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卒業旅行・小学生編(後編)

2013年03月16日 23時59分59秒 | 鉄道・乗車記(アナログ)
1987年3月下旬です

  (前編)からの続きです


続いて24系25形使用の寝台特急『日本海4号』を撮影しました。


この頃は、まさかブルトレが斜陽化するとは考えてもみませんでしたわ。


電化されて間もない頃に使用された113系『福知山線色』です。
『地域色』なんて身延線の115系ワインレッド色とか、まだ数える程の時代でした。
(ある意味、119系の原色も『地域色』と言えばそうでしょうが)

さて、次なる目的地へ移動する為、大阪環状線ホームへと移動します。
今では大阪駅の1番線・2番線となってますが当時は『環状内回りホーム』『環状外回りホーム』となってました。


環状外回り線の113系・関西線直通快速です。
此処から天王寺まで各駅停車になります。
これに乗車し天王寺まで向かう訳ですが、コレを撮ってたら駅員さんに
「環状線なんて(珍しくも無いのに)撮ってて楽しいか?」
って言われました(苦笑)
――すんません、田舎者です故、電車が珍しいのよ(嘘)

そんな訳で天王寺に到着。


関西線に使用される103系初期車です。
……K君(臨時列車とかの時刻を調べてくれた連れ)、肘が邪魔だよ(苦笑)


阪和線(高架ホーム)の381系・L特急『くろしお』です。
当時は阪和線~関西線(大阪環状線)の連絡線が無く、阪和線列車は全て高架ホームからの発着で、結構な人で賑わってました。

再び大阪環状線の外回りに乗車します。 弁天町で下車し


『交通科学館(現・交通科学博物館)』に入場します。
此処のオシ20を使用した食堂で昼食し、館内を一巡します。

そしてまた環状外回りに乗車し、大阪駅に向かいます。
これで大阪環状線の『乗り潰し』完了!
んで『マイテ42』の臨時が東海道線を下って来るって言うので山崎駅あたりで迎え撃つ予定で113系快速(高槻から普通)に乗車したら……
山崎手前で擦れ違った(泣)


しょうがないので京都で一旦下車し、ちょろ~んと時間があったので


117系『新快速』で彦根へ向かいました。
って言うか米原まで行きたかったが、当時の鉄道管理局の境界が米原~彦根間だったので、『新快速』は彦根折り返しだったのよね。
後続の113系普通で米原へ向かい


485系特急『加越』を撮影。
再び京都に戻る為、新幹線『こだま』(当然0系だっちゅ~の)に乗車し、いよいよ帰路に着きます。
――って何で米原から態々京都に戻ったのかって? それはね


100系新幹線に乗りたかったからさっ!!
京都出発後、早速食堂車へ。 貧乏な小学生故にコーンスープだけ注文し(苦笑)、二階席からの展望を楽しむ間も無く自由席に向かいました。
てっきり満席かと思ったら


ラッキーな事に三人席が空いてまして、名古屋まで悠々座れました。

すっかり日が暮れた名古屋からは名鉄に乗車し(豊橋~名古屋の移動は名鉄一択の時代だったからね)、国府から豊川線に入る急行に乗車。
豊川稲荷駅到着後、親に迎えの電話を入れ(携帯? 何それって時代だったからね)、迎えを待つ間、駅前の中華料理屋で夕食をし、解散となりました。


……楽しかったなぁ。 って言うか良くもまぁ小学生だけで行ったってか?
いや、俺自身は小学生になる前、実は既に一人旅を――
(またネタに出来る時があったら、ね)

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