万歩径

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南方熊楠生誕150周年記念ウオーク

2018-03-18 20:43:06 | 日記

南方熊楠生誕150周年記念ウオーク

 

田辺観光ボランティアガイドの会が昨年10月に予定していた

市内南東部の熊楠ゆかりの地ウオークが

台風で中止になり 改めて今般実施されたツアーに

ボランティアガイドさんの説明を聞きながら参加しました


ルートは

闘鶏神社~神楽神社~日吉神社~磯間浦安神社~

扇ヶ浜公園~台場~南方熊楠顕彰館





<闘鶏神社>

熊楠と闘鶏神社との関係

①熊楠夫人が闘鶏神社宮司の4女

②研究資料採取地(くらがり山)

③神社合祀問題

④くらがり山の樹木伐採問題


なお

闘鶏神社は北は龍神(龍神信仰)南は神島

神殿の位置が鳥居から見て右=北北東に向かって立っているのが特徴



田辺観光ボランティアの人々


<神楽神社>

①標本採取場所(珍種の藻発見の池)

②神仏合祀問題


南方熊楠が珍種の藻を発見した池の碑


標本採取池跡


<鬼橋巌>

この地は白浜の円月島のように

海で岩山の一部が波の浸食で刳りぬかれていたが

崩壊の危険性があるために撤去されました


<日吉神社>

熊楠はこの神社の社叢が特異な形態であることから保全運動を起こした

狛犬でなくサルが神を守っております



<磯間浦安神社>

神社合祀問題


<扇ヶ浜公園>

南方熊楠顕彰碑


<鳥山啓翁顕彰碑>

和歌山中の先生で軍艦マーチの作詞者

熊楠が先生と崇めるただ一人の人物


<台場>

1854(安政元年)年田辺領の武士柏木兵衛により護国海防のため

砲台を築いた台場


<旧田辺港> 

前面の海岸波止場は1927年(昭和2年)に文里港が出来るまでは

丹部の玄関口として賑わっていました


財政難から砲台跡の売却問題が出た時に

熊楠が存続維持を訴え阻止できたが

その後 変遷を経て

今は田辺カトリック教会


<南方熊楠顕彰館>

南方熊楠の研究情報発信拠点

25,000点以上の資料を収蔵中


南方熊楠 田辺市名誉市民証

(昨年5月に贈呈されました)


<特別企画展 南方熊楠と和歌山の食文化>

館内で特別企画展開催中


熊楠は海外生活の影響もあり食通

朝からビーフステーキを食べる

一方

茶がゆ 白みそ雑煮 縄巻鮨(なれすし)

なんば焼 安藤みかんなどを好物としていました


<南方熊楠邸>

生まれは和歌山市であるが晩年25年間この地で生活研究していました


田辺観光協会によると

南方熊楠ゆかりの地は市内北西部にもありますが

私は昨年のツアーで巡回しました

(田辺城水門 西八王子宮 出立王子 八立稲神社 高山寺 猿神社など)

 

<一巡して>

田辺市の三賢人は

武蔵坊弁慶 植芝盛平(合気道創設者) 南方熊楠

ですが

世界的博物学者の熊楠は

町の風呂屋での談笑 大酒を飲んで乱れることがあったりして

少し奇人変人的に見られていたようです

このようなことで名誉市民憲章が昨年になってやっと授与されたと

多くの人が言っておりました

因みに

熊楠の生家は和歌山市の酒造家「世界一統」(現在)


本日の万歩計は15,309歩

良く歩きました