1970年代が子供時代でした。

昭和時代の虐待家庭記録など、自分の不幸についての告白です。

他人とは何か?

2022-08-29 19:09:00 | 日記
なぜこんなネガティブな思い出を毎日書いてるのかというと、これを読んで「わたし(読み手さん)の人生もいろいろ大変だったけどこれよりはマシだな」と思ってもらえたら、ということなんです。

中には「えー、苦労したとか言っても、戦争で負傷して障害が残ったとかそういう身体の傷はないんだし、飢え死にしそうに貧乏したって話でもないわけだし、全然大したことないんじゃね?」と言う方もいらっしゃるかもしれません。——そうですね、実際、別に大したことないのかも。
なにもわたしは「自分が世界で一番不幸」だとか思っているわけではないし、不幸自慢をする気はないんです。
ただ、あまりにもみんなと違う育てられ方をして、誰でも彼でもから「わたしたちの仲間じゃない。」と疎外され続け、仲間というものがこの世に一人もいないと、生きるのが結構ハードだった、ということは言いたいです。

仲間がいない、というのは、「いかなる集団にも帰属意識を持てないよう育てられた」結果です。
昭和ひと桁生まれの父は、敗戦のトラウマからか、「国を信じるな」「島国根性は最悪」などとわたしに言い続けてきました。だからわたしにはあまり「日本人」としてのアイデンティティが形成されませんでした。キモノも一回も着たことがありません(うちは「七五三」だの「成人式」だの一切やらないポリシーだったので)。お盆って何やるものなのかもよく知りません。お墓まいりにも一度も行ったことがありません。父はボクシングが好きで、テレビでよく見ていましたが、その際は必ず、絶対に、日本人じゃない方を(「メキシコがんばれ!」とかって)応援していました。
ネトウヨみたいな人ならここで、「それって反日じゃん!」となるのでしょう。そうなのかもしれませんが、「反日」?本家本元の父ですら、「政治的アクティビズムは、やってもしょうがない。芸術しかない。」という考えになっていましたので、このわたしに至ってはさらにノンポリであります。政治的な主張は一切ありません。

じゃあ、一生「芸術村」にこもっていればいいだろう。というようなものですが、芸術というジャンルは衰退の一途を辿っていて(エンタメしかない世の中になってきて)、もはやそんな限界集落に仲間を求めてもしょうがない。
で、「結局、お金しかない。」という身も蓋もない結論となり、今は会社をやっています。大して儲かってもいませんが、文筆よりはマシでしょう。

死ぬ時になったら、「うちは無宗教だ。」と育てられたわたしは、あの世に旅立つパスポートを発行してあげましょうと身元引き受けしてくれる特定宗教もなく、一人で終了していくのです。別にそれでいいと今は思います。

親戚付き合いも皆無、配偶者もおらず、ご近所づきあいなんかももちろんなし、友達もたいしていない。わたしのこの状態って、「兄弟は諸悪の根源」という親の教えをさらに突き詰めた結果「あらゆる人間関係は諸悪の根源」という究極のニヒリズムに到達した、ということかもしれません。あまり他人におすすめできる生き方ではありませんが、こんな人もいるんだということを面白がっていただけたら。

わたしが今までの人生で得てきた教訓は、「他人に何かを期待してはいけない」「他人は、観察して面白がる対象である」ということです。
ここまで吹っ切れたから、少しは楽になれた…。