【バレンティッチUFO事件・最後の肉声アリ】「謎の飛行物体がいる...」忽然と姿を消したセスナ、見つからぬ残骸、 パイロットが見たものとは?
TOCANA / 2014年3月6日 17時0分
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「謎の飛行物体がいる...」意味深な言葉を遺して忽然と消えてしまったセスナ機。30年以上も前に起きた謎の未解決失踪事件を巡って、いまだにさまざまな議論が繰り広げられている「バレンティッチ事件」。果たしてパイロットが見たものは何だったのだろうか...?
■1978年、10月21日オーストラリア上空・日没直後
当時20歳だった新米パイロットのフレデリック・バレンティッチという青年が、オーストラリア本土のメルボルンからタスマニアの手前にあるキング島まで、単発の軽飛行機「セスナ182L型機」で飛行していた。全体の飛行時間は1時間程度。日没直後ではあったが、天候はよかった。飛行中、バレンティッチは、メルボルンの管制塔に無線で定時連絡を行っていた。ところが午後7時12分28秒頃、突然連絡は途絶える。
失踪直後から大規模な捜索が行われたが、残骸は見つからなかった。さらにこの失踪事件をいっそう謎めいたものにしているのが、メルボルンの管制官スティーヴ・ロビーとの間で行われた交信記録である。この記録によると、バレンティッチは午後7時6分14秒に行われた交信で「自機の頭上に謎の飛行物体がいる」と報告している。
【音声はコチラ→http://tocana.jp/2014/03/post_3744.html】
■謎の飛行物体!? バレンティッチが見たものとは...?
交信記録によると、バレンティッチは頭上に「ひし形に並ぶ4つの光点がある、飛行機か?」と報告。バレンティッチはこの光を航空機が発する「着陸灯」だと思い、管制官のロビーに、近くを飛ぶ他の飛行機があるかどうか確認しているが、該当する航空機はなかった。
この物体は確認できないほどのスピードでセスナ機の上を飛んでおり、通り過ぎたり近づいたりした。形は長く、緑色の光をともし、外見は金属のようだったという。
しかもいったん消えて、また現れたりしたそうだ。それにともなって、バレンティッチ機のエンジンが不調をきたし、最後に「あれは飛行機じゃない」という言葉を最後に、バレンティッチからの交信は途絶えた。こうしてバレンティッチ事件は、今に至るも未解決のUFO事件の1つとなっている。
バレンティッチ、管制官との最後のやりとり6分30秒くらい(編集)YouTubeより
■失踪事件・UFO目撃事件多発スポット・バス海峡
事件が起きた場所は、オーストラリアとタスマニアの間にあるバス海峡上空である。バス海峡は、平均水深50メートル程度の浅い海域だが、その周辺は以前から船舶が謎の消滅をとげる地域としても知られ、バミューダ・トライアングルにならって「バス海峡トライアングル」とも呼ばれている。バレンティッチ事件の1カ月半前には、バス海峡でUFO目撃事件も発生。謎めいた場所であった。
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■事件検証Ⅰ(2000年)
2000年になって、オーストラリアのUFO研究家リチャード・ハインズらが、事件当日オーストラリア南部海岸地域にいた人々の証言を集めたところ、3人の人物が、西から東に向かって飛ぶ軽飛行機らしき標識灯と、その上、やや後方に寄り添って飛ぶずっと大きな緑色の光球を目撃していたと発表した。
時間帯から考えて、この軽飛行機はヴァレンティッチ機のものと思われる。しかし、キング島に飛ぶのであれば目撃された場所から南に飛ぶべきであるが、西から東に飛んでいるということは完全に方向を見失っていたことになる。そこでハインズらが出した結論は、「UFOを目撃した後、バレンティッチが方向を誤った」とした。
■事件検証Ⅱ(2013年)
しかし最近、「バレンティッチ事件は解明された」と豪語する者が名乗りをあげた。それが、アメリカのスケプティック(懐疑論者)ジョー・ニッケルとジェイムズ・マクガハである。2人の主張は、アメリカの懐疑主義団体CSIの機関誌「スケプティカル・インクワイアラー」の2013年11~12月号に掲載されているが、果たして彼らの言うとおり事件は解明されたのであろうか。
考察を始める前に、まずはCSIという団体について述べる必要があるだろう。
・アメリカのデバンカーチーム「CSI」とは?
