考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

実行力という虚

2010-12-20 06:00:00 | 徒然なるままに

人事部の季節的な業務、年末調整の大きな山を越えました。
いつもの事ながら、給与の担当者は細かな書類のチェック、そして入力・入力確認と慌しい日々を迎え、そして終える・・・
そうすると、いつの間にか年末、来年がそこまで来ているんですよね。

そんな中で、政府が来年度の税制大綱を決定したとのニュースが金曜日の新聞に載っていました。
人事部の一員として気になったのは、給与所得・扶養等の控除の改正。
来年には生命保険料控除の変更が待っていると思いますが、それに続いて、所得控除の年収による上限だとか、成年扶養の年収による制限だとか、、、なんだかややこしい方向へ向かっていきそうですね。
こういうことがあるから、人事部の担当者は経験や専門性が求められるという意味では、一人の人事業務に詳しいサラリーマンとしては歓迎すべきかも知れませんが・・・国として、こんな風に企業に負担を押し付けるのもどんなものなんでしょうか。

まぁ、そうした自分の仕事としての見方は棚に上げても、いろいろと感じることがあります。

個人的には増税だとか、法人優遇だとか、高所得者狙い撃ちだとか、そういう結果的に生まれる変化は仕方がないと考えます。どんな改正・改定でも、その人によって変化の濃度に差が出てくるのは当然。それが改正のそもそもの本質である、という考えです。

でも、その哲学、原則のない改正ってなんなんでしょうか?

民主党が打ち出してきた子ども手当の考え方、そして公的年金の税方式への切り替え・・・
また、配偶者控除の廃止の方向性など・・・
個人的にも、国として・新たな政権としての大きなメッセージを感じていただけに、
全くその哲学が現れていない今回の税制大綱には大きな失望を感じています。

会社でも、「やらないよりは、少しでもやったほうが良いでしょう」なんて、
変更することによる本質的な意味や意義を棚に上げて、
いかにもその方向に進めているような形式的な施策をやろうとする人を見かけませんか?

それを、どこかの首相のように「有言実行」、あたかも実行力の賜物なんて勘違いしている人がいるように思います。

勘違いしているのは、実行力はあくまでも権限であって、権限があれば誰にでも実行できます。
もちろん、実行することは難しいことも多いですし、評価すべきことなんですよ。

でも、実行するのは表面的な施策ではない。「改正すること」自体でもない。
大事なのは、この改正・施策で何を「実行」「実現」するかなんですよ。

今回の税制の変更でいえば、その先に何を実現したいのか?
一部で減税、一部で増税を行うならば、どういう趣旨で負担の配分の変更を行うのか?

財源が足りない、それはそうでしょう。ボクも分かっているつもりです。
でも、何をやるために、どの程度の財源が必要なのか?
そして、今後の税負担の基本的な考え方はどうなのか?(消費税も含め)

もっと本質的な議論、そしてもっと説明が必要ではないでしょうか。

ボクらは、こうした哲学・原則のない(見えない)政権運営を期待して民主党への政権交代を期待したわけではない(とボクは思う)。
さらにいえば、小沢一郎氏の政治倫理何とかへの出席を実現したくて民主党へ投票したわけでもない(とボクは思う)。

小手先の実行よりも大切なことがある・・・
最近の目先の結果優先の社会風潮が、いろいろな弊害をもたらしている気がしますね。

多くの人がすでに巻き込まれているであろう企業の「成果主義」の誤解や変な運用にも、その責任の一部がありそうですよね。でも、その辺はまた今度。

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