。バスで三十分ぐらいかかるお宅で、しかも週三回も行かされていました。三歳から十歳ぐらいまで通っていました。

父もピアノを弾くものですから、家でわたしが練習していると何かと叱られる場面が多く、虐待ネタの多くは実はピアノに関連したものだった気がします。
そして十歳ぐらいの時、父がなんでだか怒りをヒートアップさせ、その勢いで、「お前なんか才能ないからやめちまえ!!」と怒鳴られました。
そこで、わたしのピアノ人生は、あっけなく終了しました。

まあ、本当に才能がなかったのだと思います。

やめる事になったとき、最後にピアノの先生が、
「これからは『趣味』でおやりになったらいいじゃないの。」
と捨て台詞のように言ったのが、忘れられません。
それ以来、わたしの中に「趣味」という言葉がネガティブ・ワードとしてインプットされ、わたしは趣味を持つのが怖い人間になってしまいました。

音楽は今でも好きなわたしですが、クラシック音楽や、特にピアノ曲は、PTSDになるので絶対に聞きません。お店なんかのBGMでピアノ曲が流れていると、すぐその店を出てしまいますね。