もう一つの 昭和・私の記憶

『 昭和・私の記憶 』 の、続編
吾生涯を物語る

往生際のわるいヤツ

2021年05月13日 | ガハハ・・・1996~2006

まもなく5時になります
5時になりますと  公園のゲートは締まります
お車の方はお急ぎ下さい・・・
夕方4時半になると 

こうして
公園のスピーカーから アナウンスが流れる

10月を過ぎると  日没は早い
夕陽が水管橋に懸る  夕暮れ時
西風も止み
ホソの水面(ミナモ) は ベタ凪に変わる
ウキ
も見づらくなって  そろそろ納竿の頃合いである
然し
親分の謂う 『夕暮れの時合』・・が ここから来る
そして
帰る段になって アタリ が 出てくるのである

残り少ないエサ
「 追加のエサ 作るか 作るまいか 」・・と 迷うのも いつものことである
手持ちの エサ
「 あと 5ツ 」 「 あと 4ツ 」・・と カウントダウン しもっての釣り
次は
ハリス に つけるエサの大きさ・・だんだん 小さくしてゆく
「♪ヤメラレナイ、トマラナイ ・・カルビー カッパエビセン」
アタリ は ある
然し やっぱり ノラない
これでは
やめる に やめられないのである
そしてこんどは
「 これが 本当の最後やでー 」・・と 最後の一投を繰り返すのである
もう 往生際が悪いったら・・ありゃしない
最後の一枚を
「 ヨッシャッ、ノッタ 」・・と 思いどおり
釣り上げて
「 今日は このくらいにしといたら 」
・・と 捨て台詞を吐いて  気分良く切りをつけたいのである
此は 誰しも同じ想いであらうや
然し
そうは簡単に 問屋が卸さない・・のである

往生際の悪いヤツ
最後の一投 何度も繰り返すも (ヘラの) 彼女・・なかなかツレナイ素振り
私の サソイ に なかなか ノッテ は 呉れない
「 ツレナイ なぁー 」
それなら
否が応でも我がモノにしてやる
目にもの見せて呉れよう
・・と
とっくに 勝負はついているのに 未練がましく
もう一握り
追加のエサを練るのである
「イザ・・行かん」・・と 意気込んでも  やはり 同じことの繰返し
焦りが間合いを狂わす
釣れるものも釣れやしないのである
「 アンサン しつこいわよ 」
・・きっと  そう云っているのであらうや
日がトップリ暮れて 仕方なく
「 往生 シマッセ 」
・・と 残ったエサを投げて納竿するのである

ところが
往生際の悪い奴・・上には上が居る
「 わしらアホちゃうで キチガイじゃ ガハハ・・ 」
・・こと  ご存知 親分
締め括りを誤って 後味の悪い想いを懐いての
帰り途
下(シモ) のドン突きを通りかかると
やっぱり未だやっている
親分と相棒・橋元さん いつもの如く肩を並べて坐っている
「 なんや、もう帰るんか 」
「 ウキ が見えんようなったら どうしょうもない・・終りです 」
「 で、(今日は) どやった 」
「 4枚です 」
「 4枚なら ええやんけ そない釣って どないすんねん」
「 わしら これからや  ナイターや 」
「 ケッ  アタリ あんのに やめられるかい 」
「 ヘラ に なめられてたまるかい 」
「 オイ  (ナイター) やるで 」
「 やろかぁ 」・・・と 相棒の橋元さん

 ←イメージ
電気ウキ に 取り換えての 「 ナイター 」 である
夏場なら いざしらず
秋だと言っても 日が暮れると寒いこの時期に ナイター とは
さすが 自称キチガイ
キチガイ・・の ツインズ である
暫らく 彼等の様子を覗いて見ることにした
二人とも亦 器用に竿を振っている
暗かろうとて気にもせず  然も 浮草にひっかけることなく 際にウキを立てている
「 ヘェー  うまいもんやなー 」
「 あったりまえじゃ  わしらプロじゃ ガハハ・・ 」

ほんまかいな
そして次の日
親分と橋元さん  昨日と同じ場所で釣りをしている
「 昨日のナイター ヨカッタデー 」
「 あんたが いんでから  8枚あがったでー 」
「 ハシちゃん・・も  6枚上げた 」
「 もう  イレグイや  たまらんで 」
「 スコン スコーン と フタフシ入るんやで 」
人差し指を ウキに見立てて ジェスチャーまじえて
もう  云うは 言うわ
「 ナイターのアタリ・・こんなんや 」
「 あんたもナイター・・やり 」
・・
と 滑舌たるや絶好調
橋元さんが横で ソーッ と首を横に振っている
・・・
やっぱり
親分には 敵わない

次回 竿より 長いタマ に 続く
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