夜明けのダイナー(仮題)

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紀伊半島一周(後編)

2012年09月10日 21時52分14秒 | 鉄道・乗車記(アナログ)
1991年(だったかなぁ)の夏休みのある日です

新大阪から通称『新宮夜行(太公望列車)』に乗車したのですが、座席が確保出来なかったので『かぶりつき』する事にしました。
夜中なので前面展望は不充分ですが、165系先頭車の運転席後ろのデッキの助士席寄りの窓が開くので時折開けては夜景を堪能してました。
紀伊田辺付近で空席が出だしたので着席しますと一気に睡魔が……気づけば


新宮駅に到着。 車内清掃の係員に起こされました。


JR東海所属のキハ82系改造のジョイフルトレイン『リゾートライナー』が停ってました。


これは新宮駅・始発列車になります381系『スーパーくろしお2号』ですね。

新宮駅の立ち食いそば屋は早朝五時にも関わらず、『新宮夜行』の到着に合わせて開店。
朝食どうしようか? と悩んでた俺にとって朗報、とばかりに頂きました。
――当時はコンビニなんて便利な物は全国展開されてなかったからね。


このキハ82は、この後、紀伊勝浦に回送され『南紀2号』となりますが……それについては後程。


『リゾートライナー』の隣に停車してるのが『新宮夜行』でやって来た165系ですが、再びこれに乗車します。


早朝の太平洋岸を走って


紀伊勝浦で下車します。 
え、何故来た道を戻ったのかって? それはね。


紀伊勝浦からキハ82使用の『南紀2号』に乗車する為だったのですわ。
「おい、また『18きっぷ』の旅で特急乗車なんて贅沢だ!」って? それは違います。
実は当時、『南紀2号』の紀伊勝浦~新宮間は普通列車で、新宮に通う高校生とかの通学列車になってたのです。
(今は新宮始発なので普通列車運用はありません)
これが俺にとって最初で最後のキハ82乗車となった訳ですが……もっと写真撮ればよかった。

そんな間合い運用を楽しんだ後、再び


また165系に乗って紀伊勝浦へ戻ります。 って何回同じ区間を往復するねん!!
それはね


紀伊勝浦始発の名古屋行き『快速みえ』に乗車する為でした。


当時は一往復、紀伊勝浦発着の『みえ』があったのです。
『南紀』の補完、といった所でしょうか。 まぁ三重県縦断するから『みえ』の看板には偽り無いですがね。
……しかし『南紀』との差別か、熊野市と尾鷲と紀伊長島で10分間づつ停車するんですけど――


全区間の長距離乗車故に、あらかじめ指定席を予約してましたが、二両編成の後部・一号車の指定席車の一番後ろの席が空席でしたので、そこで名古屋まで座ってました。
そこは『四人ボックス』から外れた『二人席(窓配置から察して下さい)』で、窓を開けても周囲への影響が少ない上に、気分は『プチ個室』で良かったです。
(一応、車掌さんには座席の移動の許可は得ました)


新宮~熊野市の間のどっかの駅ではキハ58やキハ40の混成編成の通勤列車と行き違いました。


『カミンズ換装』される前だったと思うが、峠アタックは苦しそうにノンビリ登坂。


どこか失念しましたが、キハ82の『南紀1号』と行き違い停車。 更に


栃原駅では『南紀3号』と離合。 
『みえ』が先に停車し『南紀』が通過し行き違うのは、やっぱ格の違いを表してますね(そりゃ当然)。


木曽三川を通過し近鉄スナックカーを見れば、長い旅路も終焉に近いですね。
――とは言え、名古屋到着後真っ直ぐ家に戻らずに、一旦大垣へ向かい東海道本線の快速に座って帰ったのは『18きっぷ』のモトを取る為には当然ですよね?(笑)


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