もう一つの 昭和・私の記憶

『 昭和・私の記憶 』 の、続編
吾生涯を物語る

男のロマン 大東京 二・二六事件 一人歩き (三)

2015年06月18日 | 男のロマン 1975

男のロマン 大東京
二・二六事件 一人歩き

第二部 
昭和維新

昭和49年11月25日に於ける一人歩きで20才の私は、男のロマンを感じた
歓喜した、凛々と勇気が湧いた
その想いは吾が人生最大のものであったろう

そして 
「来年も又来ます」 と、堅く誓った
その想いは、増々募っていく
全く同じ想いに浸りたい

昭和50年(1975年)5月2日
1億人の昭和史 
二・二六事件と日中戦争 
毎日新聞社編
を購入した
中味の写真は、初めて知るものばかりであった
私は、新たなる昭和維新を発掘した

そしてそれが、大東京への想いを一層募らせた

・・・昭和維新の聖地
坂下門 二重橋 桜田門、警視庁、内務省交叉点、虎ノ門の交叉点、山王ホテル 幸楽 
赤坂見附 三宅坂 半蔵門、千鳥ヶ淵 靖国神社 九段坂 九段下軍人会館 平河門 竹橋
歩兵第一聯隊、歩兵第三聯隊、竜土軒 青山通り・高橋是清邸 陸軍大学
首相官邸、三宅坂台上 
そして三島由紀夫の市ヶ谷台上
・・・と、想いは壮大に

一年をかけた想いを成就せんと
体調を整えた 金も貯めた
撮影にと、念願の一眼レフカメラOM1を準備した

かくして 
21才の青年の私
単独 満を持して大東京へ

  

一、大東京は雨  昭和50年11月22日(土)



東京駅 → 丸の内 → 皇居坂下門 → 皇居二重橋 → 桜田門 → 警視庁 → 内務省交叉点 → 虎ノ門 → 首相官邸裏道・溜池からの坂道 → 三宅坂台上 → 半蔵門 → 靖国神社横九段坂 → 九段下交叉点 → 軍人会館 → 竹橋 → 平河門

昭和50年(1975年)11月22日(土)
一年間、満を持したる
男のロマン 大東京
二・二六事件 一人歩き

新大阪は快晴
午前9時10分
いざ 大東京へ

想い出すは、一年前の11月25日
桜田門からの眺望、治外法権の山王ホテル、警察官が包囲する首相官邸、そして三宅坂台上からの眺望・・
あの昂奮今一度
そして、新たに発掘したる昭和維新の聖地
此処から、彼の地を、そして 彼の地から此処を見返そう・・と
計画は万全なり
シッカリ 脳裡に刻み込んでいる
大東京一人歩き 其処には 男のロマン がある
と、一人 想いを走せる
なにせ・・東京迄は3時間と20分、時間はたっぷり有るのだから

京都、名古屋、天気は快晴・・全てが頗る順調

ところが
浜名湖が見える頃、雲行きが変わる
大井川を渡ると、暗雲低く垂下り、道路が、屋根が、湿っている
・・・昨夜、大阪の空には雲があった
  東京は・・・雨哉
静岡の茶葉が濡れている
蜜柑も濡れている
富士山は曇の中、姿が無い
・・・東京は雨哉
横浜は雨

新幹線の窓外に国会議事堂が薄っすらと見える
午後12時30分
東京に着く

東京は雨
嗚呼・・東京は雨哉

東京駅
何たる事か
此日の為に、全てを今日此日の為に結集すべく、精神も体調も最高たらしめた
昭和50年は、今日此時に全てがあったのだ
なのに
天は水を濺ぐ
嗚呼 雨哉

