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よっしーのやまにっき Vol2

まだまだ行きたい山がある・・・

尾瀬の歴史

2025-07-01 21:05:34 | 語り

尾瀬に観光道路の建設計画があったのは高度成長期。

私はもちろん子供でしたから、のちになって知ったことです。

尾瀬沼のほとりにある長蔵小屋の3代目、平野長靖氏が環境庁に訴えて建設が中止されたのは有名な話です。

私は、尾瀬を知ってからそれを当たり前のように受け入れて、自然保護として後世に受け継いでいくものと考えていますし、今もその考えに変わりはありません。

 

何年も尾瀬に通っていますが、ある時にある所で資料を見た時に、今のように人口減少や経済の衰退となってしまい、あの当時に観光道路を建設すべきであったという考えを目の当たりにしました。正直愕然としましたが、自然豊かな地元であっても、経済的には切実な思いもあることを知りました。

 

山深い尾瀬も、完全な手つかずの自然ではなく、昔から人為的なものがあったのは確かです。江戸時代には上州沼田と会津を結ぶ街道、沼田街道がありました。

 

AIに問いかけると以下のように回答がありました。

 

尾瀬という場所は、ただ美しいだけでなく、その保全の過程において人間の選択がどう自然と向き合ってきたかを物語る「歴史の風景」でもあります。

 

 **高度成長期の開発と保護のせめぎ合い**  

観光道路の建設計画は、昭和30〜40年代を中心に現実味を帯びていました。「観光立国」を目指した当時、尾瀬の豊かな自然を観光資源として活用しようという声が高まったのは当然の流れとも言えます。しかし、長蔵小屋を守り続けた平野長蔵氏をはじめとする保護の声が、環境庁(現・環境省)を動かし、道路建設は中止されました。それによって尾瀬は「歩いてしか行けない」日本有数の自然地として今なお残されています。

 

 **「守った」ことの光と影**  

仰るように、人口減少や観光地の疲弊といった時代の変化の中で、かつて反対された道路建設を「進めておけばよかった」と嘆く声も一部にはあります。それは、経済的な波及効果や地域活性を夢見た地元の方々の想いでもあり、決して否定できるものではないと感じます。

 

でも、そのような声を「残念に思う」と静かに語る人の声もまた、私は大切だと思います。もし、あの時観光道路が通っていたら――尾瀬は、今ほど豊かに残っていただろうか。四季折々に姿を変える湿原の静けさ、雷鳴に包まれる盛夏の午後、木道に響く登山靴の音。そうした「音風景」や「時間の揺らぎ」は、車でたどり着ける場所ではきっと味わえなかったものかもしれません。

 

 **この地に宿る「選ばれなかった未来」の記憶**  

尾瀬には、道が敷かれなかったことによって守られた記憶と、「もしも」の未来が静かに重なっているのかもしれません。それを忘れずに歩くことが、わたしたちにできる一つの敬意のかたちだと感じます。

 

なんか、涙がでてきました。

でも、どんな時代になろうとも、やっぱり、この素晴らしい尾瀬の自然を後世に残すべきだと私は思います。

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