CSI(The Committee for Skeptical Inquiry)は、アメリカの懐疑主義団体で「懐疑的調査委員会」を意味する。本来は1976年、CSICOP(サイコップ、超自然現象とされる主張の科学的調査委員会)として設立され、2006年に現在の名称に改称した。
創立メンバーにはカール・セーガン、リチャード・ドーキンス、マーティン・ガードナー、ジェイムズ・ランディなど、有名な科学者やデバンカーをそろえ、超自然現象とされる事例について科学的な調査を行うことを旨としている。しかし、実際にはUFOや超心理学も含め、科学界から正式に認知されていない事象には否定的な態度を示すことが多く、こうした姿勢を中世の魔女狩りになぞらえる者もある。今回記事を書いたニッケルもCSIの研究員で、マクガハは科学技術顧問を務めている。こうした人物が書いたということを認識した上で、彼らの記事を検討してみよう。
・目撃された光点は、それぞれ独立した星だった!?
まずバレンティッチが目撃した謎の光点について、彼らは最初に報告されたひし形の4つの光点は「金星、火星、水星とアンタレス」の4つの天体とした。人間はしばしば、闇の中に4つの光点を見ると、四角形をした物体の頂点であるような錯覚をするという科学的見地から導き出された結論だ。
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事件当夜は、これら4つの天体が縦長のひし形に並んでおり、バレンティッチはこれにより、長いひし形の物体が上空を飛んでいると誤認した。実際バレンティッチはそれほど熟練したパイロットではなく、天体を何か異常なものと認識した可能性は排除できない。
他方、後に報告される緑の光点については「自分のセスナ機の翼端灯を見誤ったもの」だと結論づけた。そして、陸上の目撃者が証言する大きな緑の光点についても、「飛行機が傾いて翼端が上がっていたため、飛行機の上に光が見えたもの」と断言。しかしこの分析は、飛行機の標識灯の上に、それよりずっと大きな緑の光点を見たという目撃者の証言と完全に矛盾することになる。
・バレンティッチ機のセスナ機残骸があった!?
さらに、ニッケルとマクガハが決定的な証拠として挙げるのが「セスナ機の残骸らしきものを見た」という目撃証言である。記事ではまず、バレンティッチ失踪の1カ月後、海中に軽飛行機の残骸らしきものが目撃されたとの報告を述べた後、事件から5年後にバス海峡で飛行機の残骸の一部が目撃され、認識番号の一部がヴァレンティッチ機のそれと一致したという、公式の目撃証言記録を紹介している。
しかし非常に奇妙なことに、ひし形の飛行物体や地上からの目撃証言にあれほど批判的な考察を行った2人が、こうした目撃証言にはまったく検討を加えていないのだ。しかも、バレンティッチ機の残骸目撃については1982年にも報告があったが、この証言は後に疑わしいとされたという実例があるにもかかわらずだ。加えてニッケルらが紹介する5年後の報告では「飛行機の認識番号まで確認された」というから、残骸はかなり浅い部分にあったと推定される。それにもかかわらずバレンティッチ機の残骸そのものは、現在まで発見されていないのである。
あなたはこの事件、どう思いますか?
(羽仁礼)
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TOCANA / 2014年3月6日 17時0分
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■1978年、10月21日オーストラリア上空・日没直後
当時20歳だった新米パイロットのフレデリック・バレンティッチという青年が、オーストラリア本土のメルボルンからタスマニアの手前にあるキング島まで、単発の軽飛行機「セスナ182L型機」で飛行していた。全体の飛行時間は1時間程度。日没直後ではあったが、天候はよかった。飛行中、バレンティッチは、メルボルンの管制塔に無線で定時連絡を行っていた。ところが午後7時12分28秒頃、突然連絡は途絶える。
失踪直後から大規模な捜索が行われたが、残骸は見つからなかった。さらにこの失踪事件をいっそう謎めいたものにしているのが、メルボルンの管制官スティーヴ・ロビーとの間で行われた交信記録である。この記録によると、バレンティッチは午後7時6分14秒に行われた交信で「自機の頭上に謎の飛行物体がいる」と報告している。
【音声はコチラ→http://tocana.jp/2014/03/post_3744.html】
■謎の飛行物体!? バレンティッチが見たものとは...?
