人を伸ばす力―内発と自律のすすめ新曜社このアイテムの詳細を見る |
図解 きほんからわかる「モチベーション」理論 (East Press Business)池田 光,NTTラーニングシステムズ(株)イースト・プレスこのアイテムの詳細を見る |
「この仕事をこれだけしたら、○○万円あげます。だから、この目標を達成して下くださいね」。これは、会社と会社の取引や上司と部下との目標設定面談の際、よく交わされる言葉だ。会社と会社の契約は、業務請負などの約束事として従来から当然のことして行われてきたものであるが、上司と部下との面談でこのような会話がされるようになったのは、日本に成果主義人事制度が導入され、運用ツールとして目標管理制度が定着してからのことだろう。具体的に○○万円あげます、と言わないにしても、部下はこのようなニュアンスで受け止めている。会社の人事制度自体がこうしたメッセージを持っているからだ。
しかし、このような会話が部下のモチベーションを低下させるらしい。「ちゃんと宿題をやったら、テレビを見ていいよ」と母親が息子を躾ている場面を想定してみよう。息子の目標は「テレビを見ること」、「ちゃんと宿題をやること」は手段になってしまう。この場合の目標「テレビを見ること」は、母親から与えられた「報酬」ということになる。息子は「ちゃんと宿題をやること」に対して、目標とか報酬というふうにはとらえておらず、仕方なくやらなければならない、興味のない「手段」に陥ってしまっているのである。
これを上司と部下の会話に置き換えると、「この仕事をこれだけしたら(手段)、○○万円(目標)あげます。だから、この目標を達成して下くださいね」となる。「この目標」とは部下にとって「○○万円をもらうこと」となる。この場合も手段である「この仕事をこれだけしたら」は、部下にとって何の興味もないのになってしまっているのである。
アメリカの心理学者エドワード.L.デシは、外発的動機付け“ここでいう「○○万円をもらうこと」(目標)”は、仕事そのものに対して、興味を失わせ、モチベーションを低下させるものだと著書『人を伸ばす力―内発と自律のすすめ』で述べている。また、もともと興味を持っていた行為(例えば、ピアノの練習をすること)も、先生から「ピアノの練習を1日2時間、毎日できたら、ご褒美を上げる」などの外発的動機付けが与えられるとピアノを練習すること自体に興味がなくなり、モチベーションが低下すると述べている。これらはデシの様々な実験で明らかにされており、外発的動機付けの乱用は、その人の能力向上や充実感を阻害することが立証されている。
この外発的動機付けに対し、デシは内発的動機付けに焦点を当てた指導の必要性を強調している。内発的動機付けとは外部から与えられた目標ではなく、その行為自体に取り組む時に感じる楽しみ、充実感、挑戦的意欲のことをいう。上記ピアノの例でいえば、ピアノが上達すること、自分で全部弾けるようになることがそれにあたる。内発的動機付けが高いとその行為自体が楽しいのであり、外発的動機付けがある場合よりも、その効果(成果、上達度、充実感)が高くなるのである。
しかし、世の中を見渡してみると、人を動かすためには何らかの報酬を与えるのが当たり前になっているように思われる。教育の現場、医療の現場、ビジネスの現場で「こうしてくれたら(手段)」、「こうしましょう(目標)」という外発的動機付けが成果を上げるための絶対的なツールと考えられているふしがある。もちろん、外発的動機付け自体にそれなりの効果があることも否めないが、より高い目標を達成したり、伸び伸びと子どもを育てたりしたいなら、外発的動機付けによって内発的動機付けが阻害されないような配慮が必要である。仕事の現場では、成果主義人事制度により外発的動機付けが明示されており、部下は仕事自体に興味ややりがいを感じられなくなっていく環境に侵されている。上司はこうした外発的動機付けによる内発的動機付けの低下を招かないよう、部下とのかかわりにおいて、仕事自体に興味関心を抱かせるような言動をとっていくことが求められる。自分の子どもに対して、「ちゃんと宿題をやったら、テレビを見ていいよ」と言うのではなく、「算数は、こういうふうに解いてみると簡単で、面白いよ!」とその行為自体に面白さや興味を感じさせるような言動をとっていくことが求められる。部下に対してもその仕事の達成をイメージできるような指導をすることで、部下の能力向上、部門の業績向上に繋がっていくのである。
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