北辰一刀流玄武館三代目と目されていた千葉勝太郎勝胤の功績。
宗家である開祖千葉周作成政から二代目千葉道三郎光胤、そして、三代目と目された長子千葉勝太郎勝胤は剣の英才教育を受けながら少年期に失明により剣術の道が絶たれてしまった。しかし。この千葉勝太郎勝胤は社会事業に私財とその生涯を捧げた方です。「杉山鍼按学校」を開設(大正4年)がそれである。
「国リハ式施灸具開発の思い出」 から
「明治10年代になって全国に設立され出す盲学校に、また杉山流の伝統を継承する東京の杉山鍼按学校等に受け継がれる。杉山鍼按学校は空襲で校舎を焼失し廃校となるが、戦後それに代って一般の中途失明者を按摩師・鍼灸師に養成する国立の
「光明(こうみょう)寮」が設けられ、東京光明寮は視力障害センタ-と改称して、現在は当センタ-理療教育課程となっている。杉山鍼按学校の跡地(大塚駅の傍ら)には、日本鍼灸会館が建っており(社)日本鍼灸師会と(社)全日本鍼灸学会が入って、今も我が国鍼灸界における中枢をなしている。
また一方、千葉勝太郎勝胤は、先駆けて現在出回っている「遺稿」の元になった「千葉周作遺稿 剣法秘訣」を大正4年に公刊されている。
失明によって絶たれた生涯を見ると先祖千葉介常胤の血を引く者らしく天に貫く崇高な精神の血統を感じます。
宗家である開祖千葉周作成政から二代目千葉道三郎光胤、そして、三代目と目された長子千葉勝太郎勝胤は剣の英才教育を受けながら少年期に失明により剣術の道が絶たれてしまった。しかし。この千葉勝太郎勝胤は社会事業に私財とその生涯を捧げた方です。「杉山鍼按学校」を開設(大正4年)がそれである。
「国リハ式施灸具開発の思い出」 から
「明治10年代になって全国に設立され出す盲学校に、また杉山流の伝統を継承する東京の杉山鍼按学校等に受け継がれる。杉山鍼按学校は空襲で校舎を焼失し廃校となるが、戦後それに代って一般の中途失明者を按摩師・鍼灸師に養成する国立の
「光明(こうみょう)寮」が設けられ、東京光明寮は視力障害センタ-と改称して、現在は当センタ-理療教育課程となっている。杉山鍼按学校の跡地(大塚駅の傍ら)には、日本鍼灸会館が建っており(社)日本鍼灸師会と(社)全日本鍼灸学会が入って、今も我が国鍼灸界における中枢をなしている。
また一方、千葉勝太郎勝胤は、先駆けて現在出回っている「遺稿」の元になった「千葉周作遺稿 剣法秘訣」を大正4年に公刊されている。
失明によって絶たれた生涯を見ると先祖千葉介常胤の血を引く者らしく天に貫く崇高な精神の血統を感じます。