考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

等価交換と労働

2006-02-26 23:06:02 | 徒然なるままに

内田樹先生のブログに「不快という貨幣」という記事がありました。
それを読んでから「等価交換」と「労働」いう言葉が頭を巡っています。
内田先生の記事とは直接関係ありませんけど、「等価交換」と「労働」について考えてみました。

まずは等価交換・・・
内田先生は「商品と対価が釣り合うこと。それが市場経済の原理なのである。」と書かれています。その前にお互いにそのモノの価値を自分なりに評価することが必要になるわけですよね。
お互いの評価が釣り合って、交換が成立するわけですけど、いわゆる“客観的”な評価なんて難しいと思います。“等価”と納得できれば良いのでしょうけど、そうならないことも多いですよね。

みなさん、ハローです。ホディです。

いきなり話は少し外れますけど・・・
トリノオリンピックもとうとう閉幕ですね。昨夜は思わず夜更かししてしまいました。50年ぶりのメダルに挑むアルペンスキーの男子回転。・・・一本目を見てしまうと、二本目を見ずには寝れませんでした。
結果は日本選手の大健闘と言って良いですよね。
皆川選手4位、湯浅選手7位。皆川選手は一本目は3位でしたので、メダルまであと一歩でしたけど、アルペン競技でこの成績はすごいですよね。

皆川選手は銅メダルまであと0.03秒。
非情な時計はヒトが認識することは到底できないであろう時間の差で、メダリストとそれ以外を区別してしまいました。
4位と3位のわずかな差の割にはボクらの受け止め方や、マスコミの取り上げ方、その他処遇まで(?)きっと全く違うんだろうな・・・なんて思いますね。
金メダリストの荒川静香。
メダルをあと一歩で逃した・・・及川佑、岡崎朋美、スピードスケート女子団体追い抜きチーム、村主章枝、そして皆川賢太郎。(敬称略)・・・
(こう並べて見ると、一部はメダリスト級の扱いになるでしょうか?)

オリンピックという3位以上をメダルで表彰する場では、等価交換なんでしょうけどね・・・

さて、内田先生の記事に戻りますけど、その中で「彼らは彼らが受ける叱責や処罰が、自分たちがしたことと「釣り合わない」と考えている」若者の話がありました。
自分も含めて、そういうことって多いなと思います。
喫煙で謹慎させられている未成年アイドル、
小菅で拘留されている元社長、
記者会見で責められている二人の社長・・・
たかがタバコで、たかが50億で、たかが偽装や改装で・・・
と思っているのかも知れません。
第三者から見る「等価交換」と、当事者の「等価交換」は大きな違いがあるでしょうね。やはり等価交換って難しいですよね~

また、内田先生は労働から逃走する若者を「彼らが考えている「労働」はおそらく私たちの考えている「労働」とは別のものなのだ」と、等価交換をキーワードとして書かれています。
※詳しくは内田先生の記事 ⇒ こちら

労働って何なんでしょうね?

ボクが思うのは、「労働=生活するためのお金を稼ぐこと」だという認識が問題ではないかな?と思うんです。(そのように意識しているかどうかは別として、私見ですけど多くの人がそう思っているような気がしています。)
その式を当てはめますと、単純に今の自分の生活だけであれば、働く必要のない人もいるわけですよね。「労働から逃げるな」と言われても、生活するに十分なお金があればなぜ働く必要があるのか?となりますよね。
でも、憲法で定められているようにお金があるから働かなくて良いというものではなく、勤労は権利であり、国民の義務なんですよね。
ボクは人間らしい社会を維持するには、もしかしたら一番重要な義務なのかも知れないと考えています。

ボクの得意な極端な話(涙)になりますけど、ボクが定義するならば「労働=奉仕」。
自分のためではなく、誰かのために奉仕すること。
少し前まで日経ビジネスに、伊藤忠商事の丹羽宇一郎さんが西郷隆盛の遺訓について書いた記事が連載されていました。その最終回(?)である和尚さんの「天国と地獄の違い」についての話を紹介されていました。

天国と地獄は実は同じであり、どちらもひとつの釜を2mの箸を持って囲んでいる。地獄では我先にと箸を操って食べようとするけど、そんなに長い箸では食べられない。だから地獄は修羅場となるけど、天国ではお先にどうぞとお互いに目の前の人へ自分の長い箸で食べさせる。それが天国と地獄の違い・・・
・・・確かこんな話だったと思いますけど、その話を思い出していました。

労働によって、お金には換えられないそんな「奉仕の気持ち」を等価交換し合う・・・だから働かなくてはいけないんだと思うんです。
もちろんお金がなければ生きていけないのは現代の特徴なんでしょうけれども、お金を稼ぐことだけを目的とする労働ばかりとなると、この世は地獄です。
資本主義、自由経済の世の中でも実現可能だと信じたいですけど・・・
どうでしょう?
今は不労者のボクが書くような話じゃないですかね・・・

プーさんとなったボクですけど、「NEET」と呼ばれるためには35歳ではギリギリ年齢オーバーなんですよね。

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2 コメント

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はたらくことについて (ひろくま)
2006-03-06 22:32:43
労働=奉仕について。

以前『はたらく』とは傍(はた)を楽(らく)にすること、故にはたらくと言う。なんて話を聞いたことがあります。



私は、労働の本質は、奉仕だけではないように思っています。働くことから得られる何かしらの報酬こそ働くことの本質につながっているように思います。

報酬にも色々なものがあるでしょう。(金銭的、心情的、精神的、肉体的・・・)報酬。

達成感を得るなんてものも、働く動機としては十分大きなものだと思います。それらがない奉仕活動は、自分には辛く感じます。



何で働くのだろう?この問いについて考えるのは、難しいですね。

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re:はたらくことについて (hoddy)
2006-03-06 23:54:59
ひろくまさん、コメントありがとうございます。



いただいたコメントは、おっしゃる通りだと思うんですよね。全面的に同意です。

ボクも興味のない作業で、かつ無報酬の奉仕を今やれるかと言われれば、やれないです。

ここでは労働の目的や動機ではなくて、「“労働”とは何ぞや?」という内容で書いているつもりなんですけど・・・分かりにくいですね。スイマセン。



何のために働くんだ?

何のために生きるんだ?

ホント、難しい問題ですよね。

ボクの今の心境は「自分が明日も生きるため」だと思っていますけど、生きている間、そんなことを考え続けるんでしょうね。

「考える葦」ですね。



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