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人の旅を笑うな ~ベトナムの水辺の村へ~

ちょっとだけ垣間見た川と湖のほとりの暮らし

43 どうして気づかなかったの? そこに、素朴で活気のあるフォンディエンの水上マーケット

2017-03-17 07:10:00 | フォンディエンの町と村 お話
いっとき川にはおそろしく霧がかかり、景色が真っ白に霞む。霧の中から荷を積んだ小さな舟が現れる。空には白いベールの向こうに太陽が白く光っていた。

ラッキーだわ、川から村の様子が見えるなんて、とサラが何度も言う。
やがて昨日渡った紅白の橋が見えてきた。その橋をくぐったら「昨日向こう岸の村を歩いたの」とサラに言おうと思っていた。ところが、舟は橋の手前で左側の支流の方に向きを変えた。見ると、川が2つに分かれるそこに水上市場があった。

唖然とした。昨日歩いたところだ。時間的にも今日と同じように朝8時か少し前だったはず。昨日橋を渡ってから右の静かな村に行かず、にぎやかそうだった左に行けばすぐに、あんなに探していたこのフォンディエンの水上マーケットがあったのだ。
どうして? どうして気づかなかったの?

元ほっしゃんの言っていることが分からなかったわけだ。何時間かかるとか何とかってモノではない。ほっしゃんも私が何を言っていたか分からなかっただろう。だってほっしゃんに会ったところの対岸がフォンディエンの水上市場だったのだから。
ああ、どうしてそれが見えなかったのだろう。昨日私はどうして川をよく見ようとしなかったのだろう。すべては『地球の歩き方』の17kmという思いこみがあったからだ。全然17kmではない。もっとうんと近い。

ほっしゃんの舟に乗らなくてよかった。15分どころか、多分5分で水上市場。そして見物するのに1時間もかからなかっただろう。まあそれで100,000(520円)ドンだとしてもだめではないのだけど。でも今日こうしてこんなかわいい女性と一緒に楽しいツアーができたんだもの。神様が導いてくれたとしか思えない。感謝! やはり運命に任せていればいいのだ。自分が導かれている運命を信じればそれでいいのだ。などと調子に乗ってるのが自分で分かる。
それにしても、ほんとに、どうして昨日、この場所が分からなかったのだろう!


フォンディエンの水上市場は、思った通り素朴で、小さな木造船がたくさん来ていた。カイランの船は2階建てになったような大型のがっしりしたものが多かったけれど、こちらは小舟だ。そしてテルちゃんの言うことは間違っている。フォンディエンの水上市場はちゃんとあって、にぎわっている。ボートが1か2どころではない。テルちゃんは一体何を言っているのだろう。うーん、きっと、英語がよく分からなかったんだろう。

今度は船頭さんが緑色の皮の大きなかんきつをむいてくれた。サラは嫌いなのか、一口かじってすぐにやめてしまった。けれどとてもおいしくて、私はよろこんで全部いただいた。








高菜漬けを売る人がいた

42 春巻きの皮づくりの作業場、川から見る人々の暮らし

2017-03-15 07:10:00 | フォンディエンの町と村 お話
ベトナム南部、カイラン。旅6日目の午前。

それから舟は川を遡り、いや下ったのか、よく分からないけどフォンディエン方向に向かった。やがて日が昇ってきた。ぼんやりとしたオレンジ色の光が高い椰子の木のシルエットを浮き彫りにした。

岸辺の家々を見る。川に向かっている家。家に着けてある舟。
家の前には水場があり、色とりどりの食器や鍋が洗いかけのまま置いてある。ロープに洗濯物が干してある。川を庭としていた。まるで陽光を求めて家が建ち、前庭に向かって暮らすように、人は川に向かって暮らしていた。さまざまなものが川からやってきて、川からまた外へ運ばれていくようだった。そういう暮らしの風景に私たちは次々とシャッターを切った。

しばらく行き、左の岸から少し入ったところに舟が着けられた。船頭さんに手を取られて降りていくと、春巻きの皮を作っている作業場だった。

かまどがある。燃料は籾がら。投入口があって、籾がらがそこから焚き口にするする落ちていく。かまどの上には丸い焼くところがあって、そこに米の粉らしき白い液体を丸く流す。ほどよく焼けたら竹の筒にくっつけて巻き取り、それを竹の簾の上に広げて載せる。竹の簾はたくさんあって、どんどん重ねていく。その後その簾を庭に並べて乾かす。

別の場所には、乾いた春巻きを差し込むと細く麺状になって出てくる道具があった。それで細ビーフンができる。観光客たちが試しに作っている。
さあ、行こう、と船頭さんが言うのでサラと私はあわてて舟に戻った。

