考える葦のブログ

さわやかに さりげなく

感染といじめ

2020-05-07 22:05:00 | Covid-19

緊急事態宣言、予想通り、ゴールも解除基準も示されないまま5月末まで延長となった。
途中で検証の日を明示したことは評価できるが、「ゴールが示されないこと」は致命的だと思う。

今後、ありうることはコロナ疲れの自粛解除圧力が強まり、感染者数の減少を理由になし崩し的に感染危機が薄れてしまうことだろう。いや、今後ではなく、もうすでに始まっているかもしれない。

結局はゴールの共有化の話に行き着くが、緊急事態は何のために宣言されたのか?

感染率を抑えることではなく、感染者自体をなくさなければ効果は少ない。無症状も含め感染者がいれば感染の連鎖は復活する可能性が高いわけで、感染者ゼロが理想的だとボクは思う。
自粛中断後の再開は誰にとっても最悪の展開だ。何としてでも避けてほしい。

 

今、ボクが一番懸念しているのは「感染者が責められること」。
感染者はその人の感染源がどうであれ被害者としか言えない。旅行していたとしても、パチンコしていたとしても、飲食店に行っていても、今の状況では責めてはいけない。

感染者が責められれば責められるほど、感染者は“絶対に休めない人”化する。つまり、市薬品等で症状を抑え、感染を隠そうとするだろう。誰もが、根掘り葉掘り行動を聞かれ、下手をしたら報道され、家族や友人、勤務先まで注目をされることなど望まない。
日本のムラ社会で生きていくには、今回のコロナ騒動では感染とは別の恐怖もあると言える。

表面的な感染者数が少ないのは、この辺の日本社会の影も見え隠れしている。

 

コロナ感染を止めるには、こういう日本社会の影の部分も薄めていかなければいけない。
この点ではボクは「いじめ問題」と似ていると感じる。

いじめも「いじめられるほうにも非がある」と言われるし、表面的ないじめはないことが組織の建前になりやすい。

そしてそのような屁理屈が組織を腐らせる。いじめの存在を否定することが嘘や次の悲劇につながることもある。

小さな異変に注意をして、事実と向き合うこと。そして、治すこと。

時間をかければ偶然に治ることもある。でも、結果的に取り返しのつかないことになりかねないし、連鎖にもつながりかねない。

 

感染したことは絶対に悪いことではない。
そして、感染者は治療を受けるべき人であり、非難されるべき人ではない。

 

 


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