平家物語 巻十 維盛入水
平家物語講座で平維盛が熊野三山の参詣を終え
和歌山県那智町の補陀洛山寺で出家(法名浄円)して
浜の宮から渡海(入水)したと聴講した。
以前から一度訪れたいと思っていたので
JRきのくに線 最寄りの紀伊新庄駅(無人駅)から7時54分に乗車して
那智駅に10時12分に着いた。
浜の宮、熊野参所大神社、補陀落山寺、青岸渡寺、熊野那智大社、
熊野古道大門坂を参拝した。
<紀伊新庄駅ホーム>
<那智駅前広場>
<熊野三所大神社>
那智駅から数分のところ
<補陀洛山寺>
熊野三所大神社の左横が同寺
世界遺産記念碑
本堂
曼荼羅
補陀洛山寺関連物語の全景
渡海舟
(上記曼荼羅絵最下部中央右の渡海舟を元に復元した)
渡海上人が浜の宮からこの船に乗って補陀洛浄土に旅立った
(補陀洛とは観音菩薩の住まう浄土)
平維盛供養塔
本堂の裏山中腹に補陀洛上人25名の供養塔群がある
浜の宮海岸
この海岸から渡海舟で旅立った
(生きながらの水葬)
青岸渡寺本堂
熊野那智大社本殿
青岸渡寺三重塔と那智の滝
熊野古道 大門坂
南方熊楠もイギリスから帰国後1901~1904年まで3年間
ここにあった旅館「大阪屋」離れで
粘菌採取のため滞在していました。
今日は平安衣装(貸衣装)で行脚していた外国人に出会いました。
紀伊勝浦駅前商店街
受講時は淋しい山寺だろうと想像していたが
町中にある立派な寺で
渡海舟も頑強な屋形(脱出できないように外から釘打ち)だと思っていたが
檜皮張りの上品な作りだった。
熊野古道ルートは外国人観光客が目立つ
「日本人もっと頑張れ!」
行程を拝見すると、結構長い距離を歩かれていますね。
異説によると、維盛は落人となって十津川郷へ落ち延びたという説もあるようですね。
摂津の源平合戦から、姿をくらましていることを考えると、案外そうなのかとも思う。
歴史上の事実を探求することも大切ですが、物語通りの平安のロマンがいいかも・・・・。