・・・「神達の許へ いかう」

丸の内

大東京の表
閑散とした街並みが大東京を感じさせる

昨年東京駅を出て、最初に見たるは、右翼の宣伝カーであった
大阪では出くわす機会は無い
「さすが、大東京」 と、感心したる

丸の内南口ホールから出た私は
中央郵便局へ渡り、三菱重工のある三菱本館・・丸ビル・・丸ビル・・東京海上火災ビルへと進む

TBSテレビ映画「Gメン75」の東京海上火災ビル
(写真、昭和49年11月25日撮影 → )
高校の同窓西尾と共に新建築と見学したるは、昨年のこと

横断歩道、信号は赤
この雨の中、待つ気にもなれず、ビル前の地下道入口を潜り、和田櫓門の地下道入口から出る
皇太子御成婚記念公園を右に皇居外苑に着く
東京は雨
誰れ一人 人影はない

皇居坂下門
大蔵大臣・高橋是清に天誅を下したる、近衛歩兵第三聯隊、中橋中尉が第二目的として赴いた処である
然し、修理中らしく白いテントにて囲われている
坂下門は雨哉
感慨なぞ有るべくもない
素通り
砂利敷きの歩道を二重橋へと向かう

皇居二重橋
人影一つ無く
一瞬、降雨が止まるも、そのまま素通り
桜田門へと続く
途中、この雨の中、雨合羽姿で掃除する人影一人
「御苦労様です」 と、心で呟く

桜田門

あれから一年、此処をどれ程 恋焦れたものか
然し、天は水をさす
写真の撮影は出来ぬども、せめて、見るだけでも良い
生涯一と感激したる あの風景を、もう一度眺めてみたい・・と
 !
雨の中、監視員が居る 何故か
あの石段に上れない
嗚呼

桜田門の門下より、警視庁、三宅坂台上を眺める
 (其時の吾が気持ちを映した風景が是↓)



低く垂下る空
国会議事堂も、三宅坂台上も、雨粒の中

桜田門から警視庁前へ
人影は・・ポツポツ

警視庁



左手に重い鞄、右手で傘をさして歩いている
然し、写真を撮りたいとの、欲求を抑えきれない
どうする哉
屋根か庇は何処に
警視庁の道路向に法務省前に地下鉄日比谷線の「霞ヶ関入口」を、認める
気は逸る
然し、入口前にトランシーバーを持つ警察官が立っている
「駄目か・・」 と、怯む

警視庁より法務省前・・自治省人事院ビル・・今回の目的地なる内務省交叉点に着く
(註・自治省人事院ビルは昭和11年当時は内務省であった為、私は そう呼んでいる。
 更に、内務省、外務省、中央合同庁舎、法務省の交叉点を、外務省交叉点と、そう呼んでいるのである。
 これは、私の昭和維新に対する想いからと謂えよう)

内務省交差点

新しく発掘したる神達の聖地である
雨は降りしきる
私は今、交叉点の法務省側に立っている
眼前には、昔の侭の姿でいる内務省を、一人呆然と見ている
地下鉄入口は有りしか柱が視界の邪魔をする
時刻は午後一時半過ぎ
帰宅の途に就く官公庁の人々が、道に溢れている
彼等は一斉に各々の職場から飛出しているかの如く

(洋々、見つけた合同庁舎ビルの1m程突出した庇の下から、
  人影が途切れた所を撮影したものである ↓ )


そして
内務省交叉点・・中央合同庁舎前・・外務省交叉点・・通産省・・郵政省・・TOTOビル・・虎の門へ

虎ノ門

交叉点中央に島がある
島には、交番がある
昭和11年と変わりはない
昭和維新の朝、交番横には重機関銃が据えられ、交叉点には歩哨線が張られていた

然し、その面影なく
私は帰りを急ぐ、人々と同じく、虎ノ門を素通る

虎ノ門・・国立教育会館・・東京くらぶ・・霞ヶ関ビルを横目に首相官邸の裏門の交叉点へ出る
溜池からの道に、私は一人 霞ヶ関ビルを背に立っている
(註・溜池は向って左)
昭和維新の朝
溜池から上って来た野中部隊が、私の眼前を右に行進して行く、めざすは警視庁
そして、磯部大尉を殿においた栗原部隊は、丹生部隊は、私の眼前で左に折れ正面の坂道を上って行く、めざすは首相官邸
昭和維新の大浪漫を抱いて、行進していく・・・雪を踏む軍靴の音が轟く・・・彼の如く
 (註・空想、昭和11年には此処に溜池から警視庁へと続く路は無かった)