交信記録によると、バレンティッチは頭上に「ひし形に並ぶ4つの光点がある、飛行機か?」と報告。バレンティッチはこの光を航空機が発する「着陸灯」だと思い、管制官のロビーに、近くを飛ぶ他の飛行機があるかどうか確認しているが、該当する航空機はなかった。
この物体は確認できないほどのスピードでセスナ機の上を飛んでおり、通り過ぎたり近づいたりした。形は長く、緑色の光をともし、外見は金属のようだったという。
しかもいったん消えて、また現れたりしたそうだ。それにともなって、バレンティッチ機のエンジンが不調をきたし、最後に「あれは飛行機じゃない」という言葉を最後に、バレンティッチからの交信は途絶えた。こうしてバレンティッチ事件は、今に至るも未解決のUFO事件の1つとなっている。
バレンティッチ、管制官との最後のやりとり6分30秒くらい(編集)YouTubeより
■失踪事件・UFO目撃事件多発スポット・バス海峡
事件が起きた場所は、オーストラリアとタスマニアの間にあるバス海峡上空である。バス海峡は、平均水深50メートル程度の浅い海域だが、その周辺は以前から船舶が謎の消滅をとげる地域としても知られ、バミューダ・トライアングルにならって「バス海峡トライアングル」とも呼ばれている。バレンティッチ事件の1カ月半前には、バス海峡でUFO目撃事件も発生。謎めいた場所であった。
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2000年になって、オーストラリアのUFO研究家リチャード・ハインズらが、事件当日オーストラリア南部海岸地域にいた人々の証言を集めたところ、3人の人物が、西から東に向かって飛ぶ軽飛行機らしき標識灯と、その上、やや後方に寄り添って飛ぶずっと大きな緑色の光球を目撃していたと発表した。
時間帯から考えて、この軽飛行機はヴァレンティッチ機のものと思われる。しかし、キング島に飛ぶのであれば目撃された場所から南に飛ぶべきであるが、西から東に飛んでいるということは完全に方向を見失っていたことになる。そこでハインズらが出した結論は、「UFOを目撃した後、バレンティッチが方向を誤った」とした。
■事件検証Ⅱ(2013年)
しかし最近、「バレンティッチ事件は解明された」と豪語する者が名乗りをあげた。それが、アメリカのスケプティック(懐疑論者)ジョー・ニッケルとジェイムズ・マクガハである。2人の主張は、アメリカの懐疑主義団体CSIの機関誌「スケプティカル・インクワイアラー」の2013年11~12月号に掲載されているが、果たして彼らの言うとおり事件は解明されたのであろうか。
考察を始める前に、まずはCSIという団体について述べる必要があるだろう。
・アメリカのデバンカーチーム「CSI」とは?
CSI(The Committee for Skeptical Inquiry)は、アメリカの懐疑主義団体で「懐疑的調査委員会」を意味する。本来は1976年、CSICOP(サイコップ、超自然現象とされる主張の科学的調査委員会)として設立され、2006年に現在の名称に改称した。
創立メンバーにはカール・セーガン、リチャード・ドーキンス、マーティン・ガードナー、ジェイムズ・ランディなど、有名な科学者やデバンカーをそろえ、超自然現象とされる事例について科学的な調査を行うことを旨としている。しかし、実際にはUFOや超心理学も含め、科学界から正式に認知されていない事象には否定的な態度を示すことが多く、こうした姿勢を中世の魔女狩りになぞらえる者もある。今回記事を書いたニッケルもCSIの研究員で、マクガハは科学技術顧問を務めている。こうした人物が書いたということを認識した上で、彼らの記事を検討してみよう。
・目撃された光点は、それぞれ独立した星だった!?
まずバレンティッチが目撃した謎の光点について、彼らは最初に報告されたひし形の4つの光点は「金星、火星、水星とアンタレス」の4つの天体とした。人間はしばしば、闇の中に4つの光点を見ると、四角形をした物体の頂点であるような錯覚をするという科学的見地から導き出された結論だ。
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他方、後に報告される緑の光点については「自分のセスナ機の翼端灯を見誤ったもの」だと結論づけた。そして、陸上の目撃者が証言する大きな緑の光点についても、「飛行機が傾いて翼端が上がっていたため、飛行機の上に光が見えたもの」と断言。しかしこの分析は、飛行機の標識灯の上に、それよりずっと大きな緑の光点を見たという目撃者の証言と完全に矛盾することになる。
・バレンティッチ機のセスナ機残骸があった!?
さらに、ニッケルとマクガハが決定的な証拠として挙げるのが「セスナ機の残骸らしきものを見た」という目撃証言である。記事ではまず、バレンティッチ失踪の1カ月後、海中に軽飛行機の残骸らしきものが目撃されたとの報告を述べた後、事件から5年後にバス海峡で飛行機の残骸の一部が目撃され、認識番号の一部がヴァレンティッチ機のそれと一致したという、公式の目撃証言記録を紹介している。
しかし非常に奇妙なことに、ひし形の飛行物体や地上からの目撃証言にあれほど批判的な考察を行った2人が、こうした目撃証言にはまったく検討を加えていないのだ。しかも、バレンティッチ機の残骸目撃については1982年にも報告があったが、この証言は後に疑わしいとされたという実例があるにもかかわらずだ。加えてニッケルらが紹介する5年後の報告では「飛行機の認識番号まで確認された」というから、残骸はかなり浅い部分にあったと推定される。それにもかかわらずバレンティッチ機の残骸そのものは、現在まで発見されていないのである。
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