苦労人パンクロッカー、鮮烈デビュー。

音を聴いて身体に電流が走った。脳天から脊髄を通り、つま先へと逃げていくこの感覚。The Whoの名曲『Won't Get Fooled Again』を初めて聴いた時と同じ感覚だ。父の部屋から古ぼけたLPを掘り出した私。「・・・・誰だコイツ?イアン・デューリー?知らねえや。ま、ジャケの渋さに免じて聴いてあげるね」すまんデューリー。口を慎む。これはシビれたよ、カッコ良いじゃないの。ご褒美にレビュー書いてあげるね。この感覚、誰かに届け。君に届け。
てな訳で今回紹介するのはイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ名義の1st『New Boots and Panties!!』っす。リリースは1977年。パンク旋風吹き荒れる1970年代後半のロンドンを舞台に、イアン・デューリー快進撃物語のハジマリハジマリ。まず、実は苦労人な彼の経歴から見ていきましょう。音楽キャリアのスタートは1971年。美術大学の友人たちとパブ・ロックバンド ”キルバーン&ザ・ハイローズ” を結成。パンクブーム到来を予感させる、激しいステージパフォーマンスに定評があったが、契約したレコード・レーベルが破産。やっとの思いでリリースしたアルバムも商業的成功とはいかず、75年に解散。可哀想なイアン・・・
バンド解散時、イアンは33歳。窮地に立たされていた。既にロンドンではパンクブームが猛威を振るい、売れるタイミングを完全に逃した形となったのだ。しかし、地道に音楽活動を続ける彼に、手を差し伸べる者は多かった。彼のソロアルバム制作をサポートしていたメンバーが正式にバンドを結成し、イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズとして再スタートを果たす。さらにはピンク・フロイドのオリジナル・マネージャーだったアンドリュー・キングとピーター・ジェナーがマネージメントを担当し始めてから、彼らの評判が徐々に高まっていった。

そして1977年。デビューアルバム『New New Boots and Panties!!』は全英5位を記録し、一躍時代の寵児となった。彼らは時代流行そのまんまの粗々しいパンクサウンドではなく、80年代に興隆を見せるニューウェーブ・ミュージックの片鱗を見せる音作りを行った。3コードパンクが鳴り響く音楽シーンの中、円熟した演奏技術に裏打ちされたファンキー・サウンドで勝負したのだ。その一風変わった音楽性が評価されたのも、エルヴィス・コステロ、ニック・ロウらパンクに代わる新しい音楽性を持つバンドが台頭していたという「時勢」もあるだろう。でも、ちゃんと絶叫系の曲もある。頑張る35歳イアン・デューリー。
Ian Dury - Wake up and make love with me
リンク先の『Wake up and make love with me』はアルバム冒頭を飾る珠玉の一曲。ちょっぴり(たっぷり?)エッチな詩と、骨太のリズム隊に乗せるイアンのセクシーな歌唱は、危険でタマラン雰囲気を醸し出す。この音を77年に演れるのは、酸いも甘いも噛み分けた、ちょいワルパンク親父のなせる業。みんなもこの曲で、踊ろう揺らそう夜が明けるまで。
雑文失礼いたしました。

音を聴いて身体に電流が走った。脳天から脊髄を通り、つま先へと逃げていくこの感覚。The Whoの名曲『Won't Get Fooled Again』を初めて聴いた時と同じ感覚だ。父の部屋から古ぼけたLPを掘り出した私。「・・・・誰だコイツ?イアン・デューリー?知らねえや。ま、ジャケの渋さに免じて聴いてあげるね」すまんデューリー。口を慎む。これはシビれたよ、カッコ良いじゃないの。ご褒美にレビュー書いてあげるね。この感覚、誰かに届け。君に届け。
てな訳で今回紹介するのはイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ名義の1st『New Boots and Panties!!』っす。リリースは1977年。パンク旋風吹き荒れる1970年代後半のロンドンを舞台に、イアン・デューリー快進撃物語のハジマリハジマリ。まず、実は苦労人な彼の経歴から見ていきましょう。音楽キャリアのスタートは1971年。美術大学の友人たちとパブ・ロックバンド ”キルバーン&ザ・ハイローズ” を結成。パンクブーム到来を予感させる、激しいステージパフォーマンスに定評があったが、契約したレコード・レーベルが破産。やっとの思いでリリースしたアルバムも商業的成功とはいかず、75年に解散。可哀想なイアン・・・
バンド解散時、イアンは33歳。窮地に立たされていた。既にロンドンではパンクブームが猛威を振るい、売れるタイミングを完全に逃した形となったのだ。しかし、地道に音楽活動を続ける彼に、手を差し伸べる者は多かった。彼のソロアルバム制作をサポートしていたメンバーが正式にバンドを結成し、イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズとして再スタートを果たす。さらにはピンク・フロイドのオリジナル・マネージャーだったアンドリュー・キングとピーター・ジェナーがマネージメントを担当し始めてから、彼らの評判が徐々に高まっていった。

そして1977年。デビューアルバム『New New Boots and Panties!!』は全英5位を記録し、一躍時代の寵児となった。彼らは時代流行そのまんまの粗々しいパンクサウンドではなく、80年代に興隆を見せるニューウェーブ・ミュージックの片鱗を見せる音作りを行った。3コードパンクが鳴り響く音楽シーンの中、円熟した演奏技術に裏打ちされたファンキー・サウンドで勝負したのだ。その一風変わった音楽性が評価されたのも、エルヴィス・コステロ、ニック・ロウらパンクに代わる新しい音楽性を持つバンドが台頭していたという「時勢」もあるだろう。でも、ちゃんと絶叫系の曲もある。頑張る35歳イアン・デューリー。
Ian Dury - Wake up and make love with me
リンク先の『Wake up and make love with me』はアルバム冒頭を飾る珠玉の一曲。ちょっぴり(たっぷり?)エッチな詩と、骨太のリズム隊に乗せるイアンのセクシーな歌唱は、危険でタマラン雰囲気を醸し出す。この音を77年に演れるのは、酸いも甘いも噛み分けた、ちょいワルパンク親父のなせる業。みんなもこの曲で、踊ろう揺らそう夜が明けるまで。
雑文失礼いたしました。
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