ホテル到着。
ここからの景色も美しい。

素晴らしい景色の余韻に浸りながら、
ホテルに併設されている『グールティングス博物館』へ。

入ってすぐに何か言われたんですが、よく分からなくて聞き返すと、
「Kifu」と書いてくれた。
あ、なるほど寄付ですね。
もちろんOKです

見た目は小さい建物ですが、意外と充実した展示物ぎっしり。
ガイドさんに教えてもらったのですが…(私の記憶が曖昧ですいません…)
その昔、モニュメントバレーの景色に魅了されたハリー・グールディングが、
この土地を購入し妻とともに宿を始めのがこの「Goulding’s Lodge」だそうです。
また、彼らはナバホ族の人達と信頼関係を築き、
お店や病院も建設。
その後、アメリカ大恐慌の影響でナバホの人々の経済状況も悪化。
その時、夫妻はジョン・フォード監督が撮影場所を探していることを知りハリウッドに出向き、
何日もねばってモニュメントバレーの写真を見せたそうです。
その結果、監督の心を動かす事に成功。
めでたく映画のロケをする事になり、
ナバホの人々は映画に出演したり、裏方になったりして救われたそうです。
それが、1939年公開の西部劇の名作「駅馬車」です。
しかしこの「駅馬車」、アカデミー賞で沢山ノミネートされたものの、
助演男優賞と作曲・編曲賞しか受賞出来ず。
同じ年にアカデミー賞を独占したのは、あの「風と共に去りぬ」。
運がないですよね~
相手が悪かったです
この地を気に入ったジョン・フォード監督は、
その後も何本もモニュメントバレーで映画を撮影。
撮影時の監督やジョン・ウェインの宿はこの「Goulding’s Lodge」!!
だから、こんな小さなミュージアムだけど充実しているんですね

『Navajo Code Talkers』
青い目の師匠に教えてもらってたやつだ。
第一次世界大戦では、アメリカ国籍がないにも関わらず徴兵されたナバホ族。
また、国籍が認められた第二次世界大戦ではナバホ族を含め、
多くのネイティブアメリカンが徴兵され戦地の最前線へ。
ナバホ族の言語は世界的に見ればマイナーであることから、
アメリカは対ドイツ・対日本戦において暗号として使用した歴史があります。

2階に展示されている当時のお部屋。
可愛いです
一通り展示を見学してお部屋に戻ろうとしてトラブル発生!!
思っていた部屋番号のドアノブに何かぶら下がっている。
どうやら部屋番号を間違って覚えてしまったようです。
ど、どないしょ…
少しオロオロ

いや待てよ。確か部屋番号を写真に撮った筈。
確認して正しい部屋番号が分かり、無事に戻る事が出来ました。
何でも写真に撮っておくもんですね~
よかった、よかった

昨日購入した焼きそばを食べてみる。
こ、これが焼きそば?
日本でもUFOの様なカップ焼きそばを食べた記憶があまりないから比べられないけど、
こんなもんなのでしょうか?

ゆっくりお風呂に入って疲れを取った後、
どうしても星空を撮りたくて再び外出。
モニュメントバレーの景色と星空を撮影したかったのですが、
やはり三脚がないと難しいです。
別の角度からですが、なんとか撮影出来た一枚です

さぁ、明日はモニュメントバレーの朝日も見たいし、
今日もかなり疲れたので寝なくっちゃ。
おやすみなさい
今回、山崎さんガイドで初めて知った事が沢山あります。
それは、ネイティブアメリカン(インディアン)の事。
『ロングウォーク』または『デッドウォーク』という、
ナバホ族にとっては大変な悲劇があったという事実。
それは、約9千人の男女がこの地のそれぞれの家から暴力で連れて行かれ、
ニューメキシコのフォートサムナーの強制収容所への約500キロ、
20日以上の長い徒歩移動を強いられ移住させられ悲劇です。
行進を続けられなくなると道に置き去りにされ見殺しにされました。
妊娠した女性や老人は、行進が遅くなるため殺害されました。
道で亡くなった人々の家族は、死者を埋葬することも許されなかったそうです。
インディアンも色々な部族があるにも関わらず、
それを知らないアメリカ政府は、宿敵の部族同士もインディアンとして一括りにし、
同じ収容所に集めてしまいました。
当時のアメリカ政府は、
白人と同じ農耕や学問や英語を教えれば、
インディアン政策はうまくいくと思っていたようですが、
犠牲者を出すだけで全く成果はあがらず、2年で中止されました。
収容されていたナバホ族は再び『ロングウォーク』で故郷に戻って来ますが、
既に他の部族がそこにいたりして問題発生。
そのいざこざは今も続いているそうです。
こんなインディアンの人権を無視した酷い政策を実行したのが、
あの「奴隷解放の父」と言われる、
第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンだと知りビックリ!!
リンカーン、何してくれるねん!!
「よいインディアンは、死んだインディアンだ」
とフィリップ将軍が言ったそうですが、
本当に自由の国アメリカとっては隠したい歴史かもしれませんね。
現代のアメリカ政府による先住民対策もあまりうまくいっていないそうです。
ほとんどのインディアン居留地は産業がなく、
黒人よりもさらに貧困にあえいでいます。
政府は居留地で暮らすインディアンに年金を支払っているそうですが、
それに頼って自立できない人々も多いらしい。
また貧困によるアルコール依存症率がとても高い。
実はナバホ居住地ではアルコールの販売、飲酒は一切、禁じられているのです。
それは白人と原住民との歴史が深く関わっているそうです。
昔、ヨーロッパから白人がやって来た時、大量のウイスキーを持って来たらしい。
原住民にもお酒の文化はあったようですが、
ウイスキーのようなアルコール度数が高いものではなかったようです。
ところが、白人の商人達は、羊毛で作ったもの等を原住民と物々交換する際に、
一緒にウイスキーを渡しました。
その結果、アルコール中毒になった原住民は足下を見られ、
(例えとしてですが)当初羊毛1に対して塩1+ウイスキー1だったのが、
羊毛5に対してウイスキー1になったり、質の悪いウイスキーを持って来たりして、
どんどん交換レートが悪くなり、さらにアルコール中毒が深刻なものとなります。
今では、ほとんどの部族でアルコール禁止令は解除になっているようですが、
ここモニュメントバレー内は、依然としてアルコール中毒者が多く、
その為今だにアルコール禁止令が解除されていないそうです。
アルコール中毒を治すために、カウンセリングなども実施したそうですが、
ナバホ族はプライバシーを重んじる民族なので、全く功を奏さず。
今だに、病院には抵抗があるそうで、
病院に行っても、ナバホ伝統の治療もするそうです。
アメリカ政府にも問題はありますが、
ナバホ族と文化や伝統も足かせになっているようです。
政府がナバホ族に工場の仕事を与えても、
毎日決まった時間働くという生活に馴染めず、
どんだけ長くても2年以内に辞めてしまうのです。
また、ナバホの人々には蓄えるという概念があまりない為、
工場で最初のお給料をもらうと辞めてしまう人もいるとか。
居留地以外でカジノ経営の許可をしても、
やはり蓄えの概念が薄い為、お客さんの波に耐えられずすぐに経営破綻。
私は原住民の人は、その土地と自然の中に溶け込んで生活して来たのだから、
他からやって来て自然を踏み荒らす白人とは相容れるのは難しいと思いました。
根本的に資本主義が向いてないんですもんね。
難しい問題です。