交叉点右向う側に一個小隊か 機動隊の装甲車、さらにパトカーが居る
物々しい警戒である
「こりゃ、すごい哉」
(註・今は権力を欲しい侭にしているかの機動隊、基は新撰組と謂われ、事件の際、蹶起軍には歯が立たなかった)
官邸裏門には、立哨するトランシーバーを持つ警察官の姿もある
「何故、こんなに厳重なのか」
此日の朝刊に大阪梅田の銀行かが爆破されたとの記事あるが、その所為なのか
「今日は、無理かな・・・」

私は交叉点を、官邸の裏口へ渡る
そして、今回の目的の一つ
首相官邸の裏にある、溜池からの坂道

第一の角を右に折れる
「さあ、これからだ」
立哨の警察官が一人いる
第二の折角前に立っている
警察官の前を素通る そして、左に折れる

「オオッー、なんと・・」
左に折れた私が見たものは
まさに、今回求める、昭和維新であった



右上に首相官邸

有刺鉄線のついた塀には、更に看視カメラが警戒する
左下に山王ホテル
ぐっと上る坂道
上り切ると右直ぐは官邸の正門となる
路の途中に、立哨の警察官
11月22日、晩秋の大東京の空は如何にも重苦しい
そして、緊張の冷たい時が流れている
何と異様な空間哉
それを 大東京の雨が、一層効果を醸す
無情と想ってゐた彼の雨が、此処では味方する

警察官が胡散臭そうに私の顔を睨んでいる
彼の前を上る私は満足しきっていた

坂道を上りつめると、そこは昭和50年であった
首相官邸は警察官により悉く包囲されているではないか
右に一人、左に二人
官邸正門には、四、五人、立哨が警備する
私の眼前には、一個分隊・15名程の、さぞかし強かろう大男の機動隊員だ
私は機動隊員と並行して歩く
正門前では、立止まりたかった
しかし
知恵の絞るべくも無い
こんな場面で、撮影なんかできるものか
「嗚呼・・首相官邸」

首相官邸・・衆議院議員面会所・・国会議事堂裏の並行して隼町方向に歩く
私は機動隊と並行して歩いている
機動隊以外で歩いているは私一人
左手には薄汚れた鞄、まさか捕まりはしないだらうか・・との
私の心配をよそに
彼等は議事堂の植込のサツキを丁寧に、なにやら探し以て進んで行く
爆発物でも探しているのであらうか

昨年見た、国会議事堂の表姿も美しかった
そしてそれは、裏から見ても美しい姿であった

参議院議員面会所を右折し、三宅坂台上へ

三宅坂台上
雨き降りしきる

時刻は午後二時哉
もう、薄暗い
大東京の夕暮は速い、三時半には夕暮だと
手に持つ鞄が重い
私の握力は右40、左20 と極端なる右利き
既に左手では鞄は持てない
換えた右手も痛くなってきた、更に足も痛い
東京は坂道がことさら多い

大東京は雨
三宅坂台上から眺める景色は無い

三宅坂台上・・最高裁判所・・内濠通りに出る
国立劇場前のバス停留所の人溜りを素通り、半蔵門へと歩く

半蔵門

・・・半蔵門の歩哨線
歩哨は突進してくる自動車を認めると
「止まれ!」
と両手をあげてどなった。

自動車はとまった。
車中の司令官は 「止まるな!行け!」
と、はげしく叱るが、前方の兵隊達のものものしい警戒におそれたのか、運転手は躊躇した。
副官も司令官をなだめて引き返えさせそうとした。だが、岩佐中将は頑としてきかない。
不自由な身体を副官に支えられて車を降りると歩哨の前に立った。
「俺は憲兵司令官岩佐中将だ。お前らの指揮官に会いに行くのだ。ここを通してくれ」
中将と歩哨との対決である。