隣に泊めている舟の女の船頭さんが、「あんたたちは運がいい、この人はナンバーワンだ」と私たちの船頭さんのことを言った。舟の操縦が上手いのだそうだ。それだけでなく人柄、接客もナンバーワンなのではないかと思う。英語もうまい。サラはしきりに、He is nice.と言っている。






41 カイランの水上マーケット

2017-03-14 07:10:00 | フォンディエンの町と村 お話
ベトナム南部、カイラン。旅6日目の朝。

5時起床。6時1分前に下に降りていくと、昨日廊下で見かけた若い白人女性がすでにソファーに座って待っていた。黒い大きな一眼レフと、重そうな黒いリュックを持っている。感じのいい人だ。

ホテルの奥さんは今朝も人が良さそうにニコニコして、冷たく汗をかいたペットボトルの水をくれる。私はそれをリュックに入れた。

細くてわりと背の高い40代ぐらいの男の人がすぐに迎えに来た。一緒に外に出ていくと、奥さんが銀のトレイに朝食を載せてくる。ガーデンの向こうから川に降りられるようになっていて、男の人が朝食を受け取って舟に積み込む。この人は船頭さんだった。

私たち2人は一緒に舟に乗り込んだ。私が左、サラが右。サラはカリフォルニアから来たカメラマンだ。いいカメラね、と私が言うと、仕事道具だからと言う。新聞や雑誌の記事のために、世界中を回って写真を撮っているという。うらやましい! でも嫉妬する気には全くなれない。サラは本当に心がきれいな感じがする。こんないい子っているだろうか。自慢気なところが一切ない。もっともサラはそんなに自分を自慢に思ったりはしていないのだろう。

舟が岸を離れ、私たちはまず朝食をほおばる。フランスパンと卵。コーヒー。きゅうりとトマト。舟はなみなみとした川の中央を走る。両側にはぎっしりと生活感あふれる家がある。ちぎれたホテイアオイの株がときおり舟をかすめて流れていく。

まもなく舟はカイランの水上マーケットに着いた。たくさんの船がたくさんの荷を積んで結集していて、ほとんど接し合っている。その船から船へと野菜や果物が積み込まれていく。

驚いたことに、それはホテルから少しカントー寄りの、昨日通った木材の積んであるところだった。あの岸辺で水上マーケットをやっていたのだ。
私たちの乗った船はその間をかいくぐってじっくりと進んでいった。船頭さんはここぞというところでゆっくりして様子を見せてくれる。少し大型の船ではみんなそこに住んでいるらしく、船底に鍋や皿が置いてある台所のようなものがある。船の上には洗濯物を干している。小さな子どもが2階の窓からのぞいている。たくさんのすいかや、たくさんのバナナやパイナップルを積んでいたりする。舳先に竿があって、そこにその船が売っている農産物をぶら下げてある。サラと私は写真を撮りまくった。

観光客を乗せた舟もたくさんいた。ほとんどの観光客がサラに向かって「ハイ、マダム」と呼びかけてきた。

しばらく見物すると、私たちの舟は混み合ったところからすーっと離れ、そこで船頭さんがパイナップルをむいたのをくれた。さっき船上で買っていたのを見ていた。見事な包丁さばきでカットされている。甘く、渋みもなく、舌をさす刺激もない。こんなおいしいパイナップルは初めてだった。






40 堂々巡りでぐちゃぐちゃ。そして神様が

2017-03-13 07:10:00 | フォンディエンの町と村 お話
ベトナム南部、カイラン。旅5日目の夜。

明日どうするのだろう。いい対策はなかった。今日も結局水上マーケットに行くことはできなかった。このまますごすごと帰るのだろうか。カイランとフォンディエンの高いホテルに2泊もしながら、町だけ見て帰るのだろうか。今回は諦め、またいつかベトナムに来てリベンジすればいいかもしれない。それしかないか。そうしようか。もうそれでいいよね。でも……、水上マーケットは消滅する可能性が高いという。カントー大橋ができ陸上交通が主になりつつあるから。と『地球の歩き方』に書いてある。だとすると今回がラストチャンスということにならないか。
カイラン&フォンディエンのボートツアーに行くとなると1人で850,000(4420円)も払わなければならない。高すぎるではないか。でももう一度ベトナムに来るとなるともっと高いことになるよ。ここまで来てケチってどうするの。やるときはやらなきゃ。お金は使わなきゃ意味がない。でも850,000ドンだなんて観光客向けに暴利をむさぼっているではないか。じゃあ行かないということなのか。
堂々巡りした。相変わらず気分はぐちゃぐちゃしていた。


