雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

割烹着とSTAP細胞

2014年04月13日 | ポエム
 割烹着とSTAP細胞
 
 あのね。このところのノーベル賞の物理学や化学、生物学・医学の研究テーマの説明をどんなに見ても?が4つも5つも続きそうな頭なので、STAP細胞のニュースも何かスゴい発見をされたのだろうという程度の認識だった。しかもそのスゴい研究をされた小保方氏が、自分の子どもと違わぬ年代で、最初のニュース映像を見た第一印象が研究者というイメージを裏切って「かわいいお嬢さん」みたいでとても良かった。だから論文の捏造と改ざんいう第三者を交えた調査の報告会見を見た後でもつい彼女の味方をしてしまいそうになる。
 論文に化学者としてはお粗末な不手際があったことは自身が認めているところで、それが学術的に許されないことであることは理解できる。でもだからと言って彼女の研究がすべて否定されるものなのだろうか?
 失礼ながら、理化学研究所の所長さんをはじめ、会見でお見受けする人達の方が悪人に見えてしまうわたくしは、どうなのだろう。彼女の方を応援したいわたくしは、変なのだろうか?とまあ、この文章を書いている翌日9日に、彼女自身が会見をするそうだから、それを見たら彼女の印象も違ってしまい、応援したい気持ちもいっぺんに冷めてしまうことになるかもしれない。
 多くの人が一番知りたいのはSTAP細胞を彼女が本当に作ったのか?STAP細胞は存在するのか、という点にあり、理化学研究所をその点を重視し、時間をかけて存在の有無を証明する実験に着手するそうだ。
 論文のデータ、研究プロセス、参考文献などの取扱は慎重の上にも慎重を重ねなければ研究自体の信憑性が疑われることは、理解できる。STAP細胞の存在の証明も、小保方氏に再現してもらい第三者が見たらすぐ分かることではないの?何で1年近くもかかるの?と、我々素人は考えてしまうが、学術上の証明は実験とデータを積み重ねた上でしか「ある」ということが言えないのだろう。
 もし彼女に捏造や改ざんをする意識があったとしたら、すぐに指摘される不正をしてまで発表する意味は何だったのだろう。そして「今までの生物学の歴史を否定するような」世紀の発見と言われる研究の発表に対して、画像の加工や取り違えという基本的なミスや「研究ノート」のチェックをなぜ発表前に行わなかったのだろう。STAP細胞の存在の確実な検証を行わなかったのだろう。そのことで研究所や共同発表者などの周りの人に責任はないのだろうか?トカゲのしっぽ切りのような性急な対応も気になる。 
 それよりも今日のテーマを私が選んだのは、彼女に対する世間の評価の急変ぶりのことだ。論文の発表直後は、小保方氏の年齢や容姿、白衣替わりの割烹着姿、研究室のピンクの壁や室内に貼られたムーミンのキャラクターなど新鮮な驚きがいっぱいだった。その研究成果の説明や評価とともに、いやそれ以上に国民の関心は彼女のプライベートまで及ぶのだった。彼女に好感を持っている私でさえ、アイドルタレントのような行き過ぎた報道に「どうしたものか」と眉をひそめる程のはしゃぎぶりだった。ところが発表された論文に疑惑が生じると一転、疑惑追及に報道が過熱して行く。疑惑そのものを追求する報道は当然だが、またしてもプライベートな負の情報も溢れ出てくるのだ。ネットでは早い段階で「研究者としての小保方さんは死んだ」とさえ決めつけていた。
 このようなマスコミの報道は、恐らくネットでの声を多いに反映したものと思われるが、最近私は一部の人のこのような傾向がちょっと気になっている。
 例えば、猪瀬前東京都知事の一連の報道がやはりオモシロ可笑しく個人の落ち度を追求しているように思われた。確かに許されない行為であると思うが、副知事時代や特に東京五輪の開催決定に関する彼の功績は、何処に行ってしまったのだろう。都議会で猪瀬氏を追求する議員の勝ち誇ったような、猪瀬氏の人格を全否定するような物言いや態度には少し腹が立った。
 このように日本中で誰かの落ち度をバッシングすることに喜びを感じている人が増えているのではないかと心配だ。小保方氏にはぜひSTAP細胞の存在を証明してほしいと希望する。ところで割烹着の売れ行きはどうなったかな?

(2014.4.9)

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むかし

2014年04月10日 | ポエム

 むかし


あどけない目
素直な目
深く深く澄みきった目
そんな目で
少女はぼくを見ていた

ぼくも以前は
あんな目をしていたんだね

(1974~2014.4.8)
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舫綱~悲しきこころ

2014年04月07日 | ポエム

 舫綱~悲しきこころ


ぼくの喜びの日に
声をふるわす父
泣いている母
ぼく自身は
涙さえ出なかったというのに‥‥

親は 子の乗る舟に綱をつけ
沈みそうになったら
いつでも助けようとする
出来れば 子に
自分が築いた沈まない船に
もう一度 乗せようと願う

片手でひねると消えそうな赤子のいのち
親にすべて委ね
乳を飲むことと
泣くことと
眠ることしか知らない小さないのち
( ぼくもそこから 育ってきた )

親と子を繋ぐ舫綱を
ぼくは今 切ろうとしている
親から遠く彷徨うことを
ぼくは今 夢にさえみている

ああ、人よ
そんなぼくを
不孝者と言わないでおくれ

子を思う親は 人間のいのち
親を思う子は 野生のいのち

ぼくは 自分の選んだ道を恨む
ありがたい親であればなお
ぼくは 唇を噛みしめる

でも ぼくはやはり
野生のいのちを生きるだろう
そして いつか父となった日に
やはり人間のいのちを生きるのだろう

ぼくは 忘れないぞ
この日の感謝を
決して忘れないぞ

( それだけが ぼくに出来る孝行なの )

(1978.3.14~2014.4.7) 




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真実

2014年04月03日 | ポエム
 真実


おれは 三日間
本当にがんばったぞ
もう その日は
死んだっていいと思った

おれのこれまでの日々は
なんと恥ずかしい毎日だったろうか
決して 嘘ではないけれど
真実から遠かった日々

やらないことを悩むな
それを悩むことを苦しむな
やって悩め
やってどうやるか苦しめ

そうやってこそ
真の詩がある
真の絵が描ける
そこに真実があったのだ

おれは 恐れを知らないはずだ
おれは 恐れを乗り越えることを
自分のものにしたはずだ
(1978.3.6~2014.4.3) 
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