1970年代が子供時代でした。

昭和時代の虐待家庭記録など、自分の不幸についての告白です。

反社会性人格障害

2022-08-31 22:05:00 | 日記
実の母親からさんざんひどい目に遭って、母親をひどく嫌悪するようになったわたしですが、しかし、その考えを突き詰めた結果、「母の血を半分ひいているであろう自分」にまでも自己嫌悪を抱くようになります。

つまり、わたしの人生の問題点は、「あいつの遺伝子が混ざっていると思うと、自分を愛せない。」ということなのです。

遺伝、という恐怖の現象に思い至ると「毒親に関する悪口を言う」ことは、天に向かって唾するようなものだ、と気づいてしまいます。「もしかして、母の異常性はまったく受け継いでいないんじゃないかな? そうだといいな…?」なんて空しく願っても、実際には遺伝ゼロ影響ゼロということは考えにくいだろうし、現に顔も似ています。

(父に似るのは、別にいいんです。父も変人ではありましたが、暴力は振るわなかった。何より、父には才能があり、その才能だけで一家を経済的に成り立たせてきました。
問題は、父のブランドに寄生するだけして自分はなんにも稼がずに、わたしに暴力を振るって楽しく生きてきた、母の方です。)

母は、俗に言うサイコパスなのではないか、という疑いをわたしは持っています。
もう少し精神医学っぽく言うならば、「反社会性人格障害」というやつです。

八ヶ岳に家族旅行に行った時のこと——
高原には赤トンボがたくさん飛んでいて、それが東京では見られないほどの大群だったので、子供のわたしは夢中でトンボを捕まえて遊んでいました。
捕獲したトンボの羽を2本指でつかんで持っていると、母は、
「ちょっと貸して。」
と取り上げるなり、いきなりトンボの左右の羽をバリバリむしり取りました。
羽をもがれ胴体だけになって地面に落ちた、見るも無残なトンボを指差して、母は、
「昔はこうやって、ままごとの時に”鶏肉”に見たてて遊んだものよ。」
とニコニコしていました。
なんて残酷な! と、わたしは驚愕…。

生き物に残酷なことをして全く平気、というのは、反社会性人格障害の特徴です。酒鬼薔薇なんかも、猫を殺して遊んでいた、と報道されていました。

また、「人の心がわからない」「共感能力がない」のも母の特徴です。
ある時、家族で歩いている街角で、白い杖をついた人が
「○○はどこですか?」
と道を訊いてきました。
母はなんと、
「すぐ目の前です。」
と答えました!
当然ですが、目が見えない質問者の人は怒ってしまい、「もういいです!」とさっさと立ち去っていきました。
母はしかし、本気で不思議そうに、口を尖らせながら、
「人に訊いておいて、急に怒って行っちゃうなんて、なんなのかしら?」
とか言っていました。
この様子は、単にデリカシーがない、とかいう次元ではない、頭のネジが一本取れた人にしか見えませんでした…。