「駄目だ! かえれ、かえらないと撃つぞ」
司令官は、兵のこの態度に、いかり全身をふるわせながら、

「お前はそれでも天皇陛下の軍人か」
両頬には涙が流れていた。

この有様を後方から眺めていた下士官が、「問答無用だ。早くかえれ! 撃つぞ!」
と、大声でどなった。

すでに一人の兵隊は重機の引金に手をかけている。
傍の副官は、この緊迫した突気に、
「閣下、間違いのないうちに引返しましょう、大切な仕事が沢山のあります」
副官はムリに司令官を車の中に押入れて後退した。
・・

・・・と、
然し、昭和維新の面影は無い
只し、濠の深きこと、濠の美しきこと
印象的であった

イギリス大使館辺りで、雨が一時止む
半蔵門からは坂道は下る
然し、それにしても長い道程りである
脚は痛む、胸も痛い、腹は減る
歩けど、歩けど、
想えば、安藤部隊も此路を行軍したのだ、彼等は意気揚々と

やっと千鳥ヶ淵
ここで確認の為、地図をひらく
鈴木侍従長邸は此の辺り・・と推測すれど、詳細なる位置確認する余裕が無い
路は又上り坂に
九段坂病院迄歩くと、靖国通にぶつかる
長い道程りはつづく

靖国神社横・九段坂
(註・靖国神社中腹から九段下までを謂う)
九段坂の歩哨線 ↓

靖国神社の大鳥居が見える
神社参拝は後日にと
とにかく、九段下迄下って行く

靖国神社の大鳥居、偕行社跡に建つ無愛想な住宅公団ビルを横目に、九段坂を下り終わる

九段下交叉点
九段下交叉点は後日にと
軍人会館(現九段会館)へ急ぐ

軍人会館

戒厳司令部の置かれたところである
和洋折衷の建築的にも立派なもので
まして、その姿は昭和維新の朝

内濠通りを竹橋へ向かう
時刻は三時半
・・・もう、かなり歩いた

竹橋

新に発掘したる昭和維新の聖地である
その想いたるや、桜田門をも凌駕した
毎日新聞社を背に竹橋見らば、そこは昭和11年だった
降り続く雨が、雪ならば、真に昭和維新の朝である
後日に撮るべく位置を心に刻み、悦びの中
次の目的地、平河門に向う

平河門

「竹橋と同じだ」
と、感激したが、私の体は私の想いを凌駕した
・・・疲れた
本日の予定を終えよう

降り続く雨の為、鞄は持った侭歩いた
鞄の中には、二泊三日分が詰まっている、軽くは無いのである
そして、時間の経過と共に重くなっていく
それはもう、右手にしたり、左手にしたり
脚は痛く、もうどうしょうもない
立止まり、腰を掛けて休息することも適わず、只ひたすら歩きつづけたのだから
然し、今日の、二・二六事件 一人歩き は終ったものの
宿泊する、東京YMCAホテル迄の道程りは、更につづく

平河門・・和田櫓門・・東京海上火災ビル・・神田美土代町 と、もう、うんざりするほど歩く、そして又歩く
いったい、どれ程歩いたか
晩秋の大東京の日暮れは早い、ましてや雨
ホテルに着いた頃には暗くなっていた

此日は、朝食抜き、東京駅八重洲口地下街での昼食はラーメン、是でよくぞ、頑張れたものである
それは
昭和維新への篤き想い
そして、何よりも
21才の若き青年の愚直なればこそ、為し得たもの
・・・そう想う

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