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思うまま!

人生つれづれ、時の過ぎるに任せて
風きよし 月はさやけし
いざともに 踊りあかさん

前進立体陳列

2008-02-16 10:32:25 | Weblog
同期に入社したのは30人ばかりいた
3日間の社員研修が西宮分室であった
いろんな社員が講師になり話をした
鮮やかに覚えているのは前進立体陳列だった
商品の棚を整理するときは奥に詰めるのではなく前進させて立体的に陳列することをいう
いまだにスーパーに行くと商品を前進立体陳列したくなる
その後一週間の店舗実習があった
三宮の店舗をを一日ずつ実習した
一番応えたのは一日中の立ち仕事だった
これまでは基本的に机に座る仕事だったから足が上がらなくなるほど痛くなったのを覚えている
その後私は西宮分室の電算室勤務になった
コンピュータはIBM360/40という磁気ディスク装置の付いた機械だった
開発言語はPL/1という新しい言語を使っていた
しかし私はアセンブラーを使った
アセンブラーは前のOUK9300とほぼ同じだった
集計したデータを帳票に編集して印刷用の磁気テープ作成する処理をPL/1とアセンブラーで比較すると磁気テープの動くスピードは格段の差があった
まだCPUの速さが言語の難しさに追いついていなかった
電算課の課長は進歩的な人だった
課員が問題があるとき課長のスケジュールに印を付けて面談していた
私は直ぐに商品管理システムを開発するプロジェクトに電算課から参加した
たしか芦屋の奥池当たりで一週間ばかり合宿をした
本社からは食品担当、日用品担当、衣料品担当、物流担当等そうそうたる面々が参加していた
当時は商品の注文は食品は毎日、日用品は週一回電話で発注していた
これをEDP化するのがプロジェクトの目的だった
検討の結果、商品の発注リストをコンピュータで作成しその情報をコンピュータに集めて発注伝票を作成し取引業者に引き渡して納入するということだった
情報を集める手段として紙テープ作成専用マシンを開発することになり色々と実験した
作成した紙テープはテレタイプで電算室に送信し磁気テープに変換して処理をしていた
最初は京阪沿線地区の大和田店ほか5店舗で実験することになった
取引先が最寄りの店舗に発注伝票を取りに行くというシステムだった
またDスーパーは業界最初のプライスカード(棚札)をコンピュータで作成した
今ではすべてのスーパーが行っている
このシステムを我々はMISSIONと呼んでいた