結論。今回は諦める。なぜなら1人で850,000は高すぎて贅沢だからである。私はすごすごと、水上マーケットを見ずに帰るのだ。水上マーケットなんてもうみんな写真を撮ってアップしてるし、私だけが撮れる写真なわけじゃないし、ポピュラーになりすぎていていかにも観光コースだし。そう考えて自分をなだめよう。こういうのって「代償」って言うのよね。高校の保健で習った。「代償」とは負け惜しみのことだ。ああ、私はバカだ、大バカだ。

卵焼き定食を食べて、宿に帰る。建物の中に入る前にガーデンを見よう。建物の川側にきれいに木が植栽されたお洒落っぽいガーデンがあるのだ。
夜の庭を縫う短い小径を通り、川に面したオープンエアのレストランを眺める。特に何ということもない。心地のいいところだ。

ふぅ。
帰ろ。寝よ。
私は建物に向かって歩き始めた。ふいにメガネをかけた快活な若い女の子が近づいてきた。そして上手な英語で言った。「明日水上マーケットに行きたいですか」。従業員なのか。「行きたいのだけど、私一人だから高くつくからちょっと……」と言うと、「大丈夫。もう一人、取材をしているカメラマンの女性がいるから、その人と一緒のボートに乗って割り勘できると思う」。

ああ!
ついに運が巡ってきた! この瞬間、私の運勢が好転した! 
天にも昇る心地だ。「はい、行きます!」と元気よく答えた。
部屋に戻った。うれしかった。とにかく、うれしかった。ここまで粘った甲斐があった! いや、粘っていたのかどうか疑問ではあるが。
後から考えると、こういう場合たとえ1人であっても850,000ドン払って行くべきだったと思うのだけど。



39  とにかく夕食を求めて。ペラペラバナナのせんべいと卵焼き定食

2017-03-12 07:10:00 | フォンディエンの町と村 お話
ベトナム南部、カイラン。旅5日目の午後。

ホテルを出て川を背後にした大通りを散歩する。ところどころに舟が着いている。

大量のすいかを舟から運び上げている一家がある。楕円形のすいかを若者が2個ずつ投げる。手前の若者がそれを受け取る。流れ作業で次から次へとすいかを投げては陸に荷揚げしている。てきぱきと働いている様子が見ていて気持ちいい。

その近くに木材をたくさん川岸に積んでいるところがある。木材とはいっても製材してあるわけではなく、皮をつけたままの径10センチぐらいの棒だ。このあたりの建物は水に向かってテラスを張り出していることが多い。そんなテラスやはしけの脚や、魚をつかまえる仕掛けの杭など、水に浸かるところにそういう材がよく使われている。

小さな商店では紙のように薄いせんべいを売っていた。満月みたいに大きい。1枚は黒ごま入り、もう1枚はバナナの輪切りがぎっしりと並んでいる。あまりに薄いので、バナナの輪切りをコピーして貼り付けたみたいだ。どうやったらこんなに薄くできるのか考えてしまう。
黒ごま入りのおせんべいを女の人が七輪であぶっていた。おせんべいは少しずつふくらむ。仕事帰り風の女性がバイクで買いに来た。子どもへのおみやげだろうか。私はバナナの方を買う。

大きな生きた魚をたらいに入れて売る店。魚の干物を売る店。タニシみたいな貝を売る店。ベトナムにはいろいろな貝がある。


そんなものを観察しながら、夕食を食べられるところを探して、大通りを行ったり来たりさまよう。すでに暗くなってきた。屋台みたいな路上の店で食べたいが、何をどう食べたらいいかよく分からない。それにほとんどが大量にゆでたひやむぎみたいなのをケースに積み上げている。おなかを壊さないか心配だ。

うろうろしていたらやっと声をかけてくれた店があった。若い主婦だ。店先では家族が食事をしている。ほかに客はいない。正直、店なのか一般家庭のダイニングなのかよく分からない。何が食べたいかと言う(多分)ので、電気炊飯器を指さすと、席に着かされ、魚か肉か、それとも卵かと言うので卵を頼む。それから奥から鍋を持ってきて魚の煮物を見せてくれるが、いまいちおいしそうではないので断る。川なんだから魚を食べたほうがよかったかもしれない。

やがて大きな卵焼きが運ばれてきた。私が指差した電気炊飯器は空になっていて、奥の電気炊飯器を持って来てくれる。ご飯がぎっしり入っていて、お茶碗にごはんをよそってくれるが、そのお茶碗がひどく欠けている。気持ちがよくないが、気にしないようにする。まるで親戚の家でご飯を食べさせてもらっているみたいだ。
そのうち、若い主婦が別のお茶碗を持って来てくれた。「欠けてるから替えて」と。私、顔に出ていたかも。でも、うれしい。
久しぶりに家庭的な食事をした。ずっと野菜不足だけど仕方ない。卵は食べ過ぎだ。30,000ドン(156円)。ちょっと高いと思うけど、まあ、仕方ない。