吉永氏は、情報管理に厳しかったし、その点、警察を全く信用していなかった。懐かしい。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 19:58
あの当時は日本中が大変な騒ぎで、児玉邸に、男優が乗ったセスナ機が突っ込むということもあった。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 20:00
児玉誉士夫が提供した資金で、今の自民党があるわけで。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 20:06
児玉誉士夫は、親米右翼だったからな。自民党はそこに連なるから親米、拝米。その対抗軸が、三島由紀夫に連なる新右翼。ヤルタ・ポツダム体制反対。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 20:12
平成元年の暮れに、パトカーに乗って、歳末の警戒状況を視察して、某署に行ったら、署長が2課出身で、吉永氏と、よく麻雀したと言っていた。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 20:25
全日空の社長なんて、起訴されても社長辞めずに君臨してたから、あの頃の日本はすごかったよな。笑
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 20:30
コンプライアンスという言葉もなかったし、悪いことしても成功するのが善だった。
ロッキードから角栄に渡った5億円の使途について、公判に立ち会っていた検事に聞いたことがあるが、よくわからないんだ、と言っていた。一説には参議院議員選挙の資金になったとも言われているが。もう、その辺からして未解明。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 20:34
ロッキード社は世界中で政界工作やっていて、元首相まで到達した日本は捜査としてはよくやったのだが、田中派隆盛の中、法務大臣に親田中の人物を次々と送り込まれ、法務・検察は対応に莫大な労力を要した。またロッキード事件で活躍した人物が部内で優遇され軋轢を生み成功体験はマイナスにも働いた。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 20:54
昭和の終わりに、法務・検察当局が、検事のリクルート用に、検事その素顔、というパンフレットを作ったが、そこでも、ロッキード事件は誇らしく語られていたのが懐かしい。伊藤検事総長と宮﨑緑の対談も載っていた。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 21:04
コーチャンが書いたチャート。有名。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 21:09
こんな感じで、どたばたで捜査やったから、特定した日時の裏付け捜査やアリバイつぶしが十分ではなかった。そこは吉永氏も認めていたと聞く。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 21:13
三木首相に対する偽電話事件もあったなー。誰が黒幕だったのか。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 21:17
あの当時に、司法取引までやっちゃって、すごいよな。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 21:20
最高裁まで、司法取引を応援してくれて。笑
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 21:21
大久保氏は、丸紅の、生え抜きではなく傍流で、不遇感と、大久保利通の係累という誇りの中で逡巡もし、自白した、という流れだったかな。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 21:32
ロッキード事件で築いた国民の信頼が崩壊してマイナス状態、が今の検察だから。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 21:41
角栄が保釈になった後、NHK会長が目白にお見舞いに行き、今で言う炎上状態になり辞任した話は出なかったな。笑
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 21:53
日米同盟といっても、こうして、国民不在で悪いことばかりして、政治家が金を山分けしてきた歴史。笑
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 21:56
今夜のロッキード事件番組は、当時の建物内とか備品とかも、よく再現していた。特に、検察庁内とか東京拘置所内は、写真もなかなかなかったはずだが。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 22:05
丸紅の桧山が、検事さんみたいなエリートにはわからんと言ったのに対して、安保検事が、私は地方の高校を出て、木こりになったがこのまま木こりで終わりたくなくて上京し、働きながら夜間の法学部出て遅くに司法試験受かって検事になったんですよ、と言ったら、桧山が謝り次第に打ち解け、だったかな。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 22:20
角栄が最初になったのは郵政大臣で、放送行政に絶大な影響力持っていて、その当時、既に自称皆様のNHKは、実質国営放送だったわけで。笑
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 22:30
司法修習生の頃、ロッキード事件に関する本は結構読んだし、いろいろな意味で勉強になる事件だと思う。広がりがあり、未解明なところも多いが。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 22:43
ロッキード事件で関係者が自白した経緯として語られている話には、検察ストーリーにありがちな眉唾的要素もあるのだが、あれだけ争われて、最後まで事件の構図が崩れなかったわけだし、観念してある程度は真相をしやべった面はあるのだろう。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月23日 - 23:26
ロッキード事件主任検事だった吉永氏が同事件について書き記したのは、当時の特捜部検事で早くに亡くなった坪内氏の追悼文で書いた程度ではないか。実に珍しいと思いつつ読んだ記憶がある。平成6年頃のこと。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月24日 - 01:05
坪内氏は未解決事件でもちょっと出ていた田中角栄の運転手を調べていた。自分が平成元年に任官した当時、東京地検刑事部副部長。直属の上司の副部長がいない時に、坪内副部長に勾留請求の決裁もらいに行ったら、ぱっ見て問題点を指摘され、口ごもっていると、はい、やり直しと言われたのを覚えている。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月24日 - 01:23
早世が惜しまれます。今もその姿が脳裏に蘇ります。 twitter.com/holmesdenka/st…
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月24日 - 01:16
昨夜のNスペロッキード事件では三木首相の扱いが軽めだったが、ロッキード事件解明上、三木首相が果たした役割は大きい。反田中、反金権、クリーン三木で、徹底して解明に動こうとした三木首相こそが、捜査の守護神だったと思う。逆に言えば、三木首相の存在が、角栄にとっては致命的だった。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月24日 - 09:50
クリーン三木と言われつつ、権謀術数に長け、小派閥を率いつつ首相にまでなり、三木おろしに徹底して粘り抜いて対抗するなど、三木武夫は、多面的で深みのある、正にバルカン政治家だった。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月24日 - 09:54
そして、そこにいたのが三木首相だった。三木武夫をほめちぎるつもりもないが、政治家として現実だけ見る人物であれば、角栄側と適度に妥協しつつ別の選択肢もあっただろう。三木内閣ももっと存続したかもしれない。三木武夫なりの思い、理想があれだけの粘りを発揮させたと感じる。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月24日 - 10:06
その文脈で見ると偽電話事件の背景も見えてくる。偽電話は、布施検事総長になりすまし、中曽根氏への嫌疑が高まり流れは逮捕だが首相の一存で逮捕は見合わせられますというものだった。三木首相からそういう言動を引き出して陥れる謀略だったが、三木首相はのらりくらりとかわして言質を与えなかった。
— 落合洋司(オンラインチャット相談対応可) (@yjochi) 2016年7月24日 - 10:12