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日本庭園と社寺建築

日本庭園の魅力と巧みの建築を紹介

金沢城

2011-11-22 | 金沢城
金沢城では、前田利家の入城後、本格的な石垣づくりが始まりました。

出入口や庭園といった場所に応じて、特殊な技術やデザインが工夫されたこと、また何度も修築が繰り返されたことなどから、現在、さまざまな種類の石垣を見ることができます。


 

1583年に前田利家が入城し1869年(明治2年)まで加賀藩前田家14代の居城として金沢城が置かれました。金沢城はその後終戦まで陸軍の拠点として用いられ、その後1995年まで金沢大学キャンパスとして利用されていましたが1996年から金沢城公園として一般に開放されるようになりました。度重なる火災によって消失した金沢城は1999年に着工され2001年7月に菱櫓・五十間長屋、橋爪門続櫓が完成しました。菱櫓・五十間長屋、橋爪門続櫓は1809年金沢城再建時の姿に可能な限り忠実に復元されているそうです。

 

林泉寺

2011-11-22 | 林泉寺
新潟県上越市にある曹洞宗春日山林泉寺は、戦国時代を代表する名将上杉謙信公ゆかりのお寺として知られております。境内には上杉謙信の墓所、川中島合戦戦死者の供養塔がある。惣門は春日山城の搦手門を移築したものと伝えられ、現存する唯一の春日山城の建築物となっている。

上杉謙信公(幼名ー長尾虎千代君)は、7歳から14歳までの7年間を、この林泉寺で過ごされました。当時の6代目の天室和尚さまから色々な教えを学ばれたといわれています。
大人になってからの謙信公は、7代目の益翁和尚さまより、厳しくも慈愛に満ちた禅の奥義を学ばれ、和尚さまの謙の一字を頂戴してー『謙信』ーと名乗られたのでした。 。



林泉寺は、今から約500年前の明応5年(1496)、越後国高田(現・上越市)に建立された曹洞宗の寺です。長尾景虎(上杉謙信)の祖父長尾能景が、亡父重景の菩提を弔うため建立したもので、寺名は重景の法名林泉寺院殿からとったものです。

景虎が7歳の折、当寺に預けられ天室光育(七世)の指導を受け仏道に励みました。さらに、景虎は長じて八世益翁宗謙の下に参禅し、禅の「達磨不識(だるまふしき)」の境地を悟り、不識庵謙信(ふしきあんけんしん)を号するようになりました。

また、景虎は永禄四年(1561・川中島合戦のあつた年)に関東管領上杉家を相続、林泉寺は上杉家の菩提寺にもなりました。山号の春日山は、上杉家(藤原氏)の氏神である春日明神を勧請したことによります。



龍をイメージした石段


川中島の戦死者を弔う供養等

春日山城址

2011-11-22 | 春日山城址
守護所のある府中(直江津地区)からは約4㎞の距離にあり、関東・北陸・信濃への交通を監視する要衝に位置し、城は守護代の長尾氏が代々守っていた。

現在のように規模が拡大され、名実ともに天下の名城と呼ばれるようになったのは謙信の普請によるものである。

城は天正7年(1579)景勝に引継がれ慶長3年(1598)堀秀治の入城によって越後上杉氏の時代が終り、さらに慶長12年(1607)堀氏が福島城を築いて移ると、春日山城は城としての役目を終る。

春日山は、山頚城平野の西北に位置する標高182m、比高169mの別名鉢ヶ峰山上と山麓にあった。

戦国時代に八つの要害な山城と称せられた七尾城、一乗谷城、稲葉山城、観音寺山城、小谷城、吉田郡山城、富田月山城とともに春日山城は堅城としての名が高い。

春日山城の特徴は、山頂の本丸跡から山裾まで連続する屋敷跡群と、裾野に巡らされた総延長1,200mの総構え(通称監物堀)である。

城郭は、山頂に本丸があり楼閣を設け、眺望に富み、付近の属城を充分に監視することができた。

本丸跡の後方西に一段低い所に大井戸があって夏でも水の枯れることがない井戸郭、山里郭があり、その北の峰に毘沙門丸及び御花畑があった。

また西方には、鐘撞堂や景勝屋敷跡等があって、南方に柿崎郭、三の丸、東に二の丸などの郭があり、重臣たちの屋形が構えられた。

山麓にも館や政庁があったが謙信のころの城郭の主体は山上であった。




上杉景勝のころになると、山上の生活が不便なため、いろいろな建物が山麓に造られ、城下町が形成されていった。




しかし、近世大名の居城としては不便なことが多かったので、堀忠俊が城主のとき、平地の海辺に福島城を新しく構築して移ったのである。

春日山城が廃城になった時期は、慶長12年(1607)だったが、山が高いため郭跡の形状は割り合いに残り、戦国期山城の構想を良く伝えている。




天徳2(958)年に春日山山頂に創建、越後守護代上杉氏の氏神として栄える。奈良春日大社の分霊を祀り、春日山城の名前の由来ともなった。春日山城築城の際に、城の鬼門となる現在の位置に遷座させられたといわれる。天を突くように伸びる杉木立の参道と、急勾配の石段が印象的な名跡。境内に立つ春日灯篭は江戸時代の作といわれる。

春日社は、鹿島・香取・枚岡・比女神の藤原家と関係の深い神を祀る。ここの春日神社も、この四神が主祭神で、相殿に厳島・諏訪・天神社が